第480話 暗闇の探索

 拍子抜けした。


「……地面、ある気がする」

『どんなものだ』


 問われて考える。恐る恐る踏み出した足の裏で感じるのは、歪みのない平ら。絶対に森の中の地面や、街中の石畳とは違う。


 一番近いものといえば――と考えた瞬間に浮かんだのは、この空間とは似ても似つかないが、意味を考えれば納得する場所のことだった。


「えー……白い神殿かな」

『異次元回廊のか』


 ブランの声も、驚きよりも納得感が強い響きだった。

 白い神殿は創世神アテナリヤとの繋がりが強い場所なのだから、神がいるとされるこの空間が同じように感じられるのは不思議ではない。


「ここを全面照らせたら、柱とかも見えるのかな?」

『どうだろうな。そもそもこの闇、黒色というのはイービルの特徴ではなかったか? 何故アテナリヤがいる場所が黒に包まれているのだ』


 言われてみれば、アルも疑問を覚える。

 白い闇――ソーリェンと繋がる空間のような場所の方が、アテナリヤがいる空間として相応しい気がした。


 黒い闇で満ちた空間は、まるでイービルがいる場所のようではないか。そう考えると一抹の不安を感じる。


「まさか、ここがすでにイービルに乗っ取られているなんてことはないよね?」

『その場合、サクラたちが無事でいる理由がないな』

「あ、そっか。ここなら異次元回廊内に干渉できる可能性が高いもんね」


 敵と隣り合わせで存在していた可能性は低そうだ。アルはホッとしながら、慎重に足を進めることにした。


 通ってきた門扉は存在せず、アルたちに後退という道はない。どちらが前か後ろか、はたまた上か下かも分からないまま歩くのは不安を感じるが、ここで留まり続けることも恐ろしい。


「――足音はしないね」

『音という概念は存在しているはずだがな』

「話せてるもんね。……ブランの思念が聞こえてるということは、空間内の魔力を操るのは難しくないってことだよね? 思念が小さく聞こえるわけじゃないし、魔法の効果が減衰するだけ?」


 思念は空気中の魔力を伝って届くものだ。アルがブランの言葉を理解し、その声の大きさに違和感を覚えなかったのだから、この空間の外と同じ条件で魔力が存在している可能性が高い。


『そうだな。我も違和感なく話せている。だが、発動する魔法の効果が小さくなるということは、何か違いがあるのだろうな』

「その何かが重要だよねぇ」


 いつも通りに魔力を込めても同様な大きさで魔法を使えない理由とはなんなのか。

 考えたところで、答えに辿り着かない。


「――それより、そろそろ腕が重い」


 手首にブランの全体重がのせられていることに、思わず不満を呟く。小さな光の中にブランの姿が見えていることは安心感を覚えるが、それはそれとして、腕がつらくなってきた。


『うむ。肩に戻る。指を我に近づけておけ』

「ありがとう」


 見える範囲にいてくれようとするブランの気遣いに、アルは自然と微笑んだ。

 どうせ光で前方を照らしたところで、見えるものはほとんど存在しないのだ。それならば、互いの存在を確かめるために使った方がいい。


 肩に重みを感じながら、指先に灯る光を顔の横に近づける。視界の端に映るブランの横顔に、アルはホッと息をついた。


『これはどこまで進めばいいのだろうな』

「果てがあると思う?」

『我がそれを知っていると思うのか?』

「知らないよね」


 アテナリヤとは相対したことがあるようだが、ブランがこの空間に来たのは初めてだ。アルと条件は同じである。


「――クインなら知っているかな?」

『一度は来ているのだろうが……事前に何も言わなかったことを考えると、覚えていないか、あまり理解していないのではないか?』

「そうだよね。つまり手がかりなし、か」


 実りのない会話でも、音があるだけで安心感が生まれる。

 アルはこの場所で真の静寂を明確に理解した気がする。互い以外の存在を感じないことのなんと恐ろしいことか。本当にここにアテナリヤが存在しているのかさえ、疑わしく感じてしまう。


『試練をクリアしたというのに、何故手間取らせるのだ? さっさと出てくればよかろうに』

「……言いたいことは分かるよ」


 不満をこぼすブランに、アルは苦笑しながら頷く。

 てっきり、門をくぐればすぐにアテナリヤと対面できるのだと思っていた。王城で王に謁見するような場所があるものだと。


 こんなに彷徨うことになるのは予想外で、まだ試練が続いているのではないかと思ってしまった。


『どんな風に現れるのだろうな?』

「えー……急に光が降り注いで、とか?」

『神聖さの演出か。ありえるな』

「本気で?」


 冗談で言ったことを真に受けられて、アルは笑みを引っ込めた。アテナリヤがそんなことをする性格だと予想していなかったのだ。まるでアカツキのようではないか。


 そんなアルの思考を読んだように、ブランが揶揄まじりに言葉を続ける。


『アルたちの想定では、アテナリヤはアカツキたちと同郷なのだろう? 似通った性質があっても不思議ではなかろう』

「いや、そうだけど、アテナリヤ自身は人間性を失ってるんじゃないかな?」


 先読みの乙女として善性を切り離し、アテナリヤは人としての思いを捨て去った可能性が高いのだ。アカツキのように、演出がどうこうと気にするとは思えない。


『人間性を失った神らしい登場の仕方とはなんだ?』

「聞かれても困るなぁ……」


 神という存在をよく理解できていない。だから、その思考回路を追えるわけがないのだ。

 アルが知るアテナリヤについて記憶を探っていたら、霧の森での出来事を思い出した。


「――そういえば、ここに霧の森の管理者の本体があるんじゃなかったっけ?」

『あ? んー……そうだったか?』

「そうだったんだよ。ほら、シモリが言ってたでしょ。本体は神のいるところにある、って感じのこと」

『言っていたような、そうでもないような……?』


 曖昧な返答に苦笑した。このような状況でのブランの記憶はあてにならない。


「シモリみたいな存在が、どこかにいるのかな」

『我ら以外、何かがいるとは思えないのだがな。アテナリヤがいるのかさえ、疑わしい』

「それ、言っちゃう?」


 アルがあえて言葉にしなかったことを躊躇いなく言われて、少し肩を落とした。不安になるから言わないでおこうと思っていたのに。


〈生命体の存在を感知しました〉


 不意に聞こえた声に、体がビクッと震えた。声がどこから出ているかは探れない。空間そのものが響いて聞こえたからだ。


『変化が生まれたな』

「安心していいのかな」

『無闇に彷徨うよりいいだろう』


 ブランの目を見つめ肩をすくめる。危険がなければいいのだが。


〈試練の突破を確認しました。進行許可申請中……申請中……〉


 聞き覚えのある響きだ。


「シモリと似てるね」

『こんなやり取りがあった気がするな』


 アルたちが感想をこぼしたところで、聞こえる声の雰囲気が変わった。


〈申請が受理されました。対象の転移を行います〉

「転移?」


 言葉を繰り返したところで、視界が一気に白く染まった。咄嗟に目の前に腕を翳して目を瞑る。


『何がっ——』


 ブランの声を聞きながら、頭を揺さぶられるような衝撃で、意識が遠のいていくのを感じた。


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