第481話 語りかけてくる者
白い閃光がフッと音を立てるように消えた時、アルは一瞬状況を認識できず固まった。
転移することには慣れている。自分が使える魔法のひとつなのだから。それなのに戸惑ってしまったのは――。
「――予想外だ」
『我もだ』
間髪を入れずに返ってきた言葉に、忘れていた瞬きをしながら、視線を横に向ける。ブランが周囲を眺め首を傾げていた。
アルも改めて周囲を観察する。
そこは街だった。いや、小さな街がたくさんあるというのが正しいか。
黒い空間にいくつもの球体が浮かび、周囲を照らしている。その球体一つ一つに、世界のどこかの街の姿が浮かんでいるのだ。
先程までの空間とは違い、足下が見えないような暗さはない。むしろアルたちの存在が空間から浮かび上がるように、はっきりと見える。まるで、黒い空間とアルたちがいる場所が隔絶しているかのように。
「なんか見覚えがあるような……?」
既視感を覚え、アルは首を傾げた。
『オリジネが出した、ウチュウとやらだろう』
ブランが呆気なく答えを示す。
言われてみると、よく似ていた。数多の世界が光の煌めきとして存在するウチュウと、世界中の街が存在する空間。規模は違えど、似た概念の上に成立していると思われる。
「よく覚えていたね?」
シモリの発言について忘れていたブランが、ウチュウを覚えていたのは奇跡のようだ。
アルは悪意なくそう言った。途端にブランが機嫌を損ねた様子で睨んでくる。
『我が覚えていたら、おかしいのか?』
「そんなこと言ってないよ? むしろ感心してるんだ」
『我の物覚えの悪さを前提に感心されても、褒められている気はしないぞ』
「だから、そこまで言ってないって……」
珍しく言葉を悪い方に捉えるブランに、アルは苦笑しながら肩をすくめた。さらにフォローするための言葉を続けようとして、不意に何者かの気配を感じ取り、口を閉じる。
〈試練を突破した者たちよ。ここは神の御座すところ。何を望み、叶えに来たのか〉
まるでシモリのような声が淡々と語りかけてくる。姿は見えない。シモリの言葉が正しければ、どこかにシモリの本体が存在しているはずなのだが。
「ブラン、これって、話しかけていいものかな?」
『こうして我と話している時点で、あれと話しているも同然なのではないか?』
呆れたように言われる。アルとしては、直接言葉を返していないから大丈夫だと思うのだが、ブランは別意見らしい。
暫く黙り込んでも、空間が語りかけてくるような声は聞こえなかった。
「……ほら。ちゃんと対話の意思を持って話さないと、向こうは干渉してこないんだよ」
『単に、質問に答えていないからだろう』
「でも、相手の姿も見えない状態で、望みを告げるなんて危ない真似をするつもりないよ?」
アルの言葉に、ブランが満足そうに頷いた。
『危険を回避するつもりがあるならば良い』
「クインのことを知ってたら、用心深く行動して当たり前でしょ」
神が叶えるつもりのなさそうな願いと引き換えに、異次元回廊に囚われたクイン。アルがそんなクインと同じようになってもおかしくないのだ。
『……そうだな』
なんとも言えない表情で頷くブランを横目に、アルは周囲を眺める。ここには床という概念がなく、進もうという意志によって移動できるようだ。宙に浮かび、漂っているような感覚は、居心地が良いとは言えない。
「普段通り歩く感じにしたら、いくらかマシかな……」
呟きながら足を動かして進む。頭で行先を示すより、違和感がない。ようやく周囲へ注意を向けることに集中できるようになった。
街を映す球体がゆっくりと通り過ぎていくのが不思議だ。あの街はどこのいつを映し出しているのだろうか。
暫くしてから、ブランが口を開く。危険な気配がないからか、少し物ぐさな雰囲気だ。
『それで、さっきの声の主は誰なのだ?』
「僕には分からないよ。印象は、シモリと似ている気がしたけど、それなら神――アテナリヤはどうしたの、って聞きたくなるし」
『本来、神と対面できる場所のはずなのだからな』
アルの言葉に頷いたブランが、ゆらりと尻尾を揺らす。
