第475話 最終報告会①

 朝から落ち着かない様子で動き回るサクラとアカツキを眺めながら、久々にゆっくりとブランの毛繕いをした。

 嫌がるブランをアルの特製シャンプーで洗ってから丁寧にクシで梳かしたので、いつも以上にふわふわさらっとした毛になり、大満足だ。


「やっぱり定期的に綺麗にするべきだね」

『……アルがしたいというならば、受け入れてやっても良いぞ』


 ブランが顔を背けながら答える。だが、尻尾がご機嫌に揺れていて、毛繕いの成果にブランも満足しているのは分かりやすかった。


「シャンプーも?」

『……対価があるならば、我慢するのもやぶさかではない』


 可愛くないことを言う口にクッキーを放り込んでやる。これで五枚目だ。

 口元の毛にクッキーの欠片をくっつけながらもご満悦な笑みを浮かべているブランを眺め、アルは肩をすくめる。


「甘えん坊め」

『誰がだ?!』


 クインの言葉に即座に噛みついているところを見るに、ブランには十分自覚があると考えてもいいだろう。そんなところを可愛いと言っていいのかどうか、少々悩みどころだ。


 キャンキャンと喚いているブランの声を聞き流しながら、アルは不意に開かれた扉に意識を向けた。

 サクラとアカツキがピタリと動きを止めているのを横目で捉えながら、ヒロフミの表情を探る。


 さほど暗い顔はしていない。とはいえ、明るいとも言い難く、平静を取り繕っているという表現が近いだろう。


 空に視線を向けると、太陽が真上に昇りつつあった。もう昼だ。ヒロフミが宣言した通りの時間に、成果が出たらしい。


「お疲れ様です、ヒロフミさん。お茶、飲みますか?」

「もらおう。――ブランは良いものを食ったみたいだな」


 椅子に座りながら、ヒロフミがブランを横目で眺め、ふっと口元を綻ばせる。

 アルは「あぁ……」と頷きながら、お茶とクッキーを取り出し、テーブルの上に並べた。昼ご飯代わりに、サンドウィッチやオムレツなども並べる。


「サクラさんとアカツキさんも、どうぞ」

「え、えぇ、ありがとう……」

「アルさんが作ったクッキー美味しそうだなぁ!」


 緊張した表情で座るサクラと、いつも以上に明るく振る舞うアカツキを交互に見比べ、アルは肩をすくめた。ヒロフミと目が合うと、自然と苦笑が浮かぶ。

 昨夜ほぐれたと思った緊張が、今日になって時間が過ぎるほどに高まっていくばかりのようだ。二人の気持ちは分かるが、そろそろ開き直ってもいいだろうに、と思ってしまう。


『我のクッキー!』

「みんなのだよ。ブランはたくさん食べたでしょ」

『ではサンドウィッチをくれ。肉はあるか?』

「……ハムカツのサンドウィッチならあるよ」


 どこまでもいつも通りなブランに、二人の雰囲気が少し和らぐのを感じる。その功績を鑑みて、食事をおまけしてやることにした。

 肉類を挟んだサンドウィッチなどの軽食を取り分けられて、ブランは機嫌良さそうに尻尾を振る。


「美味い。甘いものは気分転換に良いな」

「それは良かった。まだありますから、たくさんどうぞ」

『ならば我が食ってもいいだろう!』

「ブランの分は品切れ中です」


 微笑んで言うと、ブランは『な・ん・で・だー!』と納得できない思いをいっぱいに込めた叫び声を上げた。正直言ってうるさい。

 だが、ヒロフミたちが笑っているから、注意して空気を壊すのはやめた。


「ブラン」

『うん? おお! くれるのか』


 クインが持ったクッキーがブランの口元に近づく。

 ブランが嬉々とした表情で口を開けたところで、ひょいっと手首を返したクインが、自分の口にクッキーを放り込んだ。


「うまいぞ」


 にやりと笑うクインを見上げ、ブランが固まる。その体がワナワナと震え始めるのを見て、アルは反射的に耳を手で覆った。


『……絶対に許さんぞっ!! 食べ物の恨みを思い知れーっ!』


 大音量だった。思念で放たれたそれは、耳を塞いだところで防げるものではなく、アルはぐわんと揺れた気がする頭を押さえて眉間にシワを寄せる。


「ブランもですけど、クインも、周囲の迷惑を考えてください」

「正直、すまぬと思っている」

『我は迷惑なんぞ掛けておらん! 母が悪いのだー!』


 地団駄を踏む勢いのブランの頭を叩くついでに、クッキーを与える。これで少しは怒りを静めてほしい。

 じとりとした眼差しを感じながら、アルは苦笑した。


「……まぁ、なんだ……それより、本題に入っていいか?」


