第506話 転移の先にあるもの

 魔石に【魔力を引き寄せる魔法陣】を刻むのに、さほど時間はかからない。アルは日頃から魔道具作りをしているプロと言ってもいいくらいの技術力を持っているのだから。


 魔法陣を刻むのは魔石の底である必要はなく、アルは側面に丁寧に描いていた。この方が見やすくて作業しやすい。

 ブランが肩の上で退屈そうに眺めているのを感じる。


「……最後の線を刻んだら完成するよ」


 ふとナイフを動かす手を止めて言うと、ブランがピクッと耳を動かした。脱力していたブランの体に力が入った。


『すぐに転移魔法が発動するのか?』

「魔力が繋がったら、安定するまで循環した後に発動するよ。一分もかからないと思う」

『ふむ。――いつでも良いぞ』


 転移先で何が待ち受けていようとアルを守るために、ブランが集中力を高めていく。それを肌身で感じながら、アルは最後の線を刻んだ。


 これで、魔石の魔力を使って別の魔力が引き寄せられ、転移の魔法陣が完成する。こんな巨大な魔法陣を作ろうなんて、どうして考えたのだろうと思いながら、アルは魔力の流れに注視した。


「……繋がった」


 ここからは見えない魔石から、魔力が伸びてきて繋がった。そして、魔力は循環しながら大きくなっていく。手首ほどの太さだった魔力が、やがて人の胴体ほどの太さになり――煌々と光を放った。


『っ、発動するのか……』

「うん。離れないように」


 ブランの体に手を添えて、アルは眩しさに目を閉じそうになるのをこらえ、その時を待つ。


 視界を埋め尽くすように、パアッと白い光が溢れた。慣れた転移の感覚がある。

 光に耐えきれず瞬きした後には、一変した景色が眼前に広がっていた。


 木だ。天をつくような高く太い木が幾本も、アルたちがいる場所を囲むように立っていた。

 アルの足下には大きな平たい石に描かれた転移の魔法陣がある。廊下と魔石の魔力によって描かれたものと同じだ。


「――ここは……?」

『空気中の魔力が濃いな』


 匂いを嗅ぐように鼻を鳴らしたブランが、周囲に視線を巡らせる。アルも真似して観察しながら、なんとなく心地よさを感じていた。


 まるで住み慣れた家のように居心地がいい。初めて来た場所のはずなのに。


「森っぽいけど、魔の森ではないね」

『うむ。魔力が澄んでいる気がする』

「穢れがない感じだよね」


 ここにいるだけで身も心も清められていくようだ。

 ブランと顔を見合わせ、小さく首を傾げる。


 アルたちに敵意を向ける存在は察知できない。むしろ、近くにアルたち以外の生命体がいる気配を読み取れなかった。聖域に似ているだろうか。


『わざわざ手間をかけて転移した先がここか?』


 ブランが拍子抜けしたように呟いた。

 敵意のある存在がいないのはありがたいが、有益性もなさそうな場所に転移したことが気に入らないらしい。


 アルは苦笑しながらブランの頭をポンポンと撫でる。

 この場所に落胆するのは、少し早い気がした。


「何かあるんだよ、きっと。――あれ? 転移の印を感じ取れる……」


 場所の把握のために、なんとなく転移の印を探ると、いくつか反応があった。おそらくノース国近くの拠点と、ドラグーン大公国近くの家に設置したものだ。

 そのことを教えると、ブランの目が丸くなった。


『つまりここは、異次元回廊の外なのか』

「そうだね。というか、距離と方向を考えると……精霊の森?」

『は……なんだと?』


 ブランが驚いているが、それはアルも同じだ。予想外な場所に辿り着いたのだから。


「たぶん僕が訪れたことがある場所より、さらに奥だけど」

『アルは随分と特別待遇で精霊の森の深いところに招かれたはずだが、それより奥なのか……』

「うん。でも、歩いていけば誰かに会うかも」


 アルが精霊の森内で個体として認識している精霊は、マルクトとフォリオ、精霊の王くらいだが。トラルースはまだドラグーン大公国近くにいて、精霊の森にはいないはずである。


