第471話 示す先へ

 ヒロフミが箱を目の高さに掲げてじっと見つめる。


「この中に何かが存在しているかさえ、開けてみなければ分からない。シュレディンガーの猫のようだな……」


 なんだそれは、と思ったアルが口を開くのを先回りするように、サクラが説明してくれる。


 異世界では、箱の中に閉じ込めた猫がほぼ確実に死に至るような仕掛けを施して、その後猫が生きているかどうかは箱を開けて確認するまで確定しない、という考えがあるらしい。


「面倒くさい考え方ですね」

「私もそう思う」


 真顔で頷くサクラを見るに、異世界人全員が同じ考え方なわけではないらしい。


「けど、暁はそういうの好きだったろ? なんか、ゲームの中の仕掛けで使ってたような――」


 ヒロフミの言葉が途切れた。ハッとした表情で、箱を見下ろしている。


「ゲーム? それは、この世界の参考にされたもののことですか?」

「……ああ。だが、それなら、ピースが足りない」

「ピース……」


 全く意味が分からない。アルはそう思いながらも、ヒロフミが考え込んでいる姿を見つめた。


「つき兄が作ったゲームの中にあったのは銀の箱だよね?」

「中に、重要なアイテムがあるやつだな。確か、ゲームの最終段階に出てきたはずだ」

「ピース、というか、解除するにはもう一つ箱が必要なんだっけ……?」

「そうだ。どちらにアイテムがあるか、開けてみるまで分からない。だが、開けられるのは一つだけ」


 サクラとヒロフミの会話で、なんとなく理解できた。もう一つ箱がある可能性を聞かされたところで、探せる気はしないのだが。手がかりがなさすぎる。


「――開けなかった方の中身は失われる。そもそも、中身がなかった可能性もあるが」

「確認できないんだから定かになることはない、ね。そっちの方が重要アイテムだった可能性もあるんだよね?」

「ああ。どちらを開けるかで、その後進む道が変わるんだと思うが」


 ヒロフミがテーブルに箱を起き、コンコンと指で叩く。それは独特なリズムだった。


「あー、なんか思い出してきたかも。一個の箱を見つけて、特別なリズムを刻んだら、もう一個の箱を探すためのヒントが出るって、リズムゲーム要素が組み込まれてた気がする……」

「簡単すぎるやつだったけどな」


 ヒロフミがそう答えた後には、箱に変化が現れていた。

 箱の表面に白い光が走り、模様を描く。それはアルにとって見慣れたものだった。


「魔法陣……」


 呟きながら、即座に解析を開始する。鑑定眼を使ってみると、答えが分かるのはすぐだった。


「【道しるべ】の魔法ですね。発動してみますか?」


 遥か昔に、魔道具が今より広く流通していた頃は、地図の代わりに用いられていた魔法だ。特定の場所への道筋を示す効果があるが、魔法陣の状態では到着地点を把握することは不可能。


「そうだな……。とりあえず、アルたちは埃を落としてこい。それから一緒に、探しに行ってみよう」


 ヒロフミがニヤリと笑う。久しぶりに分かりやすく成果が出そうな状況に、テンションが上がっているらしい。

 サクラが研究途中のメモをちらりと見下ろした後、肩をすくめる。気分転換をすることに無言で賛同したようだ。ここに籠もりきりになっているのに飽きたのかもしれない。


「分かりました。急いで身支度してきます」

『うおっ』


 アルはブランを抱えて、すぐさま動き始めた。



 ◇◆◇



 身支度を整えたアルたちは、アカツキも加えて異次元回廊内をひたすら移動した。

 銀の箱から示された【道しるべ】の魔法を発動すると、光の筋がどこかへ伸びたのが分かったのだ。今はその光をずっと追っている。


「……しんど。なんで地図にしてくれなかったんだ」

「つき兄がゲームで用意してたのも、これだった気がするよ」

「マジか。全然覚えてない……」


 ぶつぶつと文句を言うアカツキに、サクラは呆れた表情だ。今にも「忍耐力がない」と言い出しそうである。


「転移を使えないのが、面倒くさいですね」

「歩いてここまで移動するのは久しぶりだ。たまにはいいな」


 ヒロフミがグッと伸びをする。なんだか開放感に溢れた雰囲気だった。

 やはり知識の塔に閉じ籠もっているのもほどほどにしないと、精神的に苦痛なのだろう。サクラやアカツキと違い、ヒロフミは長い間外の世界にいたことも理由かもしれない。感性がアルに近いのだ。


