第474話 前夜祭

 豪勢な夕食が完成しつつある。

 珍しくワインを手にしたヒロフミが「前夜祭って感じだな」と笑った。それを横目に、アルは忙しなく動き回るサクラの姿を視線で追う。


「……本当に手伝いはいらないんでしょうか?」


 ヒロフミとサクラに解読を任せているのだから、とここ最近はアルが食事を用意することが多かった。だが、今日はサクラに「私が作るから! アルさんはゆっくりしてて」と言われてしまったのだ。


 誰かが作ってくれるご飯を待つのはあまり慣れなくて、なぜだかくすぐったいような心地がする。

 それゆえ、なんとも言えない表情でサクラを眺めるアルに、ヒロフミは楽しそうに口元を歪めた。


「いらねぇだろ。サクラのあれは、ストレス発散だ。あとはまぁ、不安を紛らわすため?」

「不安……。そうですよね。どんな結果が出るか、不安に思わないわけじゃない……」


 解読のヒントを手に入れてからすぐに作業に取り掛かったヒロフミによると、答えはもう見えたようなもの、らしい。


 サクラはヒロフミにすべてを任せ、料理に集中していた。「自分の手で真実を知るのが怖くなったんだろ」とヒロフミはその行動を全面的に受け入れ、一人で作業を進めている。


『ほーん。お前たち、面倒くさいな』

「繊細だって言ってほしいな」


 アルの膝の上に座っていたブランが馬鹿にするように言うも、ヒロフミは軽く笑って聞き流した。


「たいていの人は、ブランと違っていろいろ考えることがあるんだよ」

『その言い草はなんだ! まるで我が日頃なにも考えていないようではないか!』


 プンプンと怒るブランが、尻尾でお腹を叩いてくる。

 そんなことをされようとも、アルは手の力を緩めるつもりはない。豪華な夕飯に飛びつこうとするブランを拘束することが、唯一サクラから仰せつかった役目なのだから。


「むしろ、ブランは日頃なにを考えているの?」


 何もすることがない時間。何もする気にならない暇に飽いて、ブランにちょっかいをかけてみる。ブランと諍いめいたやり取りをするのは、アルにとって娯楽の一種だ。

 ヒロフミがちらりと視線を寄越し、口元に笑みを浮かべるのが分かったが、見なかったことにした。


『馬鹿にしているのか?! 我は日々、世のさまざまなことに思考を巡らせ、思い悩み――』

「へぇ……」


 あまりにも嘘くさい言葉がつらつらと聞こえて、アルの返事も軽くなった。『ちゃんと聞いているのか!?』と、くるりと向きを変えてアルの胸を前足で叩きながら怒るブランに、「聞いてるよ」と返す。信じてもらえた気はしない。


「ブランが思い悩むなんて、今日の夕飯で食べたいのは肉か魚か、くらいじゃないっすか?」


 ヒロフミからワインを分けてもらったアカツキがそう言うと、ブランは怒りの矛先を変えた。


『お前は馬鹿か! 我がそのようなことで悩むわけがなかろう! どちらも食えばいいのだからな!』


 それはそれでどうなんだろう、と思ってしまうアルは間違っていないはずだ。

 夕食のメニューで深刻に悩まれるのも嫌だが、どちらも食えばいいという解決策も許容しがたい。それで苦労するのは、ほとんどの場合アルなのだ。


 隣で、ヒロフミが顔を背けて肩を揺らしていた。口元を手で押さえているが、笑いたいならば遠慮せずに笑えばいいと思う。


 アルはじとりとヒロフミを睨んでから、ブランの前足を捕まえた。ぶらぶらと揺らして、ブランが『なんだ?』と不思議そうに首を傾げるのを見ながら、前足をブランの顔の前に覆いかぶさるように押し上げる。


