第489話 導かれる
神が見ている夢に入る、あるいは夢を再現する。
そう言ってはみたものの、そのために何をすればいいかなんてアルには分からない。だが、神であるアテナリヤと繋がる明確なイメージを一つだけ持っている。
アルたちがこの場所に来る前に見た光景だ。
「眠るアテナリヤの姿――」
あの場所に戻りたい、と望めば、実際にそうなるかどうかはともかく、あの場所の再現はされる可能性が高い。
頭の中に想像し、強く望む。いつの間にか閉じていた瞼の裏が赤く染まった。
『ほう……?』
ブランの声が聞こえて目を開ける。白い光が目を刺激した。
器のような半分溶けた繭の中で、アテナリヤが眠っている。起きた姿を見ていないからか、もしくは現在も眠り続けているのか、アテナリヤの目が覚める気配はない。
「第一段階は成功かな」
『そのようだな。――おい、聞こえるか?』
「ブラン?」
不意に上へ声を上げるブランに首を傾げる。アルに問いかけているわけではないのは、その声音の硬さで分かった。だが、一体誰に――と考えたところで思い出す。
「――シモリの本体、か」
アルも周囲に視線を走らせながら、耳を澄ます。だが、一向にブランの問いかけに返る声は聞こえなかった。
『ここにはいないようだな』
「ただ答える気がないだけじゃなくて?」
『その可能性もあるが。……この場所の外側も存在していない気がするぞ』
「外側?」
ブランに指摘されて、アルは通路に視線を向ける。そこにはもちろん、アルたちが通ってきたのと同じ光に満ちた道があるように見えるが、そのすぐ先はぷつりと途切れ闇が広がっていた。
「――確かに、存在してないみたいだね。やっぱりイメージによって作られた空間ってことかな」
『そうだろうな。おそらく、先ほどまでいた我らの家でも、見えている範囲の外側には何も存在していなかったのだろう』
やはりこの空間は現実ではなさそうだ。そうなると、今見えているアテナリヤの姿も、アルの中のイメージから再現されたものに過ぎない可能性が高い。
「アテナリヤの夢を追うのは無理かな」
『そもそも、アルはなぜアテナリヤの夢にこだわるのだ。そこに何があると思っている?』
ふと改めて問われて、アルはきょとんと目を瞬かせた。アル自身がその問いに明確な答えを持っていないことに気づいたのだ。
神に眠りがあるならば、その中で見る夢とはどんなものなのか興味がある。見てみたい。だが、それが何よりも優先されるべき行動とは言えない。
それによって、突如導かれたこのおかしな空間から解放される可能性は低いのだから。
アルはアテナリヤの姿を眺め、目を細める。
初めて見たときからなんとなく落ち着かない気がしていたのだが、今その理由が分かった。
――アルはアテナリヤを見たことがある。イービルによく似ていても、違う人。それを見たのがいつ、どこでだったのかは全く思い出せないが。
そして、その既視感がアルをアテナリヤの夢の中に
「……アテナリヤの夢の中に、僕が知るべき何かが存在していると思うんだ」
アルは正直な思いを吐露した。これ以上問いただされたところで、返す言葉はないと自覚しながら。
ブランは何事か考えるように沈黙した後、ひたとアルを見つめ『ふーん?』と声をもらした。そして、問いかける必要性はなくなった、と言うような様子で周囲を観察し始める。
「――もっと詳細に話せ、とか言わないんだ?」
『言ったところで、アルは答えられるのか? 我は無駄なことはしない。アルが必要だと思っているならば、それが我にとって行動する理由になりえる』
首を横に振ったアルに、ブランはあっさりとそう言うと、繭の中に飛び込んだ。至近距離からアテナリヤを眺め、ツンツンと頬を突いて首を傾げている。
ブランの言葉はアルへの信頼が滲んでいて、なんだか嬉しくなった。
アルもブランにならってアテナリヤを観察しながら、柔らかい毛で覆われた背中を撫でる。
「……ありがとう」
『何か言ったか?』
「ううん。それで、何か変なものとかあるように感じる?」
不思議そうに見上げられたが、改めて同じ言葉を言うのは気恥ずかしくて誤魔化してしまった。
ブランは首を傾げつつも、アテナリヤへと視線を戻す。
『ふーむ……イメージ力の問題かもしれないが、このアテナリヤは本物そっくりなのに、繭は手抜きだな』
「手抜き?」
指摘されて気付いた。アテナリヤは本当に生きている人間のように存在しているのに比べ、繭はアルが知るものより少し精細さが欠いているように見える。
改めて周囲を眺めると、アテナリヤ以外は虚実であることを示すように、アルが覚えているより大雑把に表現されていた。
「――どういうこと?」
アルたちの家が本物そっくりで現れたのとは大きな違いだ。そしてそこに、何かメッセージが隠されている気がする。
『この空間はわざと違和感を抱くように作られているな』
ブランの声が笑うように震えた。それは面白がっているようにも、不快に思っているようにも感じられる、不思議な声だった。
アルはブランに視線を落とし、しばらく考える。
どうにも変なことが多すぎる。ブランの今の態度は普段とわずかに違っているように思えるし、この空間も何が狙いなのかアンバランスな作りだ。
「わざと、って思ったのはどうして?」
『我らの家が、あれほどまでに完璧に再現されていたのに対し、この場所がそうではないのは、何か狙いがあるとしか思えんだろう?』
アルが考えたことと同じだ。
様々な違和感も疑問もあるが、今はとりあえず事態を進めるための手がかりを得られたと捉えて喜ぶべきだろう。
「そうだね。つまり、アテナリヤが次の段階に進むための鍵になっていると考えてもいいね」
『ああ。だが、触っただけでは何も変化がないようだ』
「……そのために、アテナリヤをつついていたの?」
アルは呆れながら、ブランの頭を軽く小突いた。行動する前にアルに報告してほしいものだ。
『むぅ。だが、どちらかが試す必要はあっただろう?』
「そうだけどさぁ……」
反省しないブランにため息をつき、アルもアテナリヤに手を伸ばす。
アテナリヤの夢に干渉する手段として、触れてから何かをするのが良いと思ったのだ。ブランが安全を確認しているのだから、問題はないはずなのだから。
「――アテナリヤの夢を」
ふと、イービルの記録を思い出す。イービルはアカツキから情報を読み取る際に額に触れていた。その仕草に意味がある気がする。
アテナリヤの額に触れると、ヒヤッとした温度が伝わってきた。人のような見た目で人ではない。そう感じさせるような温度だ。
『お前はいつだって正解を選ぶ。運命とは不思議だな』
ブランの声が聞こえた。いつもより数段静かで落ち着いた声音は、まるで別の存在のようだ。
アルは心臓が大きく跳ねるのを感じながらブランに視線を向けようとして、ハッと息を呑む。
――ここはどこだ?
視界の全てが白で覆われ、アルは自分がどこにいるのか、まるで分からなくなっていた。
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