第494話 神から告げられること
アテナリヤに対し油断はできない。過去には、クインに願いの対価として不平等な契約を持ちかけたことがあるのだから。
それゆえ、アルは何をどう言うべきか迷い躊躇った。対価だけとられて、願いを叶えてもらえないなんてことになったら、ここに来た意味がない。
『まず、お前は我らに言うことがあるのではないか?』
アルより先に口を開いたのはブランだった。
その偉そうな話し方に、アルはぎょっとしてブランを見下ろす。ここでアテナリヤの機嫌を損ね、状況が悪化するのは避けたいのだが。
『言うこと?』
アテナリヤの無表情が僅かに歪んだ。奇異なものを見るように、ブランをじっと観察したかと思うと、小さく首を傾げる。
いつの間にか現れていた卵型の椅子のようなものに深く腰掛け、優雅に寛ぐ姿は、眠っていた時とはまるで印象が違った。なんとなく傲慢そうである。
アテナリヤを観察してそう考えたところで、アルは不意に、これが神というものか、と気づいた。
限りなく人間的な感情を捨て、無機質に泰然と世界を眺める存在。それが神である。傲慢に見えるのは、アルたちのようなちっぽけな命を、アテナリヤがさほど気に留めていないのが伝わってくるからだ。
こうして試練を突破し、願いを叶えてもらえる段階になっても、アテナリヤはアルたちに関心を持っていない。ここで対面し、願いを聞き入れることが自身に課した役割だから、今アルたちを視界に入れているに過ぎないのだ。
『そうだ。我らのおかげでお前は眠りから目覚めたのだろう。礼の一つくらい言ってみたらどうだ』
なかなかの喧嘩腰な発言だった。ブランは苛立たしさを抑えるように、しきりに尻尾を揺らしている。
元々、ブランはアテナリヤによって永遠の命という咎と生きた森の管理者という役目を押し付けられている。そのせいで以前からアテナリヤに対し嫌悪感を示すことがあったが、今もそれが露わになったのだろう。
『眠りの――それ自体が、その者のせいではあるが』
アテナリヤの視線がアルに向いた。感情のこもらない無機質な眼差しは、それだけでアルに凍えるような感覚を齎す。
『それだって、お前が……いや、お前たちが勝手に決めたことだろう。アルはそれに振り回された』
口を閉ざすアルに代わるように、ブランがアテナリヤへの追及をやめない。アルはさほど自分の生まれや、今に至るまでの状況に不満を抱いていなかったのだが、ブランは随分と気にしているようだ。
『あの女の願いのことか』
不意にアテナリヤの声に僅かな感情が滲んだ気がした。
「あの女? それは先読みの乙女のことですか?」
口元のこわばりがほぐれ、アルは無意識に疑問を投げかけていた。アテナリヤから向けられる威圧感を、アルの知的探求心が上回ったのだ。
『そう言われることもあるようだな』
アテナリヤは他人事のように言う。実際、先読みの乙女が過去に自身から分かたれた存在であったとしても、今のアテナリヤにとっては他人――全く別の存在――であるのかもしれない。
「先読みの乙女の願いを叶えて、僕が精霊の魔力の器をもって生まれたということですか?」
『さよう』
答えは端的だった。だが、事情を理解するには十分だ。
『アルの母――先代の先読みの乙女がお前に、【我が子への精霊の器の付与】を願ったのか』
明確に答えろと迫るブランに、アテナリヤはゆっくりと瞬きをする。過去を思い出すような眼差しだ。
『それに加えて、子がつつがなく成長することを願った。ゆえに、私はその子を人間と精霊の狭間に位置させることにしたのだ。人間でも、精霊でもない存在だ』
アルは目を伏せた。アテナリヤの言葉に、今更衝撃を受けることはない。アル自身、自分が純粋な人間とは言えないことを、すでに理解していたのだから。
それはブランも同様で、複雑そうな表情でガリガリと頭を掻いている。
『アルはどちらにもなれないのか?』
『なれない。――だが』
ブランの問いに答えたアテナリヤが、アルを見据えて首を傾げる。
「だが?」
言葉の続きを促したアルを眺め、アテナリヤは僅かに目を細めた。それはどこか愉快げに見えて、アルはアテナリヤがそのように表情を動かすことがあるのだと初めて知って驚く。
『……今は随分と精霊に寄っているようだ』
「どういう意味です?」
予想外の言葉だった。反射的に聞き返しながら、アルは様々な可能性を考え、眉を顰めた。
ブランも驚きを示すように固まった後、アテナリヤに向かって大きく口を開く。
『何か悪いことが起きているのではないだろうな!?』
アルの腕から飛び降り、アテナリヤに詰め寄ろうとするブランを、咄嗟に首元を掴んで引き留めた。
「ちょっと、ブラン、むやみに近づいたら危ないよ」
『今気にするべきなのは、そんなことではない!』
「いや、僕の体調に異変はないんだし、アテナリヤに近づくことの方を危惧すべきでしょ?」
『我なら大丈夫だ。それよりアルのことを気にすべきだ!』
「そんな根拠のない大丈夫は信用できないよ」
アルとブランが言い合いをしているのを、アテナリヤは静かに眺めていた。どうでもよさそうな雰囲気である。アルたちの混乱を、微塵も気にしていないのが伝わってくる。
『お前! さっさと説明しろ! アルが精霊に寄っているとはどういうことだ!』
アルの言葉を聞き入れたのか、ブランは足元に留まってくれたが、声の鋭さは今まで以上だった。明確な答えが返ってこなければ、そのままアテナリヤに襲いかかってしまいそうな勢いだ。
アテナリヤはそんなブランを眺め、次いでハラハラしているアルに視線を向けた。何をそんなに気にしているのやら、と言いたげな眼差しだ。
『言葉通りだ。人の世を離れ、かつ次元の狭間を行き来することで、時の流れが狂っているのだろう。このまま行くと、人間のような寿命が訪れない』
軽い口調でとんでもないことを言われた。
アルは目を見開いて驚き、ブランはぽかんと口を開けて固まる。
「えっと……次元の狭間というのは、異次元回廊のことですか?」
『そうとも、否とも。人間が容易に訪れ得ぬ場所だ』
思っていた以上に親切に、アテナリヤはアルたちの疑問に付き合ってくれるようだ。アルは少し現実逃避するように、アテナリヤをむやみに怖がる必要はないのかなぁ、と考えた。
「異次元回廊、アカツキさんのダンジョン、あるいは死の森、精霊の森、聖域なんかも該当しますかね。ああ、放棄された塔もその一つかも」
思い当たる場所を挙げ連ねる。アテナリヤからは否定の言葉が返ってこなかったので、アルの解釈は正しいと考えていいだろう。
『人の世を離れ、というのは、人とあまり接せずに、魔の森で暮らしていることも入るのではないか?』
ブランの言葉に、アルは「なるほど」と頷く。確かに、それも該当しそうだ。
「精霊に寄って、人間のような寿命が訪れない、かぁ……」
思いがけない事実を突きつけられて、アルは目を細めて口を閉ざした。
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