第468話 白昼夢のように

 相変わらず、クインが言うような少女の姿を見ることはできなかったが、指示をもらえればその意に沿うことは難しくない。


 木の近くに立ち、クインが「そこだ」と指す場所へ行くための方法を考える。思いの外、高い場所だったのだ。


「……木登りするべきでしょうか?」

「子どもの頃を思い出しますねぇ。俺が住んでたとこは田舎で、自然いっぱいだったんで、木登りして秘密基地作ったこともあったんですよ。ちゃちいけど、ツリーハウスって言ってもいいんじゃないかな」


 懐かしそうに呟くアカツキの横顔をちらりと見る。

 ここでアカツキがニホンでの子どもの頃の思い出を想起したのは、偶然だろうか。


 子どもの頃と言えば、アカツキの幼馴染であり婚約者にもなった女性も共に過ごしていたはずだ。

 同じ思い出を持っていても不思議ではなく、それによって今回の事象が起きている可能性は否定できない。


 アカツキに思い出してもらいたい、という意思表示である可能性はいかほどだろうか。


『我が連れて行くのが手っ取り早いだろう』


 言うが早いか、あっという間に中型サイズに変化したブランが、アルに背を向けた。遠慮なく乗ると、アカツキもいそいそと近づいてくる。


「わーい、ブランに騎乗だー!」

『お前は木登りが得意なのだろう? 自力で行くといい』

「そりゃないぜ、セニョリータ!」

『せにょ、……?』


 勢いよく放たれた意味不明な言葉に、ブランが虚をつかれて戸惑っている隙に、アカツキがアルの後ろに飛び乗った。


「どういう意味です?」

「確か、お嬢さん、とかそんな感じっすね」

『我はお嬢さんではない! 馬鹿にしているのか!?』


 怒るブランはごもっともだと思う。アルも呆れてしまったが、アカツキは「なんとなく語呂が良くって、つい」と悪びれない返事をしている。

 さらに怒りが増した様子のブランが、アカツキを振り下ろそうとする動きに巻き込まれたアルは、ひたすら宥めるしかない。


「ブラン、遊んでないで行くぞ」


 クインがそう言うと、ブランはピタリと止まった。不機嫌そうに尻尾を揺らしているが、少しは落ち着きを取り戻したようだ。


『……遊んでいるわけではない』

「そうか? 楽しそうなのは良きことだが、状況を考えるべきだろうな」

『楽しんでなどおらん!』


 ブランの抗議に、クインはフッと笑った。そのまま地を蹴り、木の上へと飛ぶ。人間離れした跳躍力は、魔物であることを知らしめるようだった。


 アルはクインを視線で追い、不意にその姿がかき消えたのを見て驚く。すぐになるほど、と頷いたが。


「やっぱり、転移してるね。というか、あの一地点が別空間に繋がってると言うべきかな」

『感じたか』

「うん。一瞬だったけど、魔力を感じたよ」


 隠蔽しきれない魔力の流れと言うべきか。空間魔法の気配を捉えて、アルは納得した。理解さえしてしまえば、恐れは減る。

 クインが先行してくれたのは、アルの心的負担を軽減するためだったのだろうか。もちろん、先んじて危険がないか確認するという意味もあったと思うが。


 ブランの首筋を軽く叩くと、アルの意を察したブランが地を蹴る。

 クインが消えた地点まで着いた途端に、視界が一瞬で白く染まった。



◇◆◇



 一人の女性が白い空間を歩いている。なんとなく見覚えのある場所だった。

 ぼんやりとそれを眺めていたアルは、不意に白い柱が生じたことに目を瞬かせた。気づいたら、広い空間に数多の白い柱ができている。


「ここは……」


 呟く声は虚しく響いた。

 アルは一人きりで、女性はアルの言葉に反応しない。


「どうして、僕は、一人で……?」


 なぜ自分はここにいるのか。

 なぜだか寒く感じる肩をさする。なにか物足らない気がしてならない。寂しい、と言ってもいいだろう。


「あの、すみません」


 女性に声を掛けてみるも、返事はおろか視線が交わることさえなかった。耳が不自由なのだろうか、と思い手を伸ばした途端、空振ったことで息を呑む。


 アルの手は、女性の肩をすり抜けていったのだ。


 女性に実体がないのか、それとも――?


