第461話 時が動き始める

「俺が、みんなの……」


 アカツキが震える声で呟く。

 それを横目で眺めながら、ヒロフミが片眉を上げた。


「だが、それだけじゃわからねぇこともある。この世界で魔族として存在していた者全員が、暁と知り合いだったわけじゃねぇだろ」


 サクラが小さく頷いた。アカツキはハッとした表情で顔を上げ、ヒロフミを凝視する。


「なんで、そんな軽く受け入れられんの……? 俺のせいだとか、言わないわけ?」

「は? 何がだよ。お前は利用されただけで、別に悪いことなんてしてねぇ」

「そうだよ。つき兄が罪悪感を覚える必要なんて、全然ない!」


 呆れた表情を浮かべるヒロフミも、微笑むサクラも、アカツキを責めるつもりなんて、少しもないようだ。


「二人、とも……!」


 目を潤ませ言葉を詰まらせるアカツキに、ヒロフミが「ダッセー顔してんなぁ」と馬鹿にするように言う。

 そんな態度さえ優しさから生まれているのだとアルにも伝わってきて、ホッとすると同時に羨ましくなった。


 アルはここまで信頼しあえる友人がいなかった。今後できるかどうかも分からない。


『お前も馬鹿なことを考えていそうだな』


 膝の上に温かな重みが掛かる。

 乗ってきたブランが、アルの顔を見上げながら尻尾で腕を叩いてきた。


「……馬鹿なんて、ブランに言われたくないなぁ」

『なんだと!? それはどういう意味だ!』

「ごめん、ごめん」


 プンプンと怒って、さらに強く尻尾で叩いてくる。宥めるために頭を撫でながら、アルはふっと微笑んだ。


 人じゃなくても、信頼できる仲間はここにいたのだと思い出したのだ。アカツキを羨ましく思う必要なんてない。むしろ自慢してもいいくらいだ。


「――魔族と呼ばれる方々は、アカツキさんがこの世界に誕生してから半年後あたりに増えたそうです。おそらく、アカツキさんと関係の深かった人が先に生じて、そこからさらに記憶を探られて、アカツキさんと関係がない人々も生まれていったのではないかと思います」


 アルがヒロフミが投げていた問いに答えると、三人ともが真剣な表情で頷いた。

 衝撃を受けて落ち込んだ様子だったアカツキも、サクラとヒロフミの言葉で瞬く間に精神を立て直したらしい。


 そんなアカツキに、アルは密かに感心する。

 一人きりのダンジョンで、記憶を失ったまま長い年月を過ごしていたアカツキは、アルが思っていたより精神的に強いのかもしれない。


 いくらブランに馬鹿にされたり、素っ気なく扱われたりしようと、全然めげないのもその精神性からきているのだろうか。


「となると、やっぱりこれを使って、記憶を通じて異世界にいる本物に干渉できる可能性が高いな」


 ヒロフミがメモを指で弾く。

 何者かが風を使ってアルたちに示唆してきて、イービルの記録を見ることで完全体を把握できるようになった、魔法陣らしきものだ。


 これを使って、イービルがニホンらしき風景を見ることができていた意味は非常に大きいはずだ。

 それが、記憶の中のものなのか、あるいは実際にニホンにいるアカツキの視界を借りられたのか、という問いは、解析を待つしかない。


 何度目かの結論に、ヒロフミはため息をついてから気合いを入れ直したようだ。


「――んじゃ、いっちょ、これの解析をがんばるかね」

「宏、ふぁいとー!」

「宏兄、がんばれー」


 応援の声を上げるだけで、手を貸すつもりがなさそうなアカツキとサクラの様子に、ヒロフミががっくりと肩を落とす。


「……気が抜ける応援はやめろ。あと、使えねぇバカツキはともかく、サクラは手伝え」

「えー……まぁ、私ができることなら?」

「使えねぇとか、バカツキとか、ひどすぎる!」


 アカツキの抗議は、二人に聞き流されていた。毎度のことながら、アカツキの立ち位置は時々不憫だ。

 だが、『使えない』という言葉にはアルも密かに同意してしまったので、フォローをいれられなかった。


「僕ができることがあったら、遠慮なく言ってくださいね」

「アルには十分助けられてる。それにあのお嬢さんも言ってただろ? アルが見出した方法で、俺たちはこの世界を去ることができるってな。どこまで信用できる言葉かは分からねぇが、アルは自分が思うようにやってみるのがいいんじゃねぇか?」


 真剣な眼差しでヒロフミに言われた。

 自分が思うように――アルはまだどうしたらいいのか分からないが、もう少し考えを煮詰めてみるべきだろうか。


『アル、旨い飯を食おう!』

「唐突になんでその提案なの?」


 ブランをじとりと見下ろすと、思いがけずまっすぐな目で見つめ返されて、虚をつかれたような気分になった。


『難しいことを考えていたら、頭が疲れるだろう? そんな時には旨い飯がよく効く』

「お、いいね。俺もうまい飯は好きだ」

「はいはい! 俺もー。食材探しなら協力できますよ。美味しいお肉創ります? それとも野菜?」

「野菜とかは工場で創ってるから、普通にお店で買ってくればいいんじゃない?」


 ブランの言葉に、まさかのヒロフミたち三人も乗ってきた。

 アルは思わず苦笑し「そうですね」と返すしかない。美味しいご飯を作って、ヒロフミたちを支えつつ、これまで分かったことで見逃していることがないか考えてみようか。


「僕が外で調べてきたことは大体話し終えたので、後はヒロフミさんの解析結果を待ちますね」

「おう、任せとけ」

「たまには休暇も必要よ。たくさん調べてくれてありがとう」


 このまま解析を開始するというヒロフミとサクラに見送られ、アルは知識の塔から出ることにした。せっかくなら、この地独特の食材を使って料理したい。


 クインは元の姿に戻って少し休むそうだ。アルにはブランとアカツキがついてきた。


『旨い飯……といえば、肉だな!』

「疲労には美味しいご飯、なんて言ってたけど、ブランが食べたかっただけなんじゃない?」

『なんのことだ?』


 肩に乗っているブランが、そぉっと視線を逸らす。アルの言葉に反論できなかったようだ。そんなところもブランらしくて、微笑ましくなってしまったから、アルはそれ以上何も言えなかった。


「アルさん」

「なんですか?」


 背後を振り返ると、アカツキが思いがけず真剣な表情を浮かべていた。緩んでいた気分が引き締まる。


「……色々、まだ消化しきれてない情報があるんですけど、アルさんにお礼を言っておかなきゃなって。――本当に、ありがとうございました。どんな真実であっても、知ることができなきゃ何も始まらない。アルさんのおかげで、俺たちは前に進めます」


 アカツキが深々と頭を下げた。

 アルは言葉を失い、その姿をじっと見つめる。


「宏と桜、すごく前向きに見えたでしょ? それは、空元気もあるかもしれませんけど、未来が見えたから、っていうのが大きいと思うんです」


 顔を上げたアカツキが、塔の方を振り返る。その表情も声も、愛情に満ちていた。


「――ようやく、俺たちの時間が動き始めた気がします」


 アカツキの言葉の意味すべてを理解することは難しかった。それは、アルとは違い、長い時間を悩み、もがきながら生きてきた者だからこそ抱いた感想だと思ったから。


 だが、アルがしたことが、アカツキたちの役に立ったのなら心から嬉しいと思って、自然と微笑みが浮かんでいた。

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