第498話 願いを考える
アテナリヤを見据える。静けさを保った表情が、アルをより冷静にさせた。
『願いは叶ったな』
「はい。十分に」
脳に刻まれるようにしてもたらされた膨大な情報を思い起こし、アルは目を細める。
願いを上回るほどの情報量だったと思うのだが、これはアテナリヤのサービスだと思うべきか。
押し売りで対価を増やされることになったら、全力で抵抗するつもりはある。そのためには、アテナリヤの意思を確認しなければならない。
「――対価は事前の約束通り、サクラさんたちがいなくなった後に、異次元回廊の管理主として役割を果たすこと、でいいですね?」
ブランの頭を撫でながら尋ねる。アルが隠した警戒心を察したのか、ブランも注意深くアテナリヤの様子を観察しているようだ。
『是』
答えは簡潔で分かりやすかった。
一方で、それがアルにもたらした安堵感は大きい。クインという前例を知っているから、どうしてもアテナリヤを信用しきれなかったのだ。
だが、ここまでのアテナリヤはアルたちを罠に掛けるような言動はほとんどなかった。少しは信用してもいいのかもしれない。
アルがそう思ったところで、アテナリヤの目がブランに向く。
『何だ?』
ブランが訝しげにアテナリヤを見つめ返し、首を傾げた。
『そなたの願いを聞こう』
『……ん? ああ、そうか。我ら一人ずつに、願う権利があるのだな』
「そうだったね。ブランが試練を乗り越えたっていう気はしないけど」
『ここまで辿り着いたことで、権利が生じているということじゃないか?』
本物のブランを見極めたアルとは違い、ブランはアテナリヤから何らかの試練を受けたようには思えない。
とはいえ、アテナリヤが願いを聞き届ける姿勢を見せているのだろうから、ブランが願い事をしても問題はないのだろう。
「そうだね。それで、ブランは何をお願いするの?」
『うぅむ……アルはどうするべきだと思う?』
悩んだ様子のブランに聞かれ、アルも首を傾げる。
しいて言うなら、先ほど話題に上がった呪術神(仮定)に関する情報を得ることだろうか。
だが、アテナリヤより上位と思しき存在を知るために必要な対価が予想できない。重い対価が生じるとして、アルはそのようなものをブランに背負わせるつもりは毛頭なかった。
黙り込むアルを見上げ、ブランが目を細める。
『――アカツキたちの帰還に必要な情報は、すでに十分にあるのだな?』
「うん。それは問題ないと思う」
アルはすぐさま頷いた。
まだ膨大な情報を整理しきれていないが、異世界の存在に干渉するすべは、もうアルの手の内にあると言ってもいい。数度の試行をすれば、可能だろう。
『それを行うにあたって、障害になるものはないか?』
「障害?」
『術の行使で、アルに負荷は掛からんのかと聞いているんだ』
ブランは真剣な表情だった。アルはその目を見つめ、口元を綻ばせる。
アルの安全に細心の注意を払おうとするブランの思いが嬉しかったのだ。少しでも負担があると言ったなら、ブランは即座にそれをなくすことをアテナリヤへの願いにするだろう。
「……ないよ。うん。結構魔力がたくさん必要だろうけど、僕の魔力量を考えたらギリギリ足りると思うし」
『ギリギリ?』
ブランの鼻面にシワが寄る。アルは苦笑しながら指先でくすぐり、シワを伸ばそうとした。
「そうだね。アカツキさん、サクラさん、ヒロフミさんの三人を送り返すのは問題ないと思う。ただ、他の魔族の人を、となると時間を置いて魔力を回復させてからになるかな」
自分の魔力量と異世界に干渉するために必要な魔力量を比べて、アルは冷静に判断する。ブランが不満そうに顔を顰めた。
『それは問題になるのではないか?』
「どうだろう? ヒロフミさんたちが他の魔族の説得をできるなら、大丈夫だと思うけど」
当代の先読みの乙女であるジェシカが予言したように、アカツキたちを早々に帰還させた後、アル一人で他の魔族に接触することになったなら、おそらく不可能であっただろう。
だが、その未来はすでに回避されているようなものだ。ジェシカの予言により、ヒロフミたちはすぐさま帰還することを選ばないだろうから。
『……ふむ。ならば、願いをそれに使う必要はないのか』
「うん。――ブランは自分のことに、願いを使おうとは思わないの?」
アルはふと思い当たったことをそのまま言葉にした。かつてクインが望んだ願いを、ブラン自身が叶えようとしても構わないはずだ。
ドラゴンを倒し食らったことで、アテナリヤから科せられた永遠の命という咎。それをブランがなくしたいと思っていないのか、アルは純粋に疑問に思った。
ブランはアルを見上げ、緩やかに尻尾を揺らした。
『ないな。我は永遠に生きることを歓迎しているわけではないが、アルと過ごすことを気に入っている。アルがどれほど生きるか分からんのに、下手に永遠の命を捨てるような真似をして、アルを一人にするわけにはいかないだろう』
「ブラン……」
アルは目を見張り、ブランを見下ろした。さも当然と言いたげな口調で放たれた言葉の重みが、アルの胸にのしかかってくるように感じる。
だが、それは優しく温かな重みだった。いつも肩の上に感じるものと変わらない。
感激しているアルを見て、ブランは急に照れくさくなったのか、プイッと顔を背けた。そして早口で言葉を続ける。
『それに、母の願いを叶えるつもりがなかったのを考えると、そう願ったとして上手くいくとは思えんしな!』
「あぁ、それは確かに……」
ブランの言葉はその通りで、アルはアテナリヤをちらりと見やった。
アテナリヤはアルたちの会話が聞こえていないはずもないのに、素知らぬ顔で静けさを保っている。アルやブランがどのような選択をしようと、どうでもいいと言いたげだ。
アルは小さくため息をつく。
上手いこと最初の目的である異世界への干渉法を知ることができたが、次もそうなるとは限らない。やはり油断は大敵だろう。
そうなると、リスクを回避するために、ブランはアテナリヤに願い事をしない、という手もある。
ブランと目を合わせると、同じことを考えているのか、複雑な表情で唸った。
『願い事をしないのももったいない気がする。せめて、肉食べ放題とか……』
「それはそれでどうなの?」
ブランらしいとはいえ、神に願うのに相応しいとは思えない願いに、アルは呆れてしまった。
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