『不法侵入を咎められるのではないか?』

「アテナリヤが用意した転移魔法陣を使って来たんだし、そんなことにはならないでしょ」

『まぁ、それはそうだな。あやつらがアルに怒るとは思えんし』


 あっさり納得して頷いたブランの言葉を聞き流しながら、アルは周囲の観察を続けた。

 なぜ精霊の森に転移することになったのかが気になる。なにかしら理由があるはずだ。


「ここ、なんなんだろうね」

『精霊の森だろう』

「……それだけじゃなくて、なんかありそうでしょ」


 真剣に考えてよ、と目でブランを咎めると、スッと視線を逸らされた。


『聞かれても、我が分かるわけがなかろう』

「そうだけど……」


 考えるくらいはしてくれてもいいだろうに、と思ってため息がこぼれ落ちる。


『精霊の森のことなのだから、マルクトなりフォリオなりに聞いてみれば良いのではないか? 精霊なのだから、アテナリヤの思惑について知っている可能性が高い』

「答えてくれるかな」

『あやつらは、アルの問いを無碍にはせんだろう』


 ブランが肩をすくめて呟いた。マルクトやフォリオから寄せられた好意を考えたら、アルも同意するしかない。とはいえ、アテナリヤに関する事柄は、精霊の中でも口外できないことが多いようなので、あまり期待しすぎないようにしたい。


「じゃあ、二人を探しに行こうかな」


 ここで精霊の王を候補に挙げなかったのは、会うのが難しそうだからである。前に会えただけでもありがたいことだったのだ。


『マルクトは引きこもっているのだろうがな』

「あ、そうだね。じゃあ、フォリオさん探しだ。妖精と会えたら、連れて行ってくれそうなんだけど」


 歩き始めたところで、ざわざわと木が風に揺らされるような音がした。アルたちの行く手を阻むように、強い向かい風が吹いてくる。


『急になんだ!?』

「うわっ、待って、前が見えな――」


 口を開けたら落ち葉や枯れ葉が入ってきそうで、喋るのもままならない。なんとか薄目を開けて前に進もうとしても、足が地面に縛り付けられたように動かなかった。


 何かがおかしい。そう思って、後ずさろうとした足はなんの支障もなく動いた。


「あれ? 進めないだけ……?」


 魔法陣が描かれた平たい石に戻る。だが、再び進もうとすると、強烈な風が吹き付けてくる。明らかに人為的な現象だった。もしくは神によるもののような――。


『風というと、知識の塔でのことが思い浮かぶが』

「……リアさんだね」


 アルたちにイービルが用いた魔法陣のヒントをくれた現象を思い出した。

 ブランと顔を見合わせ、これはどういうことだろう、と視線で尋ねる。だが、ブランは難しい顔をするばかりで、答えはなかった。


 それにしても困ってしまう。この石がある範囲――約三メートル四方だけが行動できる場所となると、できることが限られる。そもそもこの場所に転移した意味を探れない。


 どうしたものか、と思いながら歩き回ってみたら、ふと不思議なことに気がついた。


「――こっちに進んだら抵抗がないかも」

『確かに、風が来ないな』


 最初に進もうとした方とは反対側、つまり精霊の森のさらに奥へ向かう方に足を向けたら、これまでが嘘だったかのうようにすんなりと進むことができた。

 あまりにも違いが大きすぎて、罠ではないかと疑いたくなる。


 ブランに視線を向けると、考え込む様子を見せた後『――こちらに進むのが正解だと言っているのではないか?』と言われた。


「正解? 誰にとって?」

『我が知るわけがなかろう。……だが、転移魔法陣を用意した者のことを考えたら、アテナリヤかリアなのではないか?』

「……だよねぇ」


 答えを聞かなくても、アルもなんとなくそうだと思っていた。


『こっちに行くのか?』

「反対側には行けないし」


 抵抗のない方へ歩を進める。ブランが『転移魔法で家に戻ってもいいと思うがな』と呟いているのは聞こえないふりをした。

 何故ならアルは知りたいのだ。アルがここに招かれた意味を。


「――ま、行ってみて、ダメそうだったら帰ればいいでしょ」


 気軽に言って笑うアルを、ブランが横目で睨んでいたが、ため息をついただけで何も言わなかったので了承してくれたのだと受け取ろう。


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