第500話 全てが思い通りには進まない
肉食べ放題を望むことも、アルの役に立ちそうな情報を求めることも、対価を払ってまで叶えてもらう願いではない、とブランは結論づけたようだ。
だが、そうなると、願いの権利はどうするのか。
『アル、我はもう願い事なんてないぞ』
「欲が薄いんだか、変なんだかよく分からないね……」
『その発言、我を貶してるだろう』
ブランにじとりと睨まれた。
アルは貶しているつもりはない。正直な感想を呟いただけだ。アル自身、他者に叶えてもらいたい願いはほとんどないので、ブランの思いも理解できる。
「まさか。変わり者同士だなぁとは思ってるけど」
『……アルと一緒にされたくはないが』
「ブランの方が、僕を貶してない?」
食欲よりも知識欲の方がマシだと思うのだが。
とはいえ、そう主張したところでブランが抗議してくる未来しか想像できなかったので、口にしないでおく。無駄な口論は体力気力を損なわせるだけだ。
『ふん。――おい、お前』
アルの言葉を鼻で笑って受け流したブランが、アテナリヤに視線を向ける。
『なんだ』
『我は今のところお前に願うようなものはない。だから、願いができる時まで取っておくことにする』
『……なんだと?』
アテナリヤの声に困惑が滲んだ気がした。アルも、そんなことができるのか、と少し呆気にとられる。
『――願いの権利を未来に後回しにすることを願う、ということか?』
『お前はあくまでも願いという意味でしか他者の言葉を受け取れないのか?』
ブランは呆れた表情で、質問に質問で返した。確かにアテナリヤの言葉は融通のきかなさが表れているようで、アルも苦笑してしまう。
『それがここでの役目であるがゆえに』
アテナリヤの答えは簡潔だった。理に自ら縛られているアテナリヤらしいと思う。
それほどまでに、試練を乗り越えた者の願いを叶えることが重要なのだろうか、という疑問も生まれたが。
「願いの後回しを願ったら、どうなるのですか?」
話を進めようとアルが口を挟むと、アテナリヤの無感情な目が揺れ動いた気がした。
『……さて。そのようなことを願う者は、これまでにいなかったからな』
悩むような沈黙が落ちる。アルは口を閉ざしてアテナリヤの言葉の続きを待った。
ブランは早々に飽きて、頭を掻いて毛繕いをし始めている。アテナリヤから害意を感じないとはいえ、気を抜きすぎな気がする。
ジトッと睨むアルに気づいたブランが、そっと目を逸らしたのを合図にしたように、アテナリヤが再び口を開いた。
『――願いが世界に影響を与えない以上、生じるべき対価は存在しないだろう。叶えるべき願いが定まった時、対価の支払いが必要となる』
「へぇ、思っていたより良心的……」
アルはぱちりと目を瞬かせ、思わず感想をこぼしていた。
この分だと、叶えてもらえる願いの数を増やしてくれと願っても、対価次第では可能になる気がする。
『対価とは世界への影響力と相関するのか』
意外そうにブランが呟いた。それに関しては、アルが元々予想していた事情だったので、軽く肩をすくめて聞き流す。
世界の保全をする役目を担っている創世神が願いを叶えると言うならば、それによって世界に生じるだろう影響を、対価という形で相殺していてなんの不思議もない。
「そんなものでしょ。ブランが納得したなら、さっさとアカツキさんたちのところに戻ろう」
アテナリヤにもう用はない。となると、一刻も早く、心配して待ってくれているだろうアカツキたちの姿を思い出して、安心させたいと思う。
『うむ、そうだな。我の願いはそれでいい。――だが、どう帰ればよいのだ?』
ブランがアテナリヤへの関心を一気に失い、くわっとあくびをした後に首を傾げた。
アルもそこでハタと考え込む。ここがどこかも分からないのだから、帰り道なんて知っているはずがない。
