第495話 アルの生き方

 人間のような寿命を迎えられない。

 そう初めて聞いた時は衝撃を感じたが、落ち着いて考えてみると、それが大したことではないように思えてくる。


 アカツキたちやブランのように永遠に生きるとなれば少し嫌だが、精霊の要素を取り込んでいるアルは、多少の長命くらいでへこたれるような精神性ではない気がするのだ。少なくともアカツキのように、精神を病みかけることはないだろう。


 そう思えるのは、アルにはブランが傍にいてくれるというのが大きい。

 たとえ長く生きようと、その人生は常にブランと共に過ごすことになるだろう。孤独はない。世界を旅して回れば、生きていることに飽きるということもなさそうだ。


「全然、問題ない気がする……?」


 思考が口からこぼれ落ちた。聞き逃さなかったブランが胡乱げな眼差しを向けてくる。


『何がだ』

「長く生きることだよ。ブランと一緒にずっと旅して回るのは楽しいだろうなぁって思って」


 長い生には付きものの、親しい人が亡くなるのを見送るということも、アルの限られた人間関係を思えば、さほど重荷にはならないだろう。ますます長命であることがどうでもいいことのように思えてくる。


『なんであっさり受け入れているんだ……』


 ブランの呆れたような眼差しが刺してくるが、アルは軽く肩をすくめた。

 長命であることを気にしないのは、精霊的な性質が表れた結果なのかもしれない。それでも、アルは困らない。


「元々、人としての生き方にこだわってなかったし。楽しく生きられたら、その長さはどうでもよくない?」

『お前はいつも興味のないことに対しての感情が薄くなる。それも精霊の性質のせいか』

「そうかもね」


 アルが頷くと、ブランはため息をついた。だが、もう文句を言う気はないようだ。


『……アルがそれでいいならば、我も気にしないが』

「実は嬉しい?」

『何故だ』

「僕と長く一緒にいられるかもしれないから」


 ふと思い至ったことを呟くと、ブランが沈黙した。否定しきれないらしい。肯定もしないが。

 思わず微笑むアルから、ブランはプイッと顔を背ける。


 そんなアルたちを、アテナリヤは無感動な眼差しで眺めていた。どうでもよさそうだが、止めもしないのだから優しいと考えてもいいだろうか。


 アルは横目でアテナリヤの様子を観察しながら、僅かに目を細める。

 最初に恐れたほど、アテナリヤのことを危険視しなくてもいい気がした。これが、アテナリヤなりの油断を誘うための策略だとしたら、アルは見事に引っかかっていることになる。


『一応聞いておく。アルが精霊寄りになったとして、なんらかの支障は生じるのか?』


 ブランがアテナリヤを見据え尋ねた。


『何を支障とするのか』

『あー……人っぽく生きること、とかか?』


 首を傾げたブランに、アテナリヤは『それならば支障が生じると言えるだろう』と答えた。アルはブランと顔を見合わせ眉を寄せる。


「それは、どのような?」

『人間は異なる生き物を忌避する。老いるのが遅い存在を受け入れることはないだろう』


 言われてみればすぐに納得できた。

 人間と精霊は住処を分けて生きている。混じり合うことはほとんどない。アルが一つの街にとどまれば、老いるのが遅い姿に疑問を持たれ、避けられることになるだろう。それだけでなく、攻撃されたり追い出されたりすることもあり得る。


