第444話 優雅な(?)朝食

 朝。久しぶりの家で目覚めたら、なんだか清々しい気分だった。いつもより寝過ごして、外は昼に近い日差しだ。


 ここしばらくのことで、気づかないうちに疲労が溜まっていたのかもしれない。安心できる場所でゆっくり休めて、頭がすっきりした気がする。


「う~ん……それにしても、寝すぎたかな?」


 体を伸ばしてあくびをしながら傍らを見ると、まん丸の瞳がアルを見上げていた。


「——うわっ、驚いた……。何してるの、ブラン」


 ブランは床に足を着いてベッドへと伸び上がっているようだが、身長が足りなくて、まるで頭だけが敷布の上に転がっているように見える。寝起きで見たら怖い。


『飯』

「返事が短すぎる。ご飯を要求されてるのはよく伝わったけど」


 アルが寝坊したことで、ブランも朝ご飯を食べそびれたようだ。不満そうな雰囲気を漂わせている。


 肩をすくめて朝の支度を始めてからしばし。アルはふと気づいて、背後をちょろちょろとついて来るブランを見下ろした。

 ブランは今日アルと一緒にいたい気分らしい。


「お腹空いてるのに、僕を起こさなかったんだね」

『母がやめろと言ったんだ』

「……クインに感謝しよう」


 アルの平穏な睡眠は、知らないうちにクインに守られていたようである。

 ブランにも人を気遣うことができたんだな、と感心した気分はすべてなかったことにした。朝食にデザートをおまけしようかと考えたことも一緒に白紙にする。言葉にはしていなかったのだから、ブランも気づくまい。


『朝飯は肉か』

「僕は魚の気分だなー」

『肉だな』

「……僕の意見、聞く気がないね?」


 調理場に向かったアルの背を追うブランの尻尾は、ご機嫌に揺れている。空腹とは思えない態度だ。ブランも久しぶりの自分たちの家での休息に安心感を抱いているのだろうか。


「おはよう、アル」

「あ、おはようございます、クイン。ブランを止めてくれたようで、ありがとうございます」


 人型になって家に入ってきたクインと顔を合わせた。いつも通り穏やかな雰囲気だ。


「人の睡眠を邪魔しようとするのが悪いのだ。止めるのは当然。良き睡眠は人の子に重要であろう?」

「……成長期の子どもというわけではないんですけどね」


 思わず苦笑した。実年齢より下の扱いをされている気がしてならない。それは嫌だと感じるものではなく、むしろ嬉しいような恥ずかしいような。

 アルをそういう風に扱うのはクインくらいではないだろうか。


「吾にとっては、がんぜなき人の子であることに違いはない。……ブランにとっても、そうであるはずなのだがな」


 大きなため息。「この子はなぜ、このような性格になったのだろう。どこでなにを間違ったのやら……」とぼやいている。


 クインが親としての愚痴をここまで直裁的にこぼすのは珍しい。アルは微笑ましくなりながら、うんうんと頷いて聞いた。


『我は間違ってなんぞおらん。美しく強き我に相応しい振る舞いをしているだけだ』


 ふふん、と胸を張るブランを、クインと一緒に見下ろした。

 無言で注がれる視線に、ブランは一瞬たじろいだ様子を見せたものの、『な、なんだ?』と虚勢を張る。


 動揺するということは、少しは駄目なところがあると自覚しているということだろうか。

 気になったが、追及すれば機嫌を損ねると悟っていたため、視線を逸らして話題を変えることにした。


「クインは、朝食はお肉と魚、どっちがいいですか?」


 多数決は正義。朝から二つのパターンを用意する気はないので、クインに決定を委ねてみた。

 ブランが『肉だろ! 肉と言え!』とクインの服の裾を噛んで揺すりながら誘導しようとしている。肉を食べたいという欲求が強すぎる。


 クインはブランの首根っこを掴んで持ち上げた後、ソファへとポイッと投げた。揺すられるのが煩わしかったようだ。

 その後首を傾げ、ソファに放置していたアイテムバッグを指差す。


「ブランは肉を食べていなかったか?」

『ぬぁっ……なんの話だ!?』

「え、まさか——?」


 アイテムバッグを手に取ろうとするアルの足元をブランがうろちょろと彷徨いた。踏みそうで怖いし邪魔だ。

 そして、そんな妨害をしてくることが、真実を告白しているようなものだ。


『盗み食いなんて、しておらんぞ!』

「したんだね」

「していたな」


 挙げ句の果てに自供するような発言をしているブランは、相当慌てているようだ。

 アイテムバッグを確認すると、確かにいくつかの作りおき料理がなくなっている気がする。正直なにをどれだけ保存していたかなんて、アルも覚えていないのだが。ブランの態度もあわせて考えれば答えは一つだ。