「これ、この階層内ってことでいいんですかね?」


 多層的に存在している異次元回廊内を、光の筋だけを手がかりにして辿り着けるものだろうか。

 アルのそんな疑問にヒロフミが軽く肩をすくめる。


「さぁな。行ってみねぇと分からん」

「……ですよね」


 無意味な問いだった、と反省しながら、アルは光の筋に視線を向ける。それは影が流離う街の方を指しているようだ。


『まさか、またあのモヤのところではないだろうな?』


 アルの首元に巻き付いて脱力していたブランがぼそりと呟く。


「その可能性はある気がする」

『あれが消えたとは限らんからな。もしかしたら別のところに転移させられるのかもしれん』


 ブランが面倒くさそうに言う。続けて『一度で二つとも出してくれればいいものを』と身も蓋もないことをぼやいていた。


「俺もそいつは確認したかったからちょうどいいな」

「ヒロフミさんたちに見えますかねぇ」

「暁に見えなかったんなら、見えない可能性が高いだろうな」


 そんな話をしている内に、街に辿り着いた。相変わらず影が彷徨い歩いている。アルたちがここを離れてから、なにも異変は起きていないようだ。


 街中を光が指し示す先を求めて歩いていると、ふと影がさした。なんだか既視感を覚える。


「……またここにいるのか。今度は数を増やして」

「クイン。僕たちは二個目の箱を探しに来てるんですよ」


 人の姿で目の前に立ったクインを見ると、先刻の出来事を繰り返しているような不思議な感覚がする。だが、あの時とは少し状況が違うのだ。

 ここまでの流れを説明すると、クインは何度か頷いた。


「それならば、吾も協力しよう。再びそなたらに見えぬ者からの啓示があるならば、役に立てそうだ」

「ありがとうございます」


 アルたちに見えない少女が重要な役目を持っていたとしても、ブランがいれば曖昧ながらも理解できるだろうと思っていたが、はっきり見えるクインがいてくれた方がありがたいのは確かだ。

 ブランが少し不満そうなのは気づかないふりをして、アルは微笑んだ。


「そうこうしている内に、終着点が見えたようだぞ。同じ階層内で良かったな」


 ヒロフミが呟き、前方を指さす。

 そこは、見えない少女がいたところとは違った。なんの変哲もない公園である。噴水がきらきらと光を反射しているのが綺麗ではあるが。


「ここ?」

「ああ。全体が光ってる」


 箱は四方八方に光を放っている。【道しるべ】の魔法で探れる限界まで来たということだ。ここからは自力で探さなくてはならない。


 アルは公園をぐるりと見渡して、少し肩を落とした。目立つものは何もなく、どこをどう探せばいいのか皆目検討もつかない。

 ヒロフミたちが周囲に視線を走らせながら歩き始めるのを見つつ、アルはブランの背を軽く叩いた。


「ブラン、何かおかしなものは?」

『……母に聞けば良いではないか』


 クインを頼ろうとしたことに、ブランは拗ねてしまったらしい。プイッと顔を背けるブランからクインへと視線を移すと、苦笑された。少し申し訳なさそうだ。


「倅が捻くれたわがままものですまぬな」

『捻くれてなんぞおらんし、わがままでもない!』


 キャン、と吠えるブランにクインは肩をすくめる。そして、何も答えず公園に視線を走らせた。


「おかしなものと言っても、吾には広めで人工的な自然がある場所だとしか思えぬ」

「人影は?」

「ない」


 端的な答えに落胆する。期待が外れてしまった。

 公園内を歩き回っていたヒロフミたちも何も見つけられていないようで、アルたちの方へと戻って来る。


「全然分からねぇな」

「クインも分からないそうです」


 答えたアルの肩でブランが動く気配がする。


『……あのモヤは見えておらんのか?』

「モヤ?」


 ブランが鼻先で噴水を示す。

 どうやら、ここで期待するべきなのはブランの目だったようだ。


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