第490話 問いかけてくる者

 白い石の床。数多に存在する白い柱。一つの大きな扉。


 いつの間にか、アルは一人で立っていた。見覚えのある場所だが、違和感も覚える。


「白い神殿? いや、でも、なんか違う気が……。というか、ブランはどこ?」


 勢いよく周囲を眺め、小さな獣の姿を探すが、一向に視界に映ることはない。

 シン、と静まり返った空間で聞こえるのはアルが呼吸する音だけだ。肩に乗る温かな重みは感じられず、騒がしい声も聞こえない。


「――ブラン、なんか変な感じだったな」


 アルは焦りそうになる心を努めて静めながら、眉を寄せた。

 アテナリヤが眠る場所から白い光に呑まれ、夢の中のような空間に導かれてから何度も、ブランには違和感があった。それが一番強まったのは、ここに来る直前にブランの声を聞いた時だったが。


「あれは、本当にブランだったのかな……」


 これまで言葉にしなかった思いがこぼれ落ちた。

 一人きりでいるという不安感がより強まる。偽物でもいいから、ブランに傍にいてもらいたかった。


 ――カツン……。


「っ、誰……?」


 不意に聞こえた他者が発する音が聞こえた方を振り返る。

 視線の先に女性が立っていた。白いワンピースを着た黒髪の女性だ。アルはもう、それが誰なのかを知っている。


「――アテナリヤ」


 名を呟いた途端、女性が虚空に向けていた視線をアルへと向けた。黒い瞳には何の感情も浮かんでいない。

 どこかアカツキたちと似た雰囲気があった。それはこの世界では見ない容姿のせいだろうか。


「はじめまして。僕はアルです」


 話しかけてふと思い出した。アルがアテナリヤの姿を見て既視感を抱いた理由。それは……。


「――いえ、はじめましてではないですね。僕はあなたに教えてもらった。銀色の箱の在処ありかを」


 白い神殿に立つ女性が示した柱の中に、銀色の箱が隠されていたのだ。それは白昼夢のような出来事だった。

 影が彷徨う街から白い神殿に転移させられる間にそんなことがあったなんて、アルは今の今まで忘れていたが。


 もしかしたら、アルはその時、アテナリヤの夢の中に迷い込んでいたのかもしれない。あるいは、誘い込まれたか。

 今いるここも、アルが望んだ通り、アテナリヤの夢の中なのだろう。


「あなたのおかげで、アカツキさんたちの望みを叶える手がかりを手に入れられました。ありがとうございます」


 微塵も表情を揺るがさないアテナリヤに少し気圧されながらも、アルは微笑んで礼を告げた。


 アテナリヤにヒントをもらえなければ、今でもヒロフミたちが解析に苦労していただろうと理解している。アテナリヤはアルたちを手助けしてくれたのだ。

 その行動が、アテナリヤのいかなる意志によって生じているかは分からないが。


「それで、あの……厚かましいとは思いますが、お願いしたいことがありまして」


 いくら声を掛けても返事はなく、アルはアテナリヤに会いたいと望んだ理由を思い出した。

 アカツキたちが異世界にいる本人と融合するという、夢のような望みを叶えるために、アルは異世界との繋がりを得る方法を知らなければならないのだ。


『世界の希望』

「えっ」


 不意に空間が震えるような声が聞こえた。静かな女性の声音だ。アテナリヤを見ても、その唇が動いているようには見えない。


 だが、アルはこの声がアテナリヤのものだと、不思議と確信していた。それは、アルが創造神に生み出された命だからだろうか。こうしてきちんと話すことは初めてであるはずなのに、親近感を抱いてしまう。