 とはいえ、寝坊したアルも悪かったことを考えると、叱るほどのことではない気がする。普段は盗み食いなんてしないのだから、よほどお腹が空いていたのだろう。


「——ところで、吾は卵を食べたい」

「まさかの第三勢力」


 クインの発言に、アルは思わず笑ってしまった。

 初めの頃はあまり食に興味がなさそうだったが、随分とアルやブランの生活に馴染んだものである。


 そして、卵と言われてみれば、アルもなんだか食べたくなってきた。昨日の夕食で肉と魚は十分食べたのだから、朝は卵料理にするのは良い提案な気がする。


『卵、だと……!? それで腹が満たされるものか!』

「ブランも卵好きだよね?」


 首を傾げながらも、アイテムバッグの中身を確認する。——白鶏の卵が十個入っていた。卵は様々な料理で使うし、そろそろアカツキのダンジョンに行って、補給するべきかもしれない。

 街などで手に入れようと思うと高値だし、広い魔の森の中で探すのは億劫だ。異次元回廊内でも得られるかもしれないが。


「——オムレツにしよう」


 トロトロなチーズを入れた、ぷるぷるのオムレツ。そこにトマトソースをかけるのがアルの好みだ。卵自体にトマトを入れるレシピもあるが、それはまとめにくいから作るのが面倒くさい。


『卵だけなのは嫌だー!』


 ブランが地団駄を踏んで主張する。頭に響いてうるさい。


「わかったから、うるさくしないで」

『本当か!』


 ピタッと停止して、期待の目で見上げてくるブランに苦笑する。本当に自分はブランに甘いものだな、と改めて感じた。

 ご飯は美味しく食べるのが一番なのだからある程度は要望を叶えるべき、という思いも、ブランを甘やかす理由にしている。


「ふっ……吾が子がすまぬな」

「もう慣れてますから」


 クインと顔を見合わせて肩をすくめる。

 早速取り出した卵を調理場に置き、チーズとひき肉、ハムも並べる。


 卵を溶いて、熱してバターを溶かしたフライパンに流し込んだ。途端にバターと卵が焼ける良い匂いが漂ってきて、ついお腹がぐぅっとなった。いつもより遅い朝食で、アルもお腹が空いていたようだ。


『旨そうな匂いだな』


 卵だけは嫌だ、と主張していたのを忘れたように、ブランはご機嫌に尻尾を振っていた。口の端から落ちそうになっているよだれを、クインが呆れた顔で拭ってあげている。


「ブランはこっちの方が好きな匂いなんじゃない?」


 別のフライパンでひき肉を炒め、軽く塩コショウをして味を調える。ブランの目が先程よりもキラキラと輝いていて分かりやすい。


 密かに笑いながら、チーズを包んだオムレツの次に、ひき肉を入れたオムレツを作った。ブランはたくさん食べるだろうから、大きめにした結果、多少形が歪になったが構うまい。腹に入ればどんな形だろうと一緒だ。


 皿にサラダと焼いたハムを添えて、オムレツを載せる。作り置きのトマトソースを掛ければ、彩りも美しい朝食の出来上がりだ。

 この料理にはパンが合うだろうと、バゲットを切ってバターがまだ残っているフライパンで焼く。


「飲み物はどうする?」

『果物のジュースがいい』

「クインも一緒でいいですか?」

「うむ。構わぬぞ」


 できた料理をテーブルに並べ、朝食開始。

 卵のまろやかさ、チーズの塩味、トマトの酸味と旨味。あわさると最高の味わいだ。


 満足そうに一心不乱に食べているブランを眺めながら、アルは穏やかな一日の始まりを感じて微笑んだ。

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