第503話 帰る前に
門の先にあったのは長い廊下だった。白い石が敷き詰められ、窓も明かりもないのに、視界は良好だ。
『門がないな』
「ほんとだ。一方通行ってことだね」
振り向くとすぐに壁が見えた。このような展開は、アカツキのダンジョンでも経験しているから、さほど驚くことでもない。
『……ふむ? ここは魔法を使えそうだぞ』
ブランがボワッと火を吹いた。
毎回、魔法が使えるか試すために火を使うのはやめてほしい。もっと害がない魔法では駄目なのか。
「転移魔法は……知識の塔ならいけそう」
転移の印を感覚で探り、確かな手応えを感じた。これなら問題なく転移魔法を発動できるだろう。
『お、じゃあ、帰るか』
あっさりと提案されて、アルは返す言葉を迷う。ブランの提案が尤もだと分かってはいるが、この廊下の先に何があるかも気になるのだ。
『――アル、好奇心は猫を殺す、という言葉があるのだろう?』
ジトッとした眼差しを感じた。
「……なんでそんな言葉を知ってるの?」
『アカツキが前に言っていた。アルの行動を指して、な』
アルは否定しきれなかった。安全対策はとっているつもりだが、知的好奇心を刺激されて突き進んでしまうことがないとは言えないから。
目を逸らしつつ、とりあえず言い訳してみる。
「これまでそんなことはなかったよ」
『そうだな。我がいたからな』
「今もブランがいるし、問題ないね」
『……そういう話ではない気がする』
ブランはアルが向ける信頼に弱い。頼られると嬉しくなってしまうのだ。
そんな性格をついて、思い通りに行動しようとするアルは質が悪い自覚がある。だが、この場に再び来ることができる確証がないのだから、調べておきたい気持ちを抑えきれなかった。
「ちょっと見て回るだけだよ」
『そのちょっとが、ちょっとではないと思うのは我だけか? それに、我は腹が減った! 早く帰って飯にしよう』
「えー、それなら歩きながら食べるとか……」
『飯くらい落ち着いて食わせろ!』
凄まじい勢いでご飯を食べるブランがそれを言うのか、とアルは思ったが、指摘したら機嫌を損ねてしまいそうだったので口を噤んだ。
代わりに、「それなら、ここで食べよう」と提案する。
「テーブルは置けそうだし」
『わけわからん場所で飯を食うのか……』
嫌そうな顔をするブランに「結界とか張ればいいし。たくさん美味しいご飯を作り置きしてあるんだよ?」とさらにプッシュしてみる。
美味しいご飯、という言葉にブランの耳がピクッと反応したのを見逃さない。
「食べたいよね?」
『……ここに転移の印を設置すればいいんじゃないか? 一旦ヒロフミたちのところに戻ってから、また戻ってこれるだろう』
ふと気づいたようにブランが首を傾げたので、アルは「うーん」とどっちつかずの返事をした。
アルも同じことを考えてはいたのだ。だが、それが実現できる可能性が低いと気づいて言い出さなかった。
「ここ、魔道具が設置できないと思う」
『は? どういうことだ』
顔を顰めながら問いかけてくるブランには、説明するより見せる方が早そうだ。
アイテムバッグから転移の印を取り出し、近くの床に設置する。
「置くのはできるんだけど」
『うむ。……ん?』
アルとブランが見下ろす先で、転移の印がボロボロと崩れていった。
「魔力吸収性のある物質で作られた石材みたいだよ。魔道具内の魔力が吸い取られるだけじゃなくて、物質構成魔力も取られて、物が構造を保てない」
『……それは、アルも危ないだろう!?』
ブランの毛がブワッと逆立った。そして、アルの状態を確かめるように凝視してくる。
それに対して、アルは苦笑しながら肩をすくめた。
「生物には効果が薄いみたいだ。自分で生み出す魔力量が、吸収される量より多いからだろうね」
『うむ? 物質構成魔力も生み出しているのか?』
「そうらしいね。大きな損傷になる前に修復されてる感じかな?」
『……それはどうやって分かったのだ?』
「神眼で」
この廊下に到着してすぐに、ひと通り鑑定していたのだ。すぐに魔力吸収性のある場所だと分かったが、ここにいるだけなら問題はないと判断できたから、ブランには言っていなかった。
ちなみに、明かりがないのに視界が良好なのは、吸収した魔力によって空間自体に淡く光が満ちているからである。とても不思議な仕組みなので、ぜひ研究してみたい。
『……それならそうと、早く言え』
「うん、ごめん」
にこりと笑って謝る。
そんなアルの態度で、ここには本当に危険がないと判断したのか、ブランはため息をついて『飯食うぞ』と呟いた。
「ここの探索をして良いってことだね?」
『止まる気がないのだろう?』
「そうかもね」
『……アカツキたちは帰りを待っていると思うのだが』
アルは目を逸らした。ブランが言っていることは正しい。心配して待っているアカツキたちを早く安心させてあげた方がいいのは、アルも分かっているのだ。
だが、何かがアルをここに引き留めている。ここでしなければならないことがある気がするのだ。
「転移魔法でも、ヒロフミさんにもらった呪符でも、問題なく帰れると思うんだけど……ここであっさり立ち去ったらいけないと思う。勘だけど」
確証はないから、自信なさげな響きの声になった。だが、その言葉を聞いた途端、ブランは呆れた表情を変え、真摯な目でアルを見つめる。
その変化を視界の端に捉え、アルは少しホッとした。ブランがアルの希望を受け入れてくれたと分かったのだ。
『それならば、仕方ないな。だが、あまり長居はしないぞ?』
「分かってるよ。そんなに時間はかからない気がするし」
『また勘か?』
「そうだね」
ブランがため息をついて尻尾をゆるりと揺らした。アルが勘を根拠に行動し始めたことに違和感を覚えているようだが、今は追及しないでくれるらしい。
アルも自分を突き動かす曖昧な感覚に戸惑っていて、問われたところで答えられないだろうから、ブランのそんな態度に助かった。
「――とりあえず、ご飯にしよう」
宣言した途端、空腹を感じた気がする。最後にご飯を食べたのはいつだっただろう。
『肉だ』
「もちろん分かってるよ」
手早く食べることができてお腹にたまる料理はなにかな、と考えながらアルは食事の支度を始めた。
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