第447話 世界は変化し続ける

 トラルースが過ごすこの空間は、もともと濃密な魔力が満ちていた。アルのように魔力を大量に持っている者以外の人間には、とても耐えられないほどの濃さである。


「ここの魔力は、帝国の人が魔の森に侵入しないようにするための結界を維持するために用意されていたんですよね?」


 前回のお茶会でトラルースから聞いた話を思い出す。


 帝国の者たちが、魔族を探して魔の森に出入りしていた。それに不快感を示したのが、この地の管理を行うドラゴンのリアムだ。


 異次元回廊の入り口——つまり魔族の住処に続く場所を管理する精霊としては、帝国の者たちの動向は無視できず、またこの地の一部をリアムから借りている関係上なんらかの対処をする必要があった。


 そのためにマルクトによって作られたのが、ドラグーン大公国近くの魔の森一帯を覆う結界だ。その効果により、帝国の者はこの地に踏み入ることができなくなった。

 だが、それほど大規模な結界を恒常的に敷いておくのには、莫大な魔力が必要となる。


 この地に住まう精霊はトラルース一人だが、精霊にしては少ない魔力量しか持っておらず、結界を維持することは不可能。


 ならばどうしているかというと、この空間をマルクトの空間に繋げ、必要な魔力をこちら側に供給するという方法がとられているのだ。

 結界を維持する魔力はマルクトが、結界の管理はトラルースが担うことになったわけだ。


 莫大な量の魔力が供給されることで、この空間は消費される前の高濃度魔力で満たされていた。現在はそれがほとんど感じられなくなっているが。


「そうだな。簡単に答えると、結界が必要なくなったから、魔力の供給も止められたというだけだ」

「結界が不要? ——ああ……帝国の人たちが来なくなったということですか?」


 理由はそれしかないだろう。

 そういえば、トラルースは再会直後「最近は忙しくない」と言っていた。帝国の監視もトラルースの務めの一つだったのだから、それだけ帝国の活動が停滞しているということだろう。


「正解。もともと、それほど長引かないだろうとは思っていた。あいつらは、余計なことに延々と手を出していられるほど、余裕はねぇからな」

「えーと……徴兵とか、すごいんでしたっけ?」


 異次元回廊や霧の森、聖域など、人間社会との関わりが気薄になっていたので、随分と世界情勢に置いて行かれている気がする。

 だが、帝国が多くの冒険者なども集って、大規模に徴兵をしていることは、霧の森に向かう道中に耳にしたはずだ。


「そのようだな。そのおかげかどうかは分からねぇが、帝国が優勢の戦況のようだぞ」

「それは……喜ばしいことですか?」


 無感情なトラルースの言葉に、アルはどう反応を返すべきか分からなかった。

 アルとしては、悪魔族やマギ国が行っていた魔力消失行動には反対だが、帝国の少々傲慢で強引な戦争のやり方にはまったく賛同できないから。


 特に、帝国は、魔力を強引に増強する兵器を使い始めて、精霊が魔力の穢れへの対処を余儀なくされるほどの被害を生み出していたはずである。

 素直に帝国の優勢を喜べない。


「さて、な? とりあえず、最悪の兵器はすべて回収・破壊した上で、皇帝への牽制も済んだから、俺たちとしてはあまり問題なくなったが」

「あ、そっちの対処はしたんですね」


 どうなることかと思っていたが、珍しく精霊は素早い対処をしたようだ。さらりと『皇帝への牽制』とこぼされたことに対しては、アルは聞かなかったことにしたい。


 元々帝国の使節が精霊の森を訪れることはあったようだから、なんらかの交渉があったのだろう。それだけ精霊が帝国に影響力を持っていることは、一般の人間が知らない方がいいことだ。


「俺たちにとって、一大事だからな。——そういうわけで、この森に敷いてた結界は用済み。無事解除されて、集めていた魔力は地道に周囲に放出してるんだ。その結果、ここの魔力濃度は以前より下がってる」