ちらりとアテナリヤに視線を向けると、こちらもすでに役目は終えたとばかりにアルたちへの関心をなくした様子だった。その姿が空間に溶けるように消えつつあるのを見て、アルは目を見開く。
「え、もしかして、このまま立ち去るつもりですか? 僕たちはどうすればいいんです?」
問いかけてみるが、アテナリヤは視線一つすら寄越さなかった。完全に放置である。
ブランも『おい、答えろ!』と声を張り上げ訴えるが、状況を変えるにはあまりにも小さな抗議だった。
「……うわぁ……本当にいなくなっちゃった……」
先ほどまでアテナリヤがいたところには、もはや痕跡すら残っていない。そして、アルたちが帰り道を見つけられる気配もない。
『冷静に分析してる場合か! 我らはこのどことも分からない場所に閉じ込められたようなものだぞ?!』
キャンキャンと喚くブランの苛立ちを宥めるため、頭を撫でてやった。
ブランと違って、アルに余裕があるのは、まだ帰るための方法が残されていると感じるからだ。
「落ち着いて。まずはできることを試してみよう。これとか」
『なんだ、それは?』
アイテムバッグから取り出した紙を指先で挟んで振ってみる。ブランはきょとんと目を丸くしていた。
まさかもう忘れているというのか。アルは少し呆れてしまった。
「アカツキさん経由でヒロフミさんにもらった呪符だよ。転移の効果があるはず」
『……うむ! やってみろ』
「ブラン……」
『なんだその目は。我は忘れていたわけではないぞっ? アルが楽観的だから、気を引き締めてやろうと思ってだな――』
もごもごとした口調で言われても、嘘っぽさが増すだけだ。別に、ブランが忘れていたところで、いつものことだと思うだけなのだが。
「まぁ、どうでもいいけど」
『どうでもいいとはなんだ?! 我を蔑ろにするんじゃないぞ!』
「してないしてない」
『その口調が嘘っぽい!』
先ほどとは違う理由でキャンキャンと抗議してきたので、アルは片耳を塞ぎながら呪符を見下ろした。
ブランはもう転移で帰れるものだと思い込んでいるようだが、それが実現されるかどうかは五分五分の賭けだとアルは判断している。何故なら――。
「転移魔法は無理みたいだからなぁ……」
『ん? 何と言った?』
ブランの勢いがピタリと止まった。喧しく鳴いていても、アルの声は聞き逃さなかったようだ。
アルは改めて現状をブランに説明することにする。
「転移魔法はここで使えないみたいだ、って言ったんだよ」
『は? ……そういえば、アルの転移魔法が使えるならば、わざわざヒロフミが作った呪符に頼る必要はなかったのだったな』
ブランの顔が引き攣ったように見えた。
しばらくして、状況を理解したブランが、虚空に向かって口を開く。だが、それによって何かが生み出されることはない。それはアルの予想通りだった。
『――我の能力も使えんではないか!』
「だよねぇ」
『何を落ち着いて受け入れているのだ!』
「うーん……転移魔法で帰れないこと以外は、脅威が存在しなさそうだからかな?」
『……確かに魔物などが現れることも、この空間が我らごと消滅しそうな気配もないが』
ブランはそう応えながらも、目で『だからといって、もう少しくらい焦るべきだろう? 何より、自力で帰れないという状況は危機的なものであると判断すべきだぞ?』と訴えてくる。
いくら『楽観的め!』と怒られようと、ブランが傍にいるなら最終的にはなんとかなると思っているアルには、痛くも痒くもない訴えなのだが。
「でしょう。というわけで、呪符を使ってみるよ」
『……なんだか楽しそうだな。ヒロフミの
「そんなまさか」
真剣に首を横に振る。ブランの言葉がアルの本心を言い当てていようと、素直に頷いてはいけない場面だという判断くらいはできるのだ。
ブランは『極めて疑わしい』と言いたげな目だったが、ため息をついて追及を諦めてくれた。
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