「『我は今日、食欲がない。みんなで全て食べてしまってくれ』……絶対ブランが言わない言葉だね」

「ぶはっ、待って、なんで急にブランの声真似して、似つかわしくないセリフを、っ」


 吹き出すように笑い出したアカツキに続いて、虚をつかれたように目を丸くしていたヒロフミも大口を開けて笑う。


『なっ、なっ……! 我を茶化しているのか?!』

「うん」

『素直に頷くな! 今日という今日は説教をしてやる! 美しく偉大な我への対応、反省するがよい!』


 まるで、今まで文句を言ってこなかったと言わんばかりだが、ブランは常日頃から不満を遠慮なく言うタイプだ。『今日という今日』と言いたくなるのはアルの方である。


 怒っているブランの言葉を聞き流しながら、アルは笑い続けるヒロフミとアカツキの様子を窺った。


 真実が紐解かれることに不安や恐れを感じているのはサクラだけではないだろう。

 いつもより少し強張った顔をしていたヒロフミ。そして、殊更に普段通りを装っていたアカツキ。そんな二人に違和感を覚えないほど、アルは彼らと短い付き合いではない。


 二人の心が一時でも安らいだのならば、道化を演じた甲斐があったというものだ。


『――まったく、面倒くさいやつらだ』


 流れるように続く、説教めかしたわがまま文句の最中に、不意にため息まじりに放たれた言葉。

 アカツキとヒロフミは自分の笑い声でかき消してしまったようだが、アルは聞き逃さなかった。


 ブランの視線が、アカツキとヒロフミ、そして背を向けながらも肩を細かく揺らしているサクラへ巡り、アルへと戻ってくる。


「僕も面倒くさいって?」

『アル以上に面倒くさい人間はおらん。それを許容してやる我は、なんと慈悲深いことか』

「最終的に自画自賛になるの、すごくブランらしくて結構好きだよ」

『……そうやって言えば、我が静かになるとでも思っているのか』

「うん」

『だから、素直に頷くなと言っておろうが! そこは嘘でも取り繕え!』


 そうやって怒るのが照れ隠しだと分かるから、アルはこのようなブランとのやり取りも、やっぱり好きだなぁと思うのだ。




 あたりに夜の闇が満ちた頃。知識の塔の外で、宴が開かれることになった。

 サクラが作ってくれたたくさんの料理を囲み、グラスを掲げる。


「それでは、新しい未来が開ける前夜に乾杯」


 ヒロフミの合図と共にグラスを軽くぶつけながら、アルは『新しい未来が開ける』という言葉を頭の中で反芻した。

 ふと顔を仰向けると、暗い空に無数の星が見える。明日には聞かされるはずの成果は、この星のようにヒロフミたちにとって輝かしいものになるのだろうか。


 グラスの中のグレプジュースを一口飲み、喉を潤わせる。アカツキたちが飲むワインに合わせて、同じ原材料の飲み物を選んだが、これは食事に合わせるには甘すぎたかもしれない。


『それ旨そうだな』

「あげるよ」


 平らの皿に移すと、すぐさまブランがぺちゃぺちゃと飲み始める。感想は言わなかったが、満足そうだ。


 肉より先に飲み物に興味をそそられるとは珍しいと思ったが、ブランの前にある皿の料理が綺麗になくなっているのを見て、アルは納得した。一瞬で食べきるとは、よほどお腹が空いていたのだろう。


『喉が渇く飯だったのだ』

「甘いものを飲んだら、逆に喉が渇くんじゃない?」

『うむ。だから、そこの煮込んだ肉をくれ』

「だから、の意味が分からないなぁ」


 肉で水分補給ができるものなのだろうか。

 アルは首を傾げながらも、望むままに取り分けてやる。ブランが『皿ごと寄越せ!』と言っているのは聞こえないフリをした。ヒロフミたちも食べたがるかもしれないのだから、独り占めするのはよくない。


「まったく……食欲の塊め」

「それがブランですから」


 クインに肩をすくめて答えると、「諦めも肝心か」という呟きが返ってきた。クインはまだその域まで達観できていないようだ。アルは諦めより慣れが重要だと思うが。



 ほどほどにアルコールが入り、美味しい食事をとったアカツキたちは、すっかり安らかな心地になったようだ。三人のにぎやかな会話を聞きながら、アルはブランに料理をとりわけつつ、食事を進める。


 そして、ヒロフミが『前夜祭』と表現した宴が終わる気配を見せた頃、まっすぐな眼差しに見据えられて姿勢を正した。


「アル、明日の昼に、全員ここに集合な」

「分かりました」


 ヒロフミの言葉は、それまでに解読を済ませるという決意表明であり、同時にサクラたちに覚悟を決めておけと告げているように聞こえた。

 アルはわずかに陰りのある目を見つめ返し、小さく微笑む。


「――すべてが分かれば、次は僕の出番ですね」

「ああ、そうなるはずだ」


 アルの空のグラスに、ヒロフミのグラスがぶつかる。

 一息にワインを飲みきったヒロフミはふらりと立ち上がって知識の塔に戻った。今日は徹夜で解読作業をするつもりなのかもしれない。


 アルは空を見上げて目を細める。


「良い結果になればいいなぁ」

『そうなるさ。きっと』

「楽天的だね」

『暗いことを考えてどうなる?』

「……それもそうだね」


 ブランを撫でながら話す。サクラとアカツキは黙って片付けを始めていた。


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