第455話 探求の旅の話①

 アルは少し考えてから、ふともう一つ調査を頼んでいたことを思い出した。


「そういえば、床に現れた魔法陣については何か分かりましたか?」

「いや、そっちはさっぱり分からない。足りていない部分を補足するものは、何も見つからなかったからな」


 ヒロフミがため息をつく。

 その様子を眺めてから、アルは知識の塔に納められたたくさんの書物に視線を移した。これらの書物すべてに目を通したのだろうか。

 その結果何も分からなかったのなら、疲労感が漂うため息をつくのも仕方ない。


「そうですか……。お疲れ様です」


 魔法陣に関しては、アルの方で情報を得られているので問題ない。

 だが、それについて語る前に、アルはヒロフミたちに聞きたいことがあった。


「――一つ質問なんですが、ヒロフミさんたちは【フィリーリィンヒュー】という言葉を理解できますか?」


 これはオリジネが言っていた言葉の響きを真似たものだ。

 アテナリヤがどこから来たのか、と尋ねた時にこう答えられたのだが、アルはまったく理解できない言葉だった。


 後にソーリェンに尋ねると、魔族たちがそのような響きの言葉を使っている記録があったと教えられたのだ。


「なんて?」


 急な質問だったせいか、ヒロフミに怪訝な表情で問い返された。その隣でアカツキが必死に言葉を繰り返している。


「えっと……【フィ】【リィ】【リィン】【ヒュウ】……かみ、に、てんじる、ち……?」

「ああ、言われてみると、そう聞こえたかもな。だいぶ発音が曖昧だったが。でも、【フィリィリィンヒュウ】なんて、わざわざ聞かなくても理解できるだろ。言葉通り、神に転じるための場所って意味じゃないか?」