 ごほんと先払いをして空気を換えようと試みたヒロフミが、続けていくつかのメモを取り出す。どれもアルでは解読不能の文字が書かれていた。ニホン語だろうか。


「もちろんです。お願いします」


 ヒロフミの視線が、にこりと微笑むアルからブランへと移る。不承不承な様子ながらも、ゆるりと揺れた尻尾を見て、ヒロフミは肩をすくめた。

 サクラがくすくすと微笑んでいる。クインとブランの気が抜けるようなやり取りにつられて、リラックスできたようだ。


「じゃあ、細かい原理は置いておくとして、結論から話すぞ」


 そう前置きして、ヒロフミは視線を上げた。テーブルを囲む一人ひとりを眺めた後、再び口を開く。


「――まず創造陣。これには四つの機能が含まれていることが分かった。一つ目は、イービルの中に含まれるアテナリヤの残滓から記録を読み取る機能」

「やはりイービルが独自に保持している記憶ではないということですね」


 中間報告で出た話だったので、アルは疑問を持たずに頷いた。ヒロフミも軽く頷くだけだ。


「そうだな。そして二つ目が、その記録内に存在する物質を立体的に読み取り、特殊な魔粒子で型を作ること」

「……ニホンにいる本物とは関係なかったんですね」


 アルは少し肩を落とした。

 ニホンにいるアカツキたちに干渉して型が作られているのなら、その技術を流用して異世界に移動する方法を見いだせるのではないかと思っていた。その希望は潰えたと考えても良さそうだ。


 だが、ヒロフミが「気落ちすんのは早い」と言ったので、アルだけでなくサクラとアカツキも息を呑んで続く説明を待つ。


「確かに、これの中には、日本への干渉を可能にする機能はなかった。けどな、アテナリヤの残滓に保持されていた記録には、異世界に干渉した形跡があるんだ」

「っ……それは、アテナリヤが、アカツキさんたちがこの世界に誕生する以前に、異世界に干渉していた、と……?」


 ドクン、と心臓が大きく拍動した気がした。

 ヒロフミがはっきりと頷くのを見ながら、アルはさまざまに思考を巡らせる。なかなか考えがまとまらない。


「イービルが基にした記録は、暁の婚約者が亡くなった後のことだ。アテナリヤがその頃のことを知るには、世界を越えて干渉したとしか思えないだろ?」

「……そうですね」


 アカツキの婚約者が神となりアテナリヤと名乗っていると仮定している現状、ヒロフミの言葉に疑う余地はない。


 アテナリヤはニホンに干渉できる。だからといって、アルたちに進んで協力してくれるとは思えない。今のアテナリヤは人としての感情をほとんど失っているのだから。


「まぁ、それがアテナリヤ独自の能力っていうんなら、俺たちはそれを頼りにすることはやめた方がいいだろうな。無駄な期待は持ちたくねぇし」


 ヒロフミもアルと同じ考えのようで、軽く肩をすくめていた。


「……さっき言った、特殊な魔粒子ってなんなの?」


 不意にサクラが口を開く。それに続いてアルも、ヒロフミの説明を頭の中で反芻しながら首を傾げた。


「型を作る材料ですよね?」

「ああ。記録の中の物を立体的に読み取って型を作るのは、暁とかなら分かるだろうが、3Dプリンターみたいなもんなんだ。特殊な魔粒子は、アルたちが亜型魔粒子と呼ぶものとも違って、読み取った物の表面に自動的に張り付き、物質化する性質があるらしい」

「不思議なものがあるんですね」


 そう納得するしかない。

 つい最近まで亜型魔粒子の存在を知らなかったように、アルが知らないことはこの世界に溢れているのだ。


「だよな。それで型を作った後に働くのが三つ目の機能、型への魔粒子の封入だ」

「見た目上は、魔族の完成ということですね」


 大量の魔力を持っているように見えて、魔法が使えない種族である魔族は、やはり魔粒子のみで構成された体のようだ。


「後は四つ目の機能――人格の植え付け、で本人も作り物とは思わない存在の完成だ」


 軽く両手を広げておどけるヒロフミに、アルは苦笑する。


「その人格の植え付けの方法が問題だと思うんですけど」

「そうだな。……その説明は、ちょっと腹を満たしてからでもいいか?」


 グー、と音がするお腹をさすり、ヒロフミがサンドウィッチに手を伸ばした。真剣な表情で固まっていたアカツキたちもゆっくりと動き始める。

 続きは休憩の後になりそうだ。


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