 だが、それはアルが人間の傍で暮らしたら、の話だ。ブランと共に旅暮らしをするなら、全く問題ない。


「その程度でしたら、気にしなくても良さそうですね」

『……アルがそう言うならば、今のところはそれでいいが』


 にこりと笑って告げたアルを、ブランは半眼で睨んだ後にため息をついた。

 アテナリヤはアルたちを見つめ、僅かに首を傾げる。


『それを願いにしなくてもよいのか』


 アルはぱちりと目を瞬かせた。全く考えていなかったことを聞かれたからだ。ブランが『なるほど』と呟く。何に納得したのだろうか。


「何がなるほど?」

『アテナリヤがどうにも丁寧に答えてくれるものだと奇妙に思っていた。だが、それによってアルの願いを導こうとしていたのだと理解できたのだ』


 言われてアルも気づいた。

 アテナリヤがアルの【精霊寄りになった性質】について質問に答えてくれたのは、その性質の改善をアルが望むことを期待してのものだったのだ。


「そうなんですか?」


 アルがアテナリヤを見やると、返事は来なかった。それは図星だったからだろうか。アテナリヤの無表情からは考えが読み取れないが、アルは好きなように理解することにした。

 ――つまり、やはりアテナリヤとの話は油断ならない、と。


『……結局、お前はアルによって目覚められたことへの礼を言わぬのだな』


 ブランはアテナリヤの思惑にのせられていたことに憮然とした表情で、話題を始まりに戻した。アルはそんなに気にすることではないと思うのだが。


『すべては流れの中に存在した事象に過ぎない』


 アテナリヤが言う。それは、アルがアテナリヤを目覚めさせたことは必然であったということを意味していた。


 アルは純粋に疑問を感じ、面白くなった。世界を創り出し、全能に近い存在であるはずの神でさえも流れの――言い換えると運命の――影響下にあると宣言されたのに等しいからだ。いったい誰が定めた運命なのだろうか。


 そこまで考えたところで、ふと新たな【神】の存在を思い出す。アテナリヤから分かたれたイービルのことではなく、人間であるリアを神であるアテナリヤへ変化させた謎の存在のことだ。

 アルたちはそれを【呪術神】と仮定している。


「その流れを決めたのは誰ですか?」


 問いかけたアルをアテナリヤがじっと見つめた。まるで思考のすべてを読み取られているような感覚がする。


 ――それは勘違いではないかもしれない、とアルは思った。人の考えを読み取ることは、アテナリヤにとって不可能ではないはずだから。オリジネができたことを、アテナリヤができないとは思えない。


『……ほう。そなたたちは、かの存在に気づいているのか』


 アテナリヤの無表情が崩れた。それが驚きなのか感嘆なのかは分からない。だが、アルの思考が、アテナリヤに僅かに残った感情を揺さぶり起こしたのは間違いないだろう。


『かの存在?』


 ブランが首を傾げる。アルの思考を読めないのだから当然だ。もしかしたら、アルやヒロフミたちが話していた呪術神という存在さえも忘れている可能性がある。ブランは難しいことや興味のないことは記憶に留めないから。


「人を神に変えることができて、呪術を使う可能性がある【呪術神】のことだよ。僕がヒロフミさんたちと勝手に名付けただけで、そんな存在がいる確証もなかったけど」


 アルはブランに説明しながら、アテナリヤの顔をじっと見つめた。すでに無表情に戻ったアテナリヤの様子から、説明を求めることは難しいかもしれないと判断する。


「――アテナリヤが【かの存在】と言ったってことは、実際にいるんだろうね」

『創世神よりも上位にいる存在か』


 ふーん、と呟いたブランが、アテナリヤに目を向けた。

 アテナリヤは静かにブランの視線を受け止める。


『――どんなやつだ?』

『それを知ることがそなたの願いか?』


 返ってきた言葉にアルは苦笑した。まるでシモリの本体と話した時の再現のようだと思ったのだ。


 アテナリヤたちにとっては、アルたちが何かを知ることさえも願いになりえる。つまりそれに対価が生じるのだ。試練を突破したことだけが対価になるとは思えないのだから。


『まぁたこれか……』


 ブランもアルと同じことを考えたのか、深いため息をついて、アテナリヤの問いには答えなかった。


 ちらり、とブランから視線を向けられて、アルは軽く肩をすくめる。どうするべきか、アルも簡単に答えを出すことはできなかった。


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