第482話 膠着と打開
沈黙が続く。無音の空間は悠然とした時の流れに取り残されているように感じられた。
アルはため息をついて気分を切り替え、なんとか前向きな思考をしようと努めた。
「アテナリヤはいつ目覚めるんですか? というか、いつから眠っているんです?」
少しばかり投げやりな口調になってしまったのを自覚していたが、直す気にならなかった。
それなりに強い覚悟をしてここまでやって来たというのに、まさかアテナリヤと対面することができないとは思わなかったのだ。願いを叶える気もなさそうに対応されて、怒り出さなかったことを褒めてもらいたいくらいだ。
〈目覚めがいつになるかは分からぬ。眠りについたのは……人の世で二十年ほど前だろうか〉
二十年ほど前。
それが長いか短いかは分からない。アルの感覚は神とは違うのだから。ただ、なんとなく引っかかるものを感じた。
『アルが誕生した頃だな。その時は確実にアテナリヤは起きて活動していたはずだ』
「あ、そっか。僕に精霊の魔力の器を作ったのはアテナリヤだからね」
無意識で胸元を手で押さえる。
アテナリヤと精霊、先読みの乙女の意志によってアルは莫大な魔力を持ってこの世に生まれた。それがアテナリヤが活動したものとして認識される最後だと思うと、なんだか不思議な気分になる。
「――あれ? でも、確かシモリの言葉を遮った存在がいたはず。てっきりアテナリヤだと思ってたんだけど……」
アルの問いが禁忌に触れたのか、シモリの突如答えてくれなくなった時のことを思い出す。厳かに響いた声は独特な威圧感があり、アルが想像する神のものと一致していたのだ。
『そういえばいたな。あれはお前だったのか?』
〈否。もともと、理に反するものへの対応は定められていた〉
「なるほど。つまり、あれは僕たちを認識して拒否されたわけではなくて、自動的に対応されただけってことか」
呟き納得した。
アテナリヤは眠っていたとしても世界の管理を放棄しているわけではなかったようだ。とはいえ、起きて逐一対応するのとは違って、随分と大まかな対処しかできないだろう。
「――なんで、眠っているんだろう? 世界を管理するには、不利益が大きい気がするけど」
独り言じみた疑問に反応してか、ブランからちらりと視線を向けられる。
〈神であっても、自ら課した理に縛られている。生じた咎は誰かが負わねばならない〉
淡々とした口調で言われて、アルは一瞬意味を測りかねた。
「生じた咎……?」
『なるほど。アルか』
ブランが納得の声を上げた。
言われてアルも気づく。アルの誕生に前後して、アテナリヤが眠りについた意味を。
「つまり、精霊の器を人の体に組み込むことは、神であっても許されないことだった? いや、神自身が禁忌だと定めていたから、それに従って生じた咎をアテナリヤが負った、ということ……?」
『馬鹿だろう。柔軟性というものを知らぬのか』
ブランが呆れたように呟く。それはアルの疑問を肯定するようなものだった。
アルに咎が課されなかったのはありがたいが、もっとやりようがあっただろうと言いたくなるのはアルも同じだ。
「アテナリヤが負った咎は、ただ眠りにつくことですか?」
〈さよう。いつ覚めるかも分からぬ眠りだ〉
アルが望んだことではないとはいえ、自分が原因の一つになっていると思えば、批判する気が薄れる。だが、現状が行き詰まってしまった事実からは目を逸らせない。
「……起こす方法は、本当にないのですか?」
〈知らぬ〉
端的な返答に、ついため息が漏れた。
『存在しないとは言わないのだな?』
〈認識の範囲内に存在しない〉
アルはブランと目を合わせ、肩をすくめた。かろうじて希望が残った気はするが、正直打つ手が見つからない。
「これ、どうする?」
『我に聞いて、答えがあると思うのか』
「なんか良いアイディアが出たらラッキーだなぁとは思ってる」
『アル。この世には望んでも叶わぬことが山ほど存在しているんだ』
真面目な顔で言われて、アルは口を閉ざした。ブランが言うことは尤もだ。
「ほんと、どうしよう。……あ、帰ることはできますか?」
目的が果たせないならば、ここに留まる意味はない。さっさと帰って、ヒロフミたちと相談する方がよほど建設的だろう。
〈願いを。この地で神との誓約を交わせば、門が開かれる〉
アルは思わず沈黙した。
つまり、叶わない――少なくともアテナリヤが目覚めるまでは聞き届けすらされない願いを言わなくてはならない、ということか。そこに潜むリスクを知っているというのに。
『その願いに、対価は生じるのか?』
〈ある。何が対価になるかは、願いによって異なる〉
「それを決めるのは誰ですか?」
〈神だ〉
「……眠っているのに?」
アルは少し呆れて呟いた。眠っているアテナリヤと誓約を交わせるのかという疑問もあるが、いつ願いが叶うかも分からずリスクを負えるほど、アルは考えなしではない。
〈眠りから覚めれば、滞っていた物事がすべて動き出すだろう〉
「いつ願いが叶うかも、咎が課せられるかも分からない、と。分からないことだらけだなぁ」
にっちもさっちも行かず、どうしたらいいのだろうか。適当な願い事を言って帰ることは可能だが、その願いに重い対価を求められたら納得できない。
『一番良いのは、アテナリヤを叩き起こして、交渉することか?』
「……どこにいるかも分からないのに?」
とんでもないことを言い出したブランに、一瞬同意しそうになって踏みとどまり、尋ね返す。
ブランは冗談を言っている雰囲気はなく、真剣な表情だった。
『どこにいる?』
尋ねた相手はアルではないだろう。アルも視線を球体に映る人に向けた。
〈それが願いか?〉
これは罠か、否か。もしかしたら、そのような考えがそもそも存在しないのかもしれないが、警戒してしまうのはアルたちにとってはしかたない。
『……先ほども言ったが、問いは問いだ。願いではない』
〈願いではないならば、答えられない〉
さすがに先ほどのようにはいかなかったようだ。僅かに生じた期待をかき消され、嘆息してしまう。
そんなアルをちらりと見たブランが、言葉を続けた。
『アテナリヤのいる場所を教え、我らをその場に連れ行くことは、お前が叶えられる願いか?』
アルは目を丸くする。
言われてみれば、少なくともアテナリヤの居場所を教えてもらうという願いは、シモリの本体が可能なのだと言われたようなものだと気づいたのだ。
〈……そのとおりだ〉
『ほう。それはアテナリヤが叶えるわけではない。つまり、アテナリヤから対価が課されるものではない?』
ブランがニヤリと笑う。少々悪辣な雰囲気だったが、事態が進展する可能性を考えると、そんな笑みが浮かんでもしかたないだろう。
答えはすぐに返らず、しばらく沈黙が続いた。
〈……対価は生じない〉
『よいことだ。ならばお前に願おう。アテナリヤの居場所を我らに教え、そこまで連れて行け』
笑みを含んだ声を聞きながら、アルも口元に笑みを浮かべた。
〈よかろう。そのまま進め〉
不意に背中を押されるような感覚があった。
空を滑るように勝手に体が動かされ、輝く球体が視界の端を流れ行く。
行き着く先がどこなのか、最初に教えてほしかったな、と思いながら、アルはじっとその時を待った。
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