第496話 対価の提示

 仮名・呪術神。その存在について理解することが、アルたちの利益になるかは分からない。


 この世界には知らないでいた方が良い事実も存在すると思うのだ。藪をつついて蛇を出す、なんてことになったら困ってしまう。

 だが一方で、創世神より上位の存在を知ることが、アルたちの目的を達成するための役に立つ可能性はある。


 アルたちの目的とはすなわち、異世界にいるアカツキたちとこちらの世界のアカツキたちを融合させること――平穏な形での帰還である。


「ちょっと考えさせてください。あ、これは叶えてほしいお願いではありませんけど」


 アテナリヤに頼むと、鷹揚に頷かれた。アルが一応付け足した言葉を気に留める素振りはない。ここまで念入りに防御線を張る必要はなかったかもしれない。


『どうするのだ?』

「とりあえず、第一目的を達成できるか試してみようよ。たぶん、試練を突破したのは僕とブランの二人で、それぞれにお願いを叶えてもらえるんだと思うし」

『ほー……では、それを確かめておくか』


 ブランとこそこそと小声で相談する。

 とはいえ、アルたち以外に物音一つ存在しないこの空間では、その小声すら大きく響いているように感じられる。それに、ここはアテナリヤの領域内だろうから、内緒話なんてできると思わない方が良さそうだ。


「そうだね」

『うむ。――おい、お前。叶えられる願いは、我とアルで一つずつだと考えていいな?』


 偉そうな感じでアテナリヤに問いかけるブランに、アルはつい苦笑をこぼした。

 アテナリヤが小さなことはこだわらない性質だから許されているが、そうでなければブランはここから追い出されていても仕方ないと思ったのだ。


『さよう』

「願いを叶えてもらうことに、対価は生じますか?」


 クインの事情を知っていたから確認をし忘れていたが、アルは念の為尋ねてみた。

 アテナリヤがじっとアルを見据える。


『願いの大きさによっては、対価が生じることもあろう』

「小さい願い――叶えやすいものなら、対価は生じない、という理解でいいですか?」


 予想外の答えだった。アルはきょとんとしながら聞き返す。アテナリヤの答えは『是』だった。詳しい説明はしてくれないらしい。

 ブランと視線を合わせ、首を傾げる。


「どれくらいの願いなら、無償で叶えてくれるのですか?」

『さて。それは望まれてみなければ分からない』


 説明を求めても、やんわりと拒否された。アルは眉を顰め、「それなら――」と口を開く。


「アカツキさんたちの出身地、異世界にいる本人たちと、この世界にいる彼らを融合させる術を教えてもらおうと思ったら、対価はどうなりますか?」


 ブランが目を細め、警戒しながらアテナリヤを見据えているのが視界の端に映る。ここでアテナリヤがアルに危害となりえることをしようものなら、ブランは襲いかかってしまうだろう。それくらいの決意とやる気に満ちた姿だった。


『……ふむ。それは非常に難しい。故に、大きな対価となろう。そうだな――そなたの時を五百年ほどもらうことになるかもしれない』

「五百年……」


 突拍子もないほどに長い年月を言われ、アルは目を丸くした。人間より長い寿命になっている可能性があると理解はしている。だが、対価として五百年もあげられるほどの寿命があるとは自覚していなかったのだ。


『その五百年。ただアルから寿命を奪うという意味ではないのだろうな。我が母のように、身の拘束も含んでいると考えても良いはずだ』


 ブランがアテナリヤをじろりと睨む。尻尾が不愉快そうに振られていた。

 アルはその言葉を聞いて、なるほどと頷く。クインがアテナリヤと交わした契約には明確な年月はなかったようだから、今回提示された契約は多少優しいと考えてもいいかもしれない。


「感知できない寿命を奪われるならともかく、自由を奪われるのは困りますね」

『そうか』


 アテナリヤは軽く頷き、『では』と言葉を続ける。


『他の対価も検討しよう。だが、願いが変わらなければ、対価の大きさも変わらない』


 どのような対価になったとしても、アルが困ることになるのは確定事項のようだ。これは願い自体を変えた方が良さそうだ。


「うーん……それなら、異世界に干渉する術を教えてもらう、という願いの場合、対価はどうなりますか?」


 アルなりに、願いを小さくしてみた。異世界に干渉する術が分かれば、帰還の術を自ら見いだせるかもしれない。


 アテナリヤはゆっくりと瞬いた後、小さく首を傾げる。


『ふむ……それならば、いずれ空くだろう管理者の立場を百年ほど務めてもらおうか』

「管理者の立場?」


 言葉の意味を瞬時に理解しそこねたアルは、反射的に尋ね返した後にハッと息を呑んでアテナリヤを凝視した。

 ブランがグルッと険しい鳴き声を上げたのが聞こえてくる。


「――それは、サクラさんたちに代わって、ということですか」


 確かめるように呟く。

 アテナリヤが任じ、いずれ空く可能性がある管理者の立場とは、異次元回廊やアカツキのダンジョンくらいしか思い浮かばなかった。

 候補としてはシモリや放棄された塔の可能性もあったが、そこの管理者の立場が空く未来が訪れるとは思えないのだ。


『さよう。世界が健やかにあるために、異次元回廊の存続は欠かせない。追加で創った空間は、放棄してもかまわないが』


 追加で創った空間とは、アカツキのダンジョンだろう。あの空間は、アカツキを閉じ込めておくために用意されたもののはずだからだ。


 異次元回廊は世界の魔力を調整する役割を持っているので、安易に消しされるものではないし、誰かが管理する必要がある。


『……アルをあの地に縛るつもりか!』


 唸るような声が聞こえた。ブランが鋭い眼差しでアテナリヤを睨み、牙を剥いている。

 だが、ブランの威嚇を受けても、アテナリヤの表情は一切変わらなかった。脅威を感じていないのだろう。まるで地面を這う虫を眺めるような、無感動な眼差しだ。


『それが対価であるならば致し方ないだろう』


 アルはそんなアテナリヤの表情を見て、リアとの違いを大きく感じた。人としての感情を捨て去るというのは、こういうことなのだとまざまざと理解したのだ。


 感情を捨て去ることで、アテナリヤは――リアは幸せになったのだろうか、と詮無き疑問を抱いてしまう。

 世界を守るために思い悩む苦しみから逃れる術として選んだ行為だったのかもしれないが、それによってアテナリヤは何かを得られたのだろうか。幸せすらも感じられなくなっているだろうに。


『――余計な思考を好むのだな』


 アテナリヤの視線がアルの顔に注がれ、一瞬後にはどうでも良さそうに逸らされる。

 その姿がなんだか悲しくて、寂しくて、アルは苦く微笑むしかなかった。


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