第449話 先に待つものとは

「つまり、僕が魔族――ヒロフミさんたちを通して、悪魔族に干渉することになっても、精霊は関知しないということでいいですね?」


 トラルースの視線がアルに戻った。じっと見つめてくる視線を、アルは落ち着いて受け止める。


「……そうだな。それに何かを言う者はいねぇだろ。むしろ、それが望まれている可能性もある」

「え?」


 思わずきょとんと目を丸くした。

 そんなアルを眺め、トラルースはため息をつく。


「忘れたか。アルの誕生には精霊が関わっているんだぞ。俺は先読みの乙女が何を知り、精霊の王が何故その娘に協力することを決めたのかは詳しくねぇが、十中八九悪魔族、あるいはイービルのことが関係しているはずだ」

「あ、そうでしたね……」


 先読みの乙女が予言した、最悪の事態を避ける一手として、アルは精霊の魔力の器を持って生まれることになったのだ。

 その意味はまだよく分かっていないが、現在のアルの行動が、先読みの乙女の望みに沿っていることは、当代の先読みの乙女ジェシカの発言から確定している。


 つまり、アルの行動は精霊の王も認めていることなのだ。精霊がそれを妨げようとするわけがない。


『他力本願甚だしいな』


 ブランがケッと吐き捨てるように呟いた。トラルースは「そう言われたら、否定する言葉は一切ねぇよ」と苦笑する。

 アルは一応咎めるために、ブランの頭を軽く叩いた。それが事実であったとしても、トラルースにぶつけてどうなるものでもない。


「まぁ、精霊が敵に回らないというだけで、ありがたいですよ」

『味方とも言えんがな』

「こら、ブラン。どうしてそう、敵対しようとするの」


 ブランの頬を両手で引っ張る。なんだか間抜けな顔で、思わず笑ってしまった。


『引っ張るな! 笑うな!』

「一回窘めた時に、反省してくれたら良かったんだけどねぇ」


 ひとしきり、喚くブランで遊んでから解放する。ブランは『ひどい。我は事実を言っただけだぞ』と言いながら叩いてきたが、痛くないからただの怒っているふりだろう。

 はいはい、と聞き流してトラルースを見る。


「明日、ジェシカさんを連れて異次元回廊に行きます。それで良い方向に事態が進めばいいと思ってはいますが……」

「別に、悪いことにはならねぇだろ。アルの好きにしたらいい」


 ヒロフミたちと話して何が起きるか、正確な予想は立てられない。だから、つい声に不安が滲んでしまったが、トラルースはあっけらかんとした雰囲気で微笑んだ。


「――それで、俺の手が必要になったら、遠慮なく言え。なんでもできる、なんてことは言えねぇが、できる限りのことは協力するからな」

「そう言っていただけるだけで、心強いですよ」


 万が一、世界に影響が出るような事態になっても、精霊の協力が得られると思えば安心できる。

 アルは微笑んで「その時はよろしくお願いします」と言葉を続けた。


『ふん……良いところばかり取ろうとしおって……』


 ブランは文句を言いながらも、さほど不機嫌そうではない。やはり、ブランから考えても、精霊の助力が得られる可能性が高いことは安心材料なのだろう。


 アルは話が一段落したところで、そろそろ暇を告げようかと顔を上げた。


「……時に、そなたはヒロフミと仲が良いと聞いたのだが」

「クイン?」


 不意に口を開いたクインに、視線を向ける。これまでトラルースと積極的に会話をしようとする雰囲気ではなかったのだが、気が変わったのだろうか。

 じっと見定めるような視線を向けるクインに、トラルースが片眉を上げた。


「付き合いが長いのは事実だな」


 確かに、トラルースとヒロフミは以前仲の良さそうな雰囲気で話をしていた。

 元々、トラルースは精霊の森の外部との折衝役を担っていて、その関係でヒロフミと知り合ったらしい。相当昔からの知り合いのはずだ。


「ならば、アルから話を聞いたヒロフミが、どのように考えるか予想できるか?」


 アルはハッと息を呑んだ。

 これまで悩んでいたことについて、トラルースから考えを聞ける可能性をうっかり失念していた。ヒロフミと付き合いが長いのだから、トラルースはアルよりもよほどヒロフミの考え方を理解しているかもしれない。