 なるほど、と頷いた後に、アルは「うん?」と首を傾げる。


「わざわざ、放出する必要がありますか? マルクトさんの方で回収すればいいのでは?」


 精霊は世界の魔力濃度を安定させる役目を担っている。いたずらに、世界へ大量の魔力を放ったり、回収したりするのは、役目に反しているだろう。

 さらに言うなら、マルクトはそうした役目において、最も重要な務めをしていたはずだ。


「それがな……あいつが変なところで馬鹿なせいで」


 トラルースが額を手で抑える。呆れ返った様子に、アルは早々に答えを悟った。


「——魔力を供給する仕組みはあったが、回収する用意を組み込み忘れてたんだ。新たに組み込むには、一旦、すべての魔法をとかないといけねぇっていうおまけつき」

「それは、なんというか……」


 アルはトラルースのマルクト評に心の中で同意した。確かにそれは馬鹿というか、おっちょこちょいだ。……フォリオもそうだったが、精霊はそのような性質を持つ傾向があるのだろうか。


「すげぇ、不本意な評価をされてる気がするが、フォリオが特殊で、マルクトはたぶん疲れて頭が回らない時があるってだけだぞ」

「疲れ?」

「精霊の中でも、世界の魔力管理において重責を担っているからな」


 少し憐れむ感じの言い方だった。

 つい最近会った時は疲れているようには見えなかったが、マルクトも苦労しているのだろう。重責を担えるほどの能力があるということなのだろうが、可哀想に感じる。


 今度会った時は何か労いになるものを提供しよう、と決めた。

 アルたち人間は、知らず知らずの内に、マルクトたち精霊の恩恵を受けてこの世界で生きているのだから。


「あ、でも、わざわざ放出しなくても、ここに貯めておいて、トラルースさんが好きに使えばいいのでは? 最近マルクトさんがここを訪れたのは、トラルースさんの転移魔法用に魔力保管用の魔道具を渡すためだって聞きましたけど」


 そんなものを用意しなくても、ここに貯まっている魔力を利用すればいいのではないか。

 純粋に抱いた疑問を口にしたら、トラルースは少し顔を顰めた。


「それができりゃいいんだが、俺がここの魔力を使うには、妖精を介さねぇと駄目なんだ。転移魔法に使うには、もっと出力がいる。細々とした繋がりじゃ、一気に魔力を受け取ることができねぇからな」


 実演してみせるように、トラルースが伸ばした手に妖精が触れた。少しずつトラルースに魔力が注ぎ込まれていく。

 それを見て、確かに転移魔法に流用するには、魔力を手に入れる速度が足りないと理解できた。


「そうですか。色々と、難儀なんですねぇ」

「まぁ、俺の体質に一長一短あるのはしかたねぇ。魔力操作能力が高いのは、便利だからな」


 精霊は膨大な魔力を持つ一方で、その性質に振り回されるように、魔力の操作が大雑把になってしまう。

 トラルースはその欠点を克服するために、わざわざ少なめな魔力保有量という体質の精霊として生まれたのだ。


『アル、そっちの甘味をとってくれ』

「……ブラン、マイペースすぎない?」


 ブランが黙ってひたすらスイーツを食べていることには気づいていたが、話の邪魔にならなかったから放っておいた。スイーツはまだ大量にあったから、というのも理由だ。


 だが、こうして話の腰を折るのは許容していいものか。


『アルも食え。難しい話ばかりしていると、疲れて頭が働かなくなるぞ。マルクトのようにな』

「話はちゃんと聞いてたんだね……」


 疲労のせいでとんだポカをやらかしたマルクトを当てこする発言をするくらいには、ブランは食べることばかりに集中していたわけではなかったようだ。それがいいことなのかどうかは分からないが。


 アルはトラルースと顔を見合わせて、肩をすくめる。

 確かに、せっかくたくさんの食べ物を用意したのだから、話すばかりではなく味わって楽しむべきだろう。アルはスイーツはいらないが。


「マルクトさん、こっちはホウレンソウクッキーですよ」

「俺は野菜入りスイーツしか食えないわけじゃねぇぞ?」


 不本意そうに答えながらも、口に合うのは事実のようで、アルが勧めたものを食べて満足そうにするトラルースは、なんだか口調のぶっきらぼうさに反して可愛らしかった。

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