 アカツキの言葉の後、ヒロフミが不思議そうな顔で首を傾げる。

 アルはヒロフミたちと認識に違いがあるのを感じた。


「ヒロフミさんたちは【フィリーリィンヒュー】が【神に転じる地】と聞こえてるんですか?」

「だから、なんで急にそんな曖昧な発音に……って、アルには聞こえてない言葉なのか?」


 ヒロフミが目を見開く。アカツキも「えっ」とこぼして戸惑った表情を浮かべた。


「僕には正直、風の音のようだとしか思えなくて。必死に言語化したのが【フィリーリィンヒュー】なんですけど」


 質問をした意味を説明すると、ヒロフミが目を細めて考え込む様子で黙り込んだ。

 アカツキは意味不明に指を振って宙を指している。


「あー……外国語が理解できない感覚? この場合、異世界語? 俺ら普通にこっちの言葉使ってるけど、実際は言語が違うんだもんなぁ」

「つまり、僕が聞いたのは、アカツキさんたちの世界の言葉だということですか?」

「たぶん。アルさん、俺たちが日本語で書いた文字読めなかったですよね? それと同じ感じで、日本語が聞き取れてないんだと思います」


 それならば、ソーリェンが魔族たちが似た言語を使っている記録があったと言ったのも納得できる。

 アカツキたちは無意識でこの世界の言葉を喋っているようだが、同族だけになればニホン語で会話することがあり、それが記録されていたということなのだろう。


 そして、それならば。

 アテナリヤがこの世界に来る前にいた場所を示す言葉に日本語が使われていたというのは、出身地の答えになっている可能性が高かった。

 つまり、アテナリヤはニホン出身だということ。そして、その事実が示すのは――。


「アルは、どこでその言葉を聞いたんだ?」


 ヒロフミの真剣な眼差しと目が合った。

 おそらく、ヒロフミは気づいている。【神に転じる地】という言葉がニホン語で示された意味を。


「……説明します。たぶん、僕が外で調べてきた流れを順に説明した方がわかりやすいと思いますが」

「アルがしたいようにしてくれ」


 躊躇いがちなアルを促すように、ヒロフミが頷いた。

 クインとブランから視線を感じる。その穏やかで静かな眼差しに励まされて、アルはようやくしっかりと決心できた。

 知った事実を、仮説とともにすべて語ろう、と。


 まず語るのは、霧の森で得られた事実。

 地に生きる者と交信した結果、『魔族は存在なき者。帰還の術より存在の根源を知ることが重要』という回答をもらった。


 ついでに、何故か気に入られて、地に生きるたちと交信できる装置ももらったことを話すと、アカツキが「アルさんって意外と人タラシなんですね〜」と笑う。

 地に生きる者を人という分類で扱いしていいか、実際に相対したアルは疑問に思う。それを説明すると話が逸れるから、今は無視するが。


「存在なき者とか、根源っていうのは、精霊の王も似たようなこと言ってたよな?」

「ええ。ですから、新しい発見はなかったですね。ただ、聖域を調べるといいという指針は役に立ちました」

「なるほど。それで聖域に行ったってことか?」

「その後すぐは霧の森の結界を探りましたね」


 ヒロフミに答えながら思い出す。

 霧の森を管理しているシモリは、不思議な存在だった。


 シモリから得られた情報は、異次元回廊内の神の座がある場所にシモリの本体があること。つまり、神の身許から遠隔で霧の森が管理されているということだ。


 そして、霧の森に敷いている結界の原理を聞いた結果、KHS携帯型――外部からの魔力干渉を防ぐ道具――をもらった。

 もし今後、悪魔族が保有している技術である、魔力を奪取する魔道具に相対することがあれば、KHS携帯型を使ってそれを無力化できる。


 そのやりとりの後に砂糖をもらった経緯の説明は割愛して、聖域へ向かうための転送陣がある塔についての話をヒロフミたちに聞かせた。

 塔に入るためにブランの血を使うことになったのは、思い出すだけでも少し嫌な気分になる。


「……聖域に向かうために使う転送陣を守る結界の鍵が、竜血ドラゴンブラッドか。随分と鬼畜な難度だな」

「そこで『自分の血を使え』って言えちゃうブランは、カッコいいっすね!」

『我は当然のことを言っただけだ』


 褒められても、誇ることなく首を傾げるブランを見て、アルは小さく微笑む。ブランの言葉が本心から生まれているのだと、その様子から伝わってきた。


 ブランの頭を軽く撫でて追加のお菓子――フルーツタルトを渡す。いつの間にかテーブルの上の皿がすべて空になっていたのだ。

 まだ食欲があるようで、ブランは嬉々とした様子でフルーツタルトにかぶりつく。


 アルはそれを眺めながら話を本筋に戻す。

 次にあったことと言えば――。


「シモリさんからは、塔にある転送陣を使えば、聖域の中の隠された場所に行けるという情報をもらいました」

「へぇ、そりゃラッキーだったな」


 ヒロフミがフルーツタルトからフランベリーを掠め取って食べ、にやりと笑う。まんまと奪われたブランは、衝撃を受けた様子で固まった。

 アルもパチリと目を瞬く。ブランが食べ物をあっさりと盗られた光景を見たのは初めてかもしれない。ヒロフミはどんな方法を使ったのか、見ていても分からなかった。


「宏、いいなー!」

「自分で取れ。――話を聞いてて思ったが、そのシモリってやつは、随分とよく話してくれたもんだな?」


 ねだるアカツキを躱して問いかけてくるヒロフミに、アルは苦笑する。

 一応、三つの質問に答えて、情報にアクセスする権利を得られたからこそだったのだが、それでも制約のすべてをなくすことはできなかった。


「聖域の隠された場所に関する話を詳しく聞こうとした途端、『理に抵触した』という声が響いて、それ以上情報を聞くことができなくなりましたけど。あれは知らない女性の声でした」


 威圧感のある静かな声を思い出す。あれはアテナリヤの声だったのだろうか。


「……へぇ。となると、シモリの動向は監視されていたってことか」

「あらかじめ設定されていただけかもしれませんが。理に抵触するようなことがあれば、ただちに活動が抑制される感じに」

「ああ、そうかもしれないな」


 アテナリヤが休眠状態だとすると、リアルタイムで監視していた可能性は低いと思う。

 ヒロフミもアルと同意見のようだ。

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