「あー……その、話ってのは、魔族がこの世界生まれで、生を終わらせるには消滅しかねぇってことか?」

「消滅しかないというのは、今のところの結論ですけど」


 咄嗟に口を挟む。アルはヒロフミたちが望むなら、別の手段を見つけようと決めているのだ。

 トラルースは少し気まずそうな顔をした。


「そうだな。俺が早計だった。……それで、そういう事情に、ヒロフミたちが絶望しねぇかって聞きたいんだろ?」

「ああ。吾が思うに、ヒロフミもサクラも、早まった行動はしないと思うのだが。あの娘が『魔族が悪魔族を残してこの世界から去る可能性がある』というようなことを言っていたのが気になったのだ」


 あの娘とは、ジェシカのことだろう。

 ジェシカの先読みの能力によると、アルが魔族たちを救い出す方法を見つけることで、魔族はあっさりとこの世界を去ることになるらしい。それによって、悪魔族が暴走する可能性も示唆されていた。


「ヒロフミさんたちが世界を去ることを選ぶのは、絶望からだとは限りませんけど」


 もしかしたらすんなりとより良い方法が見つかって、ヒロフミたちが納得の上でその方法を選択する可能性だってあるのだ。……その際に、悪魔族を放ってしまうのは、アルに任せれば大丈夫と判断した結果だとも考えられる。

 おそらくジェシカが関わったことですでに変わっている未来だろう。


「それはそうだが、やはり気になるのだ。そなたはどう思う」


 クインが改めてトラルースに尋ねた。

 トラルースは眉間にシワを寄せて暫く考え込んでいたが、フッと息をついて顔を上げる。


「……俺も、絶望から消滅を選ぶとは考えにくい気がする。ヒロフミ一人ならばあっさりと消滅を受け入れるだろうが、あいつは幼馴染をずいぶんと大切にしているようだからな。幼馴染が消滅する可能性を知ったら、ギリギリまで足掻くだろうさ」


 アルはなるほどと深く頷いた。トラルースの意見は、アルが知るヒロフミ像と一致している。


 そもそも、ただ消滅するだけなら、ヒロフミたちはこれまでにも手段を持っていたのだ。アテナリヤから与えられた剣を使えば生から解放されることは、彼ら自身がよく知っていることなのだから。


 それをしなかったのは、アカツキを探していたからだ。アカツキが見つかった後も、帰還の術を探すだけで、剣を使う気配は微塵もなかった。それは彼らが無抵抗に消滅することを望んでいない証左であるように思える。


「となれば、やはりアルが、消滅以外の救出手段を見出すのか。それは実に喜ばしい。だが、悪魔族という同族の対処を放って、あるいはアルに任せきりにして、ヒロフミたちが一足先に去ることは違和感がないか?」


 クインが改めて疑問を提示する。

 トラルースは「確かに変だな」と首を傾げた。アルも想像してみて、それがヒロフミたちらしくない行動だと気づく。もし、今後そのような行動をするのならば――。


「……悪魔族を放っておかなければならない状況に陥る可能性がある?」


 考えをぽつりとこぼしたら、なんだかしっくりきた気がした。

 もし、アルが見出した救出策に、なんらかの制限があったとして。ヒロフミは同族である悪魔族よりも幼馴染であるサクラやアカツキが優先して救われる道を選ぶだろう。その場合、アルも悪魔族への対処を快く請け負うだろうし。


「あぁ……そういうことか。そうなると、その状況を回避させようとついて行くっていうあの娘は、アルやヒロフミたちの味方とは言い難いんじゃねぇか……?」


 トラルースは思いっきり顔を顰めた。

 アルも咄嗟に零れそうになったため息を、唇を引き結んでこらえる。結果的にジェシカが敵に回る可能性は否定できない。


「……悪魔族を救う代わりに、ヒロフミさんたちの救出が不可能になる、とか?」

『ジェシカとやらも、どこに誤差が生まれて、悪魔族が放って置かれることになるか分からん様子だったぞ。我らと共に異次元回廊に赴こうとすることに悪意はないだろう。結果がどう転ぶかは、未来を読めん以上、知りようがない』


 ブランが冷静に言う。

 時には為になるようなことも言うものだ。思わず感心すると、それを敏感に察したのか、ブランにジロッと睨まれた。目を逸らして思考を戻す。


「そうだね。とにかく、ジェシカさんの行動を注視しつつ、ヒロフミさんたちにとってより良い方法を見つけられるよう頑張るしかない」


 改めて気合いを入れ直す必要がありそうだ。

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