「まさか、僕、幽霊に……?」


 近くの柱に手を伸ばして、何も触れなかったことに目を見張る。

 死んだ覚えはなかったが、この状況は幽霊になったようだと考えてもいい気がする。まったく実感はない。


「う〜ん……なにか、忘れている気がする……」


 死んだら記憶が曖昧になるのだろうか。それならば、彷徨い歩く幽霊の怪談に納得できる。

 目的さえ忘れるのが幽霊にとって普通のことなら、未練があって世界に留まっているはずなのに、ぼんやりしている幽霊が多くても不思議ではない。


「――まぁ、いっか」


 考えても思考はまとまらず、それに焦りさえ浮かばない。

 これほど楽観的だっただろうかという疑問が生じても、死んでいるからだろうなと思えば軽く流してしまえる。


「この女性は何をしてるんだろう?」


 自分の状況を理解し片付けてしまえば、自然と意識はたった一人の動く存在に向いた。

 女性は生じた柱に軽く触れ、じっと見つめている。


「――文字?」


 読み取れない文字のようなものが、柱に刻まれていた。

 それと同じことが、別の柱にも起こる。女性は柱を生み出しては文字を刻む作業を繰り返していた。時に愛おしそうに、あるいは憎らしそうに――。


 その姿をなんとなく追いながら、アルは小さくあくびをもらした。死んでも眠くなるとは、不思議だ。


「退屈……」


 暫く女性の行動を眺めて暇を潰していたが、代わり映えのしない光景に飽きるのは早かった。こんなとき、◯◯がいれば暇を潰せるのに――……?


 自分の思考に、はたと立ち止まる。

 女性が離れていくのを視界に捉えながら、首を傾げた。自分が今誰を思い浮かべたのか分からない。だが、心が強く動き出したのを感じた。


 こんなところにいる場合じゃない。


 ふと強くそう思う。だが、どこに行くべきかも分からない。

 分からないことばかりだ。


「僕は、どうして、ここに……?」


 再び湧き上がった疑問をかき消そうとするように、楽観的な思いが心に押し寄せる。だが、アルは気づいていた。自分はこんな風に疑問を軽く流すような性格ではなかったはずだ、と。


 何もかもがおかしい。

 眉を顰めた瞬間に、目の前の光景が遠くなった気がした。


「なに、が……」


 不意に女性が振り返る。その目はアルを捉えて見開かれたように思えた。初めて、アルの存在に気づいたのだ。


 迷うように目を眇めた女性は、ゆっくりと一本の柱を指す。すると、柱の表面がボロボロと崩れていった。中から何か光を反射するものが見える。


「これは……?」


 近くにあるはずなのに遠い。意識を集中しようとしても、見定めることができない。


「あなたは、誰……?」


 アルの問いかけに、女性が小さく唇を動かす。まるでガラス扉で隔たれているように、声は一切聞こえなかった。

 だが、唇の動きは分かる。なんとか真似て動かしてみた。


「……り……あ……?」


 アルが呟いた途端、女性は淡い微笑みを浮かべた。



◇◆◇



『――アル、どうしたのだ?』

「アルさーん、立ち眩みですか? 気分悪い? え、ブランの動きのせいで酔った?」

『そんな乱暴な動きはしておらん!』


 不意に音が洪水のように押し寄せてくるような感覚があった。

 ぱちり、と目を瞬くと、アカツキの手が目の前に飛び込んでくる。視線を動かすと、座り込んだブランが、心配そうにアルを窺っていた。


「あ、見えました?」

「……ええ、見えてますよ。ご心配をおかけしました」


 手を振り続けていたアカツキに頷き、アルは周囲を見渡す。

 いつの間にか白い神殿に来ていた。確か、見えない少女が指差す先に飛び込んだはずだったと思うのだが――?


「状況は理解しておるか?」

「クインの後に続いて、空間を移動したんですよね?」

「ふむ、間違ってはおらぬようだ」


 冷静に確認してきたクインに言葉を返す。


「……えっと、ここに着いて、どうなりました?」

『我から下りた途端、そこで棒立ちになったのだ』


 すぐさまブランが答えた。


「ちょっとの間だったんですけど、立ち眩みですかね? 休みます? どんな未知の場所に辿り着くかと思ったら、見慣れた場所だったんで拍子抜けしちゃったんですけど、アルさんの体調が悪いなら、危険がない場所でなによりって思うべきですかね?」


 心配しているせいか矢継ぎ早に言うアカツキに、アルは苦笑する。

 体調に問題があるとは思えない。だが、一瞬自分だけ別の場所に行っていたような気がした。あまり思い出せないのだが。


『アカツキ、うるさい』

「ごめんなさい!」


 ジロッと睨むブランに、アカツキが素直に謝っているのを聞きながら、アルは視線を巡らせた。


 アカツキはここを見慣れた場所だと言った。アルもそう感じている。

 それなのに、なぜだか違和感が付き纏っていて、なんとなく居心地が悪かった。


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