第499話 対価の悲しみ
アルの視線を受けて、ブランが拗ねた様子で尻尾を揺らす。
『肉食べ放題だぞ? 素晴らしい願いではないか!』
「それで対価があったら、馬鹿らしくない? お肉を食べようと思ったら、自分で狩った方がリスクが低いでしょ」
当然の主張だった。ブランが『うっ……』と言葉に詰まるのを見て、アルはため息をつく。
『願いは肉食べ放題か?』
訪れた沈黙を埋めるように、アテナリヤが尋ねてくる。
その声に感情は籠もっていないはずなのに、どこか呆れた印象を受けるのはアルの心持ちのせいだろうか。
アテナリヤの無表情を見つめ、アルは目を細めた。
『うぅむ……もしそれを願ったら、対価はどうなる?』
これ以上なく悩ましげにブランが呟く。そんなに肉食べ放題とは惹かれるものなのか、とアルは心底呆れてしまった。
『お前が大事にする者の命、にしようか』
僅かに緩んでいた空気が一気に緊張感を帯びた。
アルはアテナリヤの言葉を疑い、まじまじと見つめる。そうしたところで、アテナリヤの言葉が変わらないとは分かっていたが、あまりの衝撃を受け流せなかったのだ。
『っ、それは対価をとりすぎではないか!?』
対価として不平等だ、と主張して声を荒らげるブランに、アテナリヤの表情は変わらない。
『肉は元々命だったもの。それを大量に消費するのだから、命が対価になるのは当然だろう』
『なっ!?』
ブランが言葉を失う。
その様子を横目に、アルは少し納得していた。
命の対価が命。その言葉だけを聞けば、当然な気がする。むしろ、失われる大量の命に対し、ブランの大事な者の命だけを奪うと限定しているのだから優しいくらいだ。
そして、ブランの永遠の命という罰をなくすという願いのために、クインがほぼ永遠に自由を奪われることになったのも、等価と言えるのだと気づいた。
対価だけとって、願いが一切叶っていなかったのはどうかと思うが。
「情報を望むのは、比較的安全ってことかな……」
アルはぽつりと呟く。
情報の対価は情報、というわけではなかったが、軽めの対価なのは事実だろう。
『……つまり、我も願うならば情報が良いということか』
「ものによりけりだろうけどね」
肉食べ放題という願いを捨て去った様子のブランが不満そうに呟くので、アルは苦笑しながら宥めるように返事をした。
ポンポンと頭を撫でると、ぐいぐいと押し付けられる。随分と拗ねているようだ。
しばらくアルと戯れたブランは、気分を切り替えるようにため息をつき、座り直す。そして、アテナリヤをじっと見据えた。
『お前より上位の存在……人間であったリアを神であるアテナリヤに変じさせた者の情報を知るために、どのような対価が必要だ?』
空気が一気に重みを帯びた。真剣な声音のブランを、アルはちらりと見下ろしてから、アテナリヤに視線を向ける。
アテナリヤは僅かに目を細めていた。やはり、呪術神(仮定)の話には、アテナリヤの中に残る微かな感情が刺激されるようだ。
『深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』
『急になんだ?』
ブランがぱちりと目を瞬かせる。アルも、唐突に関係のない話をし始めたアテナリヤに首を傾げた。
だが、アテナリヤにとってはブランの問いへの答えに繋がる言葉だったようで、再び
『知るということは、そのものになり得る可能性を身に受け入れることと同じ』
『うむ?』
『そなたは神になる覚悟はあるか?』
息を呑んだ。それはアルだけでなくブランもだ。
唐突に問われた覚悟の意味を理解し、アルはブランと顔を見合わせる。
「……それは、つまり、神になる過程やそれを行わせる存在を知ると、僕たちもあなた同様に、どこかの世界の神になる可能性がある、ということですか?」
慎重に尋ねる。アテナリヤが不意に視線を彷徨わせた。
『可能性はある。そして、その可能性こそが対価になろう。知れば、変化を避けるすべはない』
アテナリヤはどこか疲れた雰囲気だった。
その様子を見て、アルは悟る。アテナリヤが今語っているのは、過去に彼女自身に起きた出来事なのだ、と。
「……あなたは、知ってしまったんですね。その危険性を理解することもなく」
語りかけたアルをアテナリヤが静かな眼差しで見つめた。
『もはや始まりのことなど、ほとんど覚えていない。……だが、そうだな。ただの人であった頃の【私】は、身の程を越えた願いの対価に、知ることを強要され、変化せざるを得なかった』
初めてアテナリヤが自分のことを語るのを聞いた気がする。人としての感性のほとんどを捨て去ったとしても、残るものはあったのだろう。それほどまでにアテナリヤの中に刻み込まれている悔恨なのだ。
「あなたは何を願ったんですか?」
アテナリヤの言葉の中で一つ引っかかった言葉について尋ねる。
おそらく今アルたちがしているように、かつてのアテナリヤ――人間であったリアは何かを上位の存在に願ったのだ。その対価が異世界の神になることだとは知らずに。
『……なんだったのだろうな』
答えは曖昧で頼りなげな言葉だった。長い年月の中で忘れてしまったというより、自ら忘れたことにした、というのが正しい気がする。
アルはふと、リアのことを思い出す。
アカツキの婚約者であったリアは突然命を落とすことになった。その際に願いを問われたとして、なんと答えるだろう。生き返ることは不可能だったはず。それならば――?
「アカツキさんに関すること、とかですかね?」
アルがそう呟いた瞬間、アテナリヤの気配が揺らいだ気がした。
ハッと息を呑んで見つめる。黙っていたブランも、警戒した様子でアテナリヤを凝視した。
アテナリヤは強く目を瞑る。しかし、その後開かれた時には、風のない湖面のような静かな眼差しに戻っていた。
『そうかもしれないが、もはやどうでもいいことだ』
否定しないことが答えであるように思えた。だが、アルはそれ以上問うことはできなかった。アテナリヤがあまりに脆く、尋ねたら壊れてしまいそうに見えたから。
『……我は神になるつもりはない。だから、お前より上位の存在を知ることを願わない』
ブランが宣言する。これ以上、アテナリヤの事情を深堀りするつもりはないと意思表示するような言葉だった。
その言葉を受け止めたアテナリヤは、静かに『そうか』と頷く。感情を窺えない眼差しが、アルとブランを眺めゆっくりと瞬いた。
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