第497話 情報の奔流

 アテナリヤの感情に思いを馳せるアルとは違い、ブランはキャンキャンと対価について文句をつけていた。

 そんなことをしてどうなるものでもないだろう、とアルは思ったが、ブランが心配してくれているのを感じ取れるから、つい胸が温かくなる。


『母だけでなく、アルまで縛り付けようとするとは、許さんぞ!』

「ブラン、落ち着いて。そんなにひどい対価じゃないと思うよ」

『なんだと!?』


 ブランの視線がアルに向けられる。今度はアルが文句を言われる番らしい。

 心配してもらえるのは嬉しいが、キャンキャンと喚かれるのは正直遠慮したい。だから、アルはブランの勢いを封じるように、手のひらを突き出して待ったをかけた。


「僕の話を聞いて」

『……なんだ』


 グルッと唸りながらも、耳を傾けてくれたブランに微笑みかけながら、アルは自分の解釈を説明することにした。


「アテナリヤはサクラさんたちの代わりに異次元回廊の管理者になることが対価だって言ったでしょ?」

『そうだな』

「ブランは、サクラさんたちに自由がないと思う?」

『それは当然――』


 反駁する勢いのまま口を開いたブランが、続く言葉を失った様子でパチリと目を瞬かせた。

 アルは穏やかに微笑みかける。ブランはもうアルが言いたいことを分かっているはずだ。


「管理者の一人であるヒロフミさんは、長い間異次元回廊を離れていたよね」

『……サクラがいたからな』

「うん。それはあると思うけど、そのサクラさんも、多くの時間を眠って過ごして、管理者としての役割をほぼ放棄していたよ」

『……代わりの存在がいた。ニイだ』


 ヒロフミによって作られたニイはサクラたちに代わって異次元回廊を管理するだけの能力があった。そして、そうやって管理者がいさえすれば問題ないのだと、アテナリヤは暗に許容していた。


「僕が管理者の立場になったとしても、同じなんじゃないかな。ニイのように、僕の代わりに管理してくれる存在がいたら、僕がずっと異次元回廊にとどまる必要はないと思う。――そうではありませんか、アテナリヤ」


 黙り込んだブランからアテナリヤに視線を移して問いかけた。ブランも推し量るような目を向けている。


 アテナリヤは変わらない表情のまま『是』と告げた。


「やっぱり。それなら問題になるような対価ではありませんね」

『だが、その状況を許容できるのは、きちんと管理できる存在を生み出せるという条件下でのことだ』


 アルは肩をすくめた。ニイのような存在を作れるかと考えると、少し難しい気はする。だが、ヒロフミからある程度理論を聞けば、それを応用させることで可能になるだろう。これは根拠のない自信ではなく、これまでの経験から得られた感想だ。


 ブランはそんなアルの考えを読み取ったのか、ホッと息をついて緊張をといた。


『ふむ。アルならば問題なかろうな』


 難度の高さは理解していなくとも、アルの実力に高い評価をしているブランは、当然というように頷く。

 そこまで信頼されると、アルは反応に困ってしまった。期待が重いと呻けばいいのか、厚い信頼を喜べばいいのか。


「……そうだね」


 結局、軽く頷いて受け流し、アルはアテナリヤに視線を据える。

 第一目的は果たせそうだと思うと、自然と笑みが浮かんだ。


「――対価には納得できましたし、異世界に干渉する術を教えてもらうことを、僕の願いにしたいと思います」

『分かった。そなたの願いを叶えよう』


 気負いなく告げたアルに、アテナリヤも軽く返す。

 一体どのようにして知識を教えてもらえるのだろうか、とアルが考えた矢先に、頭に熱を感じた。


「っ、ぐっ……!」


 頭が煮えるようだ。

 あまりの熱に、アルは頭を抱えてうずくまった。


『アル!?』


 ブランが駆け寄ってくる気配を感じたが、視線を向ける余裕すらない。きつく瞑った目蓋が、痙攣するような感覚がある。

 凄まじい速度と物量で、脳内に情報が押し寄せた。


 次々に浮かび上がる魔法陣。オリジネが見せてくれたウチュウのような光景。そこに存在する一つの光。それはワクセイ――地球という名を持つ惑星だ。


 アルが知り得なかった情報が、植え付けられていく。それは熱と痛みを持ちながらも、アルに世界が広がるような興奮を齎した。


 新しいことを知る。その快感を、アルは昔から求めてきた。知的好奇心の強さは、ブランも呆れながら認めるアルの長所――時に短所である。

 その知的好奇心が瞬時に満たされ、さらに飽くことなく強まっていくのを感じ、自分のことながら呆れて苦笑してしまった。


『おいっ、お前! これはどういうことだ!? アルがなぜ苦しんでいるのだ!』


 ブランがアテナリヤに抗議する声が、遠くに聞こえるようだった。


 深く知りたいと思った途端に開示されていく真理に、アルの心の大半は囚われていて、いまだ抜け出せない。抜け出そうとも思えない。たとえ知ることが苦しみを齎しているのだと理解していようと。


『人の脳の領域には限界がある。人知を超えることを知ろうとするならば、相応の痛みが生まれる』

『っ……それで、アルに後遺症は出ないのか?!』

『対価以上のものは求めない』


 苛立つブランの声と、静けさを保ったアテナリヤの声。相反する二つの声が鼓膜を揺らし、アルはパチリと目を瞬かせた。


 ゆっくりと痛みが引いていく。アテナリヤがアルに与えた情報が尽きたのだ。それをひどく残念に感じてしまった。もっと知りたかった。この世のすべてを理解したならば、どれほどの興奮がアルを満たしただろうか。


『アル!』


 目の前にブランの顔が飛び込んできた。心配そうな眼差しに見つめられ、アルはすぐさま抱いたばかりの感情を捨て去った。

 残念がっている場合ではない。目的は果たしたのだ。それ以上を求め、愛すべき相棒に過大な心配をかけることを、アルは自分に許せない。


「……大丈夫だよ」

『本当か? 痛いところは?』

「全然。一気に痛みがなくなったよ。脳が情報を処理するために働きすぎて、痛みになっていたのかも。もう情報を理解できたから、問題ない」


 体を起こす。慎重に自分の体調を探って、やはり異常はないと判断した。そして、嵐のようだったな、と思い返す。

 これほどの痛みが訪れるならば、一言予告してもらいたかった。アテナリヤにそんなことを望めるとは思わないから。


『それならば良いが……』


 ブランはそう言いながらも、アテナリヤをギロッと睨む。言葉ほどには納得していなさそうだ。

 アルは苦笑しながらも、心配してくれたブランに感謝を告げるように、ブランの頭をポンと軽く撫でた。


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