第443話 ほっと一息
ジェシカを連れたリアムが立ち去り、自然と肺から空気を吐き出すように息がこぼれる。なんとなく疲れた。
「随分と疲れた様子だな」
しばらく黙って状況を見守っていたトラルースが、笑みを含んだ声で言う。それにアルは肩をすくめて返した。
「そうですね。今日は色々とありましたから」
そう言いつつも、今日というよりここ最近は、毎日大変なことがありすぎた。そろそろ一度、ゆっくりしたい気分だ。
「それなら、ここで話をする感じでもなさそうか」
トラルースは少し残念そうだ。一人でここにいるのだから、会話の相手に飢えているのかもしれない。
『お茶会は? 甘いものは?』
不意に妖精が飛んでくる。キラキラと目を輝かせていた。
『アルは美味しいものを持っているって聞いたわ』
『いいねいいね。トラルースもたまには美味いもん食うべきだよ』
『おれっちが街で手に入れてこようか?』
『盗みはダメよ』
なんだか一気に騒がしい。和らいでいたトラルースの表情が、一気に顰められた。
相変わらず妖精は言葉数が多くて賑やかだし、トラルースはその状態に慣れていないようだ。というより、もともとうるさいのが苦手なのだろう。
「……お茶会、したいですか?」
「別に今日じゃなくていい」
その返事は、つまりお茶会自体は希望しているということだ。意外だったが、嬉しくもある。
トラルースはアルと近しい親戚のような立場で、ぶっきらぼうな口調だが以前から気遣ってくれるし、仲間意識が強いのか親しみを持ってくれている様子だ。理に抵触しない限りは、情報も惜しみなく教えてくれる。
そんなトラルースとお茶会をして話をするのは、アルも好きだ。だから、トラルースの希望を断るつもりはまったくない。気遣いをありがたく受け取って、後日にしようと思うが。
「では、明後日はどうです?」
「いいぞ。俺は最近忙しくない」
トラルースの返事に、アルは目を瞬かせた。
確か、以前聞いた話だと、トラルースは帝国に関する情報を集め、精霊の森に報告する役目を負っていたはずだ。それなのに忙しくないということは、最近は帝国に大きな動きがないということだろうか。
そういう詳しい話も後日聞けるだろう。今はとりあえず自分の家に戻ろうと、アルはトラルースに別れを告げて、転移魔法を発動した。
一瞬で切り替わった視界に映るのは、慣れた住処の光景。
出かける前に設置した清掃用の魔道具はしっかりと働いてくれていたようで、埃もなく清潔だ。
『帰ってきたぞー……』
肩から飛び下りたブランが、ぐぐっと体を伸ばす。緊張や疲れなんて微塵も感じていなさそうだったが、自分たちの家に帰ってきた感覚は別格の解放感をもたらすようだ。
それはアルも強く感じていたことだったため、微笑みながら大きく深呼吸する。
帰ってきた。また三日後には出かけるとはいえ、しばらくのんびりと過ごせそうだ。今すぐするべきこともないし、悩みごともとりあえず放り投げておこう。
「あ、クインはここに来るのは初めてですね?」
「そうだな。なかなか過ごしやすい場所のようだ。吾もここで過ごしていていいのか?」
「もちろん。用事がないようでしたら、好きなだけどうぞ」
興味津々な様子のクインに、一通り家の中を案内して回る。寝る場所まで用意しようとしたが、夜は本来の姿に戻って寝たいらしい。「家の庭を借りたい」と言われたので、すぐに了承した。
庭と言っても、ほぼ放置した状態なので、雑草が生え放題だ。これを整備するにはまた時間がかかるだろう。アカツキからスライムを借りてこようか、真剣に悩む。
「クインは、僕たちと一緒に異次元回廊に戻るということで良いんですよね?」
「そうだな。こちらですることがあるわけではないし……。悪魔族たちの陣営を窺うのも、刺激しかねないからやめた方がいいだろう?」
「念の為、それがいいですね」