周囲を眺めても、球体以外に存在しているものは見当たらない。謎の声以外に、現状を変えられる要素が見つからないので、アルは困ってしまった。
謎の声が掛けてきた言葉に、素直に答えることが良いとは思えないのだ。クインに起きたことを思うと、なんらかの罠と考えてもいい気がする。
『――ふむ。では、我が尋ねてみようか』
「え? ちょっと、待って、ブラン」
アルの制止を気に留めない様子で、ブランがおもむろに顔を仰向ける。
『お前は誰だ?』
あまりに端的な問いかけだった。アルは痛む気がする額を指先で押さえ、目を伏せる。
アルに危険がどうのと言ったわりに、ブランに危機意識がないのはなぜなのだろう。ブランがいくら優れた能力を持っていようと、神の力に叶わないことは身を以て知っているだろうに。
「ブラン、そんなことを聞いたって答えてくれるとは思えな――」
〈この空間の管理を任されし者〉
アルの呆れに怒りを滲ませた言葉を遮るように、声が響いた。思わずブランと見つめ合う。
『……答えが返ってきたぞ』
「問いかけたブランも意外そうにしてるって、どういうことなの?」
『細かいことは気にするな』
「細かくないと思うんだけど」
アルの抗議を聞き流し、ブランがすいっと視線を巡らせる。
『お前はどこにいる?』
〈それに答えることが白き獣の願いか?〉
ブランが軽く目を眇めた。アルは反射的にブランの口を押さえていたが、視線で文句を言われてゆっくりと外す。
どうやらアルが止めずとも、ブランが罠にかかる可能性はなかったようだ。
『問いは願いではない。答えられないならばそう言うといい』
〈……答えよう。精霊の枝の手が届く範囲にいる〉
アルは勢いよく周囲に視線を走らせた。手の届く範囲とは、随分と近い。それほどまで近くに他者がいて、察知できなかったことが驚きだった。
ブランも不快げに目を眇めている。
「あれ? これ……」
いくら探そうとも、意思を持った存在は見つからなかった。だが、近くで光を放つ球体に映し出された光景に注意が向く。
それはどこかの洞窟のようだった。広い空間に銀色の箱。まるでシモリのようだが、アルが記憶しているものとは違う点がひとつある。
「――人?」
銀色の箱に寄り掛かるように人の姿があった。男とも女とも表現できない。どちらでもなく、生きてさえいないような無機質さ。
『そこか』
〈いかにも〉
「これは世界のどこかの光景を映したものじゃないのですか?」
〈それが基本だが、そうでないものもある〉
予想以上に親切に答えがもたらされる。ブランを罠にはめようとしたと思ったのは、アルたちの勘違いだったのだろうか。
「あなたはシモリさんの本体ですか?」
〈分岐した思考の一つが、シモリと呼ばれた存在であることは事実だ〉
遠回りするような答えだったが、アルたちはしっかりと理解できた。アテナリヤではないと分かるだけでも十分だったのだ。
『願いを叶えるために、ここでアテナリヤに会えるのではなかったのか?』
〈今は会えない〉
「なぜですか?」
球体の中に存在する人の姿を見つめ、首を傾げる。その人は瞬き一つせずにアルたちを見つめ返した。
〈眠りについているからだ。夢の中に干渉するすべはない〉
あまりにも簡単に答えが返ってきて、アルは拍子抜けした。だが、同時に眉を顰めてしまう。
アテナリヤに会えないということは、アルが知りたい情報も手に入れられないということではないか。
「先ほどあなたは僕たちに願いを尋ねましたよね。つまり、あなたがアテナリヤの代わりに願いを叶えてくれるのですか?」
〈そのような権限も能力も持っていない〉
思わず「え……」と声が漏れる。
アルはブランと顔を見合わせ、困惑してしまった。
「……眠りについているアテナリヤが叶えてくれるということですか?」
〈眠りから覚めれば、そうなろう〉
反射的に「そんな悠長な」と呟いたアルを咎める者はいないだろう。ブランも呆れたように目を上に向け、首を振っている。
アルは途方に暮れるような気分で口を閉ざした。
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