『望みを託されし者』

「それは僕のことですか?」


 アテナリヤの視線がアルを貫く。質問をしても答えは返ってこなかった。


『精霊の力を抱きし赤子』

「僕はたくさんの呼び名があるんですね」

『世界の真理を見つめる者』

「あー……まぁ、世界の大半の人が知らないようなことを、たくさん知っている自覚はあります」


 返事が来ないと分かっていながら、一つ一つの呼びかけに答えていると、不意にアテナリヤの目が細められるのが見えた。


『咎を負いし白き獣と行く者』

「っ、そうですね」


 ブランがいない肩が寒い。それを思い出させたアテナリヤを、少し恨めしく思った。

 そんなアルの感情を読み取ったかのように、アテナリヤの口元に僅かな笑みが浮かんだ気がする。


「あなたが落としたのは、金のブラン?」

「はっ?」


 突然、人間のような声が聞こえた。アテナリヤの唇が言葉を紡いでいる。


「それとも、銀のブラン?」

「いや、意味が分からないんですけど」


 突如当たり前のように会話を始めたのに驚くが、それ以上に問われていることの意味が分からない。

 金のブラン、銀のブラン、なんてどこから生まれたのだろう。


「これが金のブラン」


 アテナリヤが手を軽く挙げると、ポンッと音を立てて金色のブランが現れた。


『おわっ!?』


 中空に現れた金色のブランが、慌てた様子で体勢を立て直し、床に着地する。


「……ブラン?」

『なんだ急に! というかここはどこだ? っ、我が金ぴかになっているのは何故だ!?』


 自分の手を見て、ぎょっと驚いた様子で金色の毛を逆立て飛び跳ねるブランは、いつものブランと同じ態度に見えた。色味はだいぶおかしいが。

 いったいどういうことなのだろう。


「こっちが銀のブラン」


 アテナリヤは金色のブランの様子を気の止めず、再び手を挙げる。アルは次に何が起きるかもう予想できていた。


『っ、なんだ、ここは? お、アル、無事だったか。急に姿が見えなくなるから驚いたぞ――って、何故我は銀ぴかになっているのだ!?』


 現れた途端、驚きながらも上手く着地し、すぐにアルに近づいて来ようとした銀色のブランが、自分の姿の異様さに気づきその場でグルグルと回る。全身を確認しているようだ。


「あなたが落としたのは、金のブラン? それとも、銀のブラン?」

『『どういうことだ!? 我はお前のせいでおかしなことになっているのか!?』』


 金銀のブランの声が見事に合わさった。アテナリヤに抗議したいのだろうが、結界でも敷かれているのか、ブランたちは近づけないようだ。


 アルは状況を理解したくない気がして目を閉じたが、二体のブランがこの場に存在している事実は消えない。

 キャンキャンと喚くブランは、一体でもうるさいのに、二体になると耳を塞ぎたくなる。


「……僕は、ブランを落としていないはずですが」


 とりあえず事実を指摘してみる。ブランとはぐれたが、それは落とすという言葉で表現されるような状況ではなかったはずだ。

 アテナリヤは小さく首を傾げてから「つまらない」と呟いた。


「――ちょっと? それ、どういう意味ですか?」

「あなたは選ばなくてはならない」


 呟いた事実をなかったことにするようにアテナリヤが厳かな雰囲気で言う。アルは飛び出しかけた文句を咄嗟に引っ込めた。


「……選ぶ?」

「これは試練。神に願いを叶えてもらうための、最後の関門」

「なるほど」


 片眉を上げて呟く。平然とした表情のアテナリヤをじっくりと眺めても、それ以上の言葉が放たれることはなかった。アテナリヤはアルの答えを待っているのだろう。


 それにしても、アテナリヤの言葉は少し変な気がした。『神』というアテナリヤ自身を指す言葉が、他人事のように感じられるのだ。


 そこでふと思い出す。白昼夢のような中で出会ったアテナリヤが名乗った名は『リア』だった、と。


「――もしかして、あなたはアテナリヤではなく、リア?」


 口元に笑みが浮かぶのが見えた。それはアルの疑問を肯定するような表情だ。明確に答える言葉はなかったが、アルは納得した。


 ここにいるのはアテナリヤという神ではなく、リアという人間。おそらく、多少なりともアカツキたちの記憶を持った存在であろう。


「試練、か」


 アルはリアから目を逸らし、二体のブランを見つめる。リアに聞きたいことはたくさんあるが、提示された試練をどうにかしないことには、返答を得られないのだと察していた。


『よく分からんが、我がブランだぞ! ……色は変だが』


 金色のブランが駆け寄ってきて訴える。


『我がこんなバカみたいな金色であるわけがないだろう! 我がブランだぞ。よく見れば、銀色は白色にも似ていると思わないか?』

「いや、思わないけど」


 銀色のブランの言葉を、アルは反射的に否定していた。

 こう見て分かったが、銀色と白色は似ていても実際は全く違うものだ。銀色は刃のように硬く鋭いように感じられる。


『ということは、我が本物のブランだと判断したわけだな!』

「いや、そういうわけでもないよ」


 嬉々とした様子の金色ブランに返事をしながら、アルは頭を悩ませてしまった。


 どちらが本物のブランなのだろう。そもそも落としていない、という訴えは聞き入れてもらえなかったし、アルは本物のブランを選ばなければいけない。だが、答えが全く分からなかった。


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