第507話 誰がために

 高い木々の間を抜けて、落ち葉を踏みしめて歩く。

 ここにある木は、精霊の本体ではないようだ。多くの魔力を蓄えているようだが、そこに命が宿っているようには思えないから。


「精霊の森なんだろうけど、なんか不思議」

『死の気配があるな』


 アルが言葉を濁した意味がなくなった。思わずブランを軽く睨んでしまう。縁起の悪い言葉だから、自重してもらいたかった。


『――なんだ。アルも気づいていたんだろう?』

「そうだけど……。というか、ブランはよく気づいたね? 魔物って、墓地とかに行くことないと思うんだけど。魔物に襲われて誰かが亡くなった時のような凄惨な死の気配とは違うでしょ?」


 この場所に感じる死の気配は、危機感や悲しみを煽るものではなく、静かな眠りに近い。それは、アルが知る墓地とよく似ていた。


『そうだな。我が知っているのは異次元回廊内で見たものだけだ』

「……あぁ、サクラさんたちの仲間のだね」


 言われてみれば、ブランは墓地を見たことがあるのだった。

 納得したところで、次の疑問が浮かぶ。なぜここに死の気配を感じるのか、と。


「――もしかして、ここは精霊の墓地?」

『あり得るな。あれらも不死身ではない。本体が木であれば、死した後にこのような木が残ることもあろう』


 アルの推測にブランが頷いた。

 命を落とした精霊たちの亡骸が集まる場所と考えれば、この地に満ちる静かな死の気配に納得できる。


「死んだ後に運ぶのかな?」

『そうなんじゃないか? 聖域だって、かつて精霊だった木を基盤にしてできているのだ。動かすことが可能なはずだ』

「そっか……」


 ゆっくり歩きながら周囲の木々を眺める。ここにある内のいくつが、元は精霊だったのか分からない。だが、なんとなく親しみを感じる気がした。


『豊富に魔力を蓄えている木は、元が精霊だった可能性が高いな』

「そうだね。彼らは魔力量が多いから――」


 返事をする声が止まる。木々の合間に異質なものが見えたのだ。


「これは……魔石?」

『巨大だな……』


 アルは呆然としながらも、巨大な木の形をした魔石に歩み寄った。

 枝葉まで透ける魔石でできている。おそらく地中にも根っこの形の魔石が埋まっているのだろう。そう確信するくらい、木にそっくりの魔石だった。


「こんな巨大な魔石、存在してるんだ……?」

『人工的に作ったものではないか? さすがに、こんな形のものは自然界にはないだろう』

「あ、やっぱりそう? でも、魔力はあんまりないみたいだね」


 大きさに反して、魔石が含んでいる魔力量は少ない。転移魔法に一回使うだけで空になってしまいそうだ。


『そこ、魔法陣があるぞ』

「え……あ、本当だ」


 ブランに鼻先で示されて気付いた。魔石の巨大さに反して、魔法陣はアルの片手ほどの小ささだ。それが二つある。


「――一つは、魔力を引き寄せる魔法陣だね」

『なに? どこから引き寄せるのだ?』

「たぶん、周囲の木々だよ。この魔法陣が発動したら、周囲の木々から魔力を吸い上げるんだ」


 視線を巡らせ、魔力眼も発動する。豊富な魔力を湛えた木々と、木の形をした魔石は細い糸のようなもので繋がっている気がした。


『ほー。どでかい魔法を使う動力にするのに便利だな』

「そうだね。総量は、マルクトさんが異空間に蓄えている魔力量より多くなりそう」

『……そんなにか』


 ブランがぽかんと口を開けて驚いていた。アルは真剣な表情で頷く。

 魔力を蓄えた木々がいくつあるかは分からないが、アルの感覚をもとに考えると、予想はさほど外れていないはずだ。


「もう一つの魔法陣は、魔石に蓄えた魔力を使うためのものだね。ここに触れている間、魔石から魔力を引き出せる」

『ほう。……そんなものがここにある意味はなんだ?』

「さあ? でも、古いものじゃないよ。たぶんここ数十年の間に刻まれた魔法陣だと思う」

『ますます意味が分からんな。アルがここに導かれたということは、これを使って何かをしろということか?』


 ブランの言葉を聞いて、アルはハッと息を呑んだ。何か、と言われて思い当たることが一つある。

 ここにアルを導いたのが、リアだったとすれば――。


「……もしかして、アカツキさんたちの帰還のために使え、ってことかな」

『は? ……ああ、そういえば、アルであっても、一度で全員を送ることはできないのだったな』

「うん。いくらたくさん魔力を持ってるって言っても、全員を帰還させるにはもっとたくさんの量が必要だからね。何度かに分けてすればいいかと思ってたんだけど」


 答えながら、アルはアテナリヤに願ったことで得た知識を総ざらいしてみた。そこでふと、アカツキたちを帰還させるにあたって生じうる、ある危険性が思い浮かぶ。


「――何度も異世界と繋げると、世界が歪に交わって崩壊してしまう可能性があるから……?」

『急に恐ろしいことを言い出したな?』


 ぎょっとした様子で目を見開くブランを横目で見ながら、アルは「うん」と頷いた。


「崩壊までいく可能性は低いけどね。でも、ありえなくはない。帰還させる人数によるとは思うんだけど」

『……大体、どういう計算だ?』

「僕の魔力だけで帰還させるなら、一度に三人が限界。それを一回繰り返すごとに、世界に害が生じる可能性が五パーセント上がる」

『つまり?』

「魔族の数が三十人だったら、帰還させるための魔法を十回行う必要があって、世界に害が生じる可能性が五十パーセントになる」


 ブランがアルの言葉を理解するまでに少し時間を要したようだ。しばらく沈黙した後、ぽかんと口を開いて呆然と言葉をこぼす。


『……五十パーセントは高すぎるだろう』

「まぁ、そこはなんとかしようと思ってたよ? 魔法を使う間隔をできるだけ空けよう、とか。魔石を大量に集めて、一度で帰還させる人数を増やそう、とか。――それでどのくらい効果があるかは、これから考えようとしてたんだけど」


 アルだって、世界を崩壊させたいなんて微塵も思っていないのだ。当然、対策は考えるつもりでいた。

 だが、今目の前にある魔石を利用できるのなら、その悩みは一切いらないということになる。


 おそらく、この魔石を使えば、一度に三十人帰還させるのも容易いことだろう。

 現在イービルの下で動いている者たちが何人いるかは分からないが、早期に帰還させることが可能になったと考えて良いはずだ。


『ここを教えてもらえて良かったな。というか、これはアルのために用意されていたのか? ひいては、アカツキたちのためか。いや、世界の安定的な保全のためか?』

「全部じゃない? 先読みの乙女のように、未来を読んであらかじめ対策を練っていてくれたってことだよ」


 ブランと二人で魔石を眺める。


「――でも、これを使うってことは、精霊の亡骸を使うようなもので、ちょっと気が咎めるんだけど」

『あー……確かにな。一応、マルクトたちに相談しておいた方がいいんじゃないか?』


 魔物といえども、亡骸の利用は躊躇するものらしい。ブランの言葉にアルは「そうする」と答え、周囲の木々を眺める。


 まさかこのような展開が待っているとは、転移してきた時にはまったく考えていなかった。勘に従って、ここまでやって来て良かったと、心から思う。


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