第472話 もう一つの
「噴水にモヤ……それがどんな形かは分からないの?」
噴水の方へ向かいながらアルはブランに尋ねた。
『……人の姿に見えるような、見えないような……』
曖昧な答えに、苦笑してしまう。モヤ、と言うくらいだから、形がよく分からないのはしかたない。
「噴水になんかあんのか?」
「ブランが言うには、モヤが見えるそうですよ」
ヒロフミに答えながら、一緒に噴水の傍まで向かった。近づいたところで、アルたちにはモヤなんてものは見えなかったが――。
「……ふむ? アルたちには、どのような噴水が見えているのだ?」
アルの傍でじっと噴水を眺めていたクインが首を傾げて言う。
どのような、と聞かれても、ごく普通のとしか答えられない。特徴のない噴水なのだ。中央部から伸びる管から水が噴き上がり、円状の受け皿に落ちているだけ。
とりあえずその説明をしてみたところ、クインは「なるほど」と微かな笑みを口元に浮かべた。
「ならば、吾もそのモヤらしきものが分かると言えよう」
「え、どういうことですか?」
アルの首元で、ブランが頭をもたげた。そして、不満そうな声で問いただす。
『先ほどおかしなものは見えぬと言ったばかりではないか』
「うむ。吾には異変とは思えないものだったからだな。違和を感じるには、認識の隔たりを知らねばならぬ」
クインの手がすい、と上がった。指したのは噴水の中心部だ。
「――吾にはそこに壺のようなものを捧げ持つ者の像が見える」
「それは確かに異変ではない、ですね。僕たちにそれが見えていないということが分からなければ」
言われてみれば納得する。異変を探すには、正常を知らなければならない。
『……我には見えん』
悔しそうにぼやくブランの頭を撫でる。思わずふっと笑みがこぼれた。
クインに対抗して役に立とうとするブランが、なんだか可愛いと思ったのだ。
「ブランがモヤを探し出してくれたからこそ、こうして異変が見つかったんだよ。ありがとう」
『……ふん。強くて美しき我なのだから、それくらいのことはできて当然であろう! だが、感謝したいならば、いくらでも受け付けているぞ』
調子に乗るのが早い。それに、今の状況で強くて美しいことは何の理由にもなっていない気がする。
アルは思わず半眼になって、ブランを軽く叩いた。
「その感謝って、甘味? お肉?」
『アルがそう思うのならば、そうなのではないか?』
ブランの言葉は、アルに選択を託しているように取り繕っていても、嬉々とした声音が意思を正直に反映していた。つまり、甘味や肉を寄越せ、である。
「……倅がすまぬな」
「クインのせいではありません。……むしろ、これで毎回要求通りに渡す僕のせいかも?」
ぼそりと呟きを付け足す。
途端にヒロフミが「それは間違ってないな」と返してきたので、アルは閉口した。
ブランを甘やかすのをやめた方がいいのだろうか。ブランが聞いたら即座に『甘やかされてなんてないぞ!』と抗議してきそうなことを考えながら、噴水に視線を向ける。
随分と思考が逸れていた気がした。
「それで、その見えない像をどうしたらいいの?」
サクラが悩ましげに呟いた。目を眇め、噴水を観察した後、「――やっぱり見えないわ」と肩をすくめている。
「また転移か? それにしては、そういう魔力の片鱗を感じないが」
ヒロフミもサクラ同様に眺め、不可解そうに呟きをこぼした。
「それは僕もです。というか、周囲魔力とさほど変わりませんよね。注意して見ると、少し魔力が濃い気がしますが……これは隠蔽に使われている魔力だと思います」
噴水の中心部――クイン曰く『壺を捧げ持つ者の像』がある場所は、僅かに魔力が濃く空間が歪んで見えた。細心の注意を払って見なければ分からないくらい些細な違和である。
「隠蔽……そうか? むしろ、像を映し出す方じゃないか?」
「え?」
ヒロフミと顔を見合わせた。ここで意見が分かれるとは思いもしなかった。
『ああ、そうか。隠蔽とは少し違う気がしていたが、幻視の方がしっくりくる』
ブランの納得したような言葉を受けて、アルは改めて噴水を観察した。
暫くして、気づいたことがあり「あ……」と声を漏らす。
「……どっちもだ」
「どっちもって、どういうことっすか?」
魔力や魔法にてんで才能がないアカツキは、アルたちを邪魔しないようにずっと黙って話を聞いていたのだが、つい疑問が漏れてしまったらしい。言った直後に慌てて自分の手で口を押さえていた。
そんなアカツキに呆れたように視線を流したヒロフミが、噴水を改めて観察して「アルの言うとおりだな」と呟く。
「つまり、隠蔽と像の映し出しの両方の魔法が使われてる?」
「ええ。あ、いや……像を映し出して、隠蔽が補助されているとも言えますかね?」
サクラの問いに一旦は頷いたものの、アルはすぐに訂正した。
「そうだな。純粋な隠蔽魔法は、実のところ見抜くのが簡単だからな」
ヒロフミと視線を合わせて頷き合う。
首元でブランが『んー?』と声をこぼした。
『隠蔽しているのに、見抜くのが容易いのか?』
「何を隠蔽しているかは分からないけど、隠蔽しているという状態であることは把握しやすいんだよ。魔力で空間にブレが生じるからね」
説明しながらも、アルは内心で『とはいえ、それも、相当に熟練した魔法使いか、魔力の流れを見て取れる人だけど』と付け足す。ヒロフミが言うほど簡単ではないのだ。
「ここにあるのは、隠蔽している状態であることすら、ほぼ完璧に隠している。面白いな」
感心した口調でヒロフミが評した。
アルはその言葉を聞きながら目を細める。これほどまでに念入りに隠しているということは、よほど気づかれたくなかったのだろう。それだけ重要なものが隠れていそうだ。
「……その箱が指し示したということは、片割れの箱がここにあるということですよね?」
「だと思うが」
ヒロフミが銀の箱を掲げる。道しるべの魔法は既に役目を終え、光を反射するだけの箱にしか見えない。
「それで、どうするのだ? 吾がその像を探ってみるか?」
「そもそも、触れられるんですか?」
「さぁな。やってみなければ分からぬ」
クインがひょいっと噴水の縁に立つ。そして、水深を確かめるように見下ろした後、ざぶざぶと水をかき分けて中心に進んだ。幸い、膝下ほどまでしか水は溜まっていないようだ。
「うわぁ、躊躇ないね……」
「びしょ濡れだぁ……」
サクラとアカツキがクインを眺めて呟いた。
『あれは服すら魔力で作っているようなものだ。多少濡れたところで不快さもなかろう』
「あ、そうなんっすね」
アルとヒロフミは会話を聞き流しながら、クインの様子をじっと見守った。
そして、宙に壺があるように、上から腕を突っ込んだクインの姿を見て、思わず『奇妙な光景だなぁ』という感想を抱いてしまう。見えていないから、違和感が大きいのだ。
「……ふむ。何かあったぞ」
噴き出す水に頭から濡れながらも、クインが手を掲げた。その指先にあるのは銀の箱。ヒロフミが持っているものとほとんど同じに見える。
「予想通りですね。クイン、ありがとうございます」
「なに。大したことではないゆえ、感謝には及ばぬ」
戻ってきたクインが小さく微笑み、取ってきた箱をアルに渡した。
ブランと違って謙虚なクインの言葉を聞いて、アルはブランをじとりと見下ろす。すぐさま目を逸らされたので、ブランも感謝を求めすぎている自覚が少しはあるらしい。
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