あくまでアルたちのために行動するつもりの様子であるクインを、ありがたいと思うがそれはそれ。今は余計な手出しをしない方がいいのは間違いない。特に、世界情勢もきちんと把握していないのだから、慎重な行動が必要だ。
「では、共に戻ろう。また何か調べることができたら出かければいい」
肩をすくめたクインが、居間のソファに腰掛ける。
いつの間にかソファで大の字になって寝転んでいたブランが、震動を感じてわずらわしそうに顔を顰めた。
『我のソファだ』
「そのような決まりはあるまい。正しく言うならば、ここはアルの家だろう?」
『我とアルの家だ!』
ガバッと身を起こして、ブランが強い口調で主張する。魔物としての本能なのか、ブランは縄張り意識が強い。それが母親にまで発揮されるのは意外だったが。
「仲良く使ってね。僕は夕食の準備をするから」
『飯! 肉がいいぞ!』
「分かってるよ」
いつも通りの要求を聞き流し、調理場へ移動する。そこで何を作ろうかと考えた。
旅が続いて、簡易的なご飯が多かったから、久しぶりに手間暇惜しまず料理するのも楽しそうだ。たくさん作ったら、アイテムバッグに保存すればいいし。
「——あ、トラルースさんとのお茶会用に、甘いものも作り足しておかないと」
なんだかんだと、再出発までの時間も、何もせずにのんびり過ごす時間にはならなそうだ。それも自分らしい、とアルは笑って受け入れて、アイテムバッグから食材を取り出した。
今日はブランとクインと一緒にお疲れ様会だ。とびきり美味しいものを作ろう。
◇
日がすっかりと落ちた頃。
家の中には良い匂いが漂っていた。ソファで寝ていたはずのブランが起きてきて、テーブルの上でよだれを垂らしそうにしながら凝視してくるくらいに、食欲がそそられる空間になっている。
よだれでテーブルを汚されるのは勘弁してもらいたいが。
「ブラン、皿を並べるからどいてね」
『うむ! 我は腹が減ったぞ』
「それは見れば誰だって分かるよ」
椅子に跳び移って夕食を待つブランに、アルは苦笑を浮かべながら料理の皿を運んだ。
今日はせっかくドラグーン大公国近くに戻ってきたということで、この地のメニューを中心に用意してみた。
肉付きのブランのために用意したのはたくさんの種類の肉料理だ。肉団子の甘酢あんかけ。蒸し鳥のバンバンジー。細切れ肉とピーマンを炒めたチンジャオロース——。
テーブルに載せきれないほどの量があるが、ブランならペロリと完食してしまえるのだろう。
海鮮も食べたいな、と思ったので、白身魚のフライや海老のチリソース炒め、貝の酒蒸しなども用意した。
食後のデザートにはアンニントウフとごま団子。
自分でしたことだが、随分と作りすぎてしまった気がする。気づかない内に溜まっていたストレスを発散したかったがゆえの行動かもしれない。
「なんとも豪勢なことだ」
「野菜と調味料以外は魔物素材なので、ほとんどお金はかかっていませんけどね」
砂糖でさえも、霧の森の地下でシモリからもらったので、暫く買う必要がないどころか、贅沢に使える。食後と明日はお茶会用のお菓子作りをするつもりで、贅沢品を山のように使うのがなんだか楽しみだ。
『食っていいか。いいだろう?』
アルの返事なんて必要としない様子で、ブランが真っ先に食事を始めた。思わずクインと視線を交わして苦笑してしまう。クインは呆れた表情だった。
「美味しい?」
『旨い! アルの飯が不味かったことなんてないがな。今日は一度にたくさんの種類を楽しめて、より旨く感じるぞ』
嬉しいことを言ってくれるものだ。作ったかいがあった。
アルは微笑みながら、自分の分を口に運ぶ。海老のチリソース炒めは、ぷりっぷりの食感がいい。辛味をマイルドにしているが、海老の甘みとのバランスもばっちりだった。これはおコメが進む。
「ふむ。吾はこの外側がサクッとしたものが好きだ」
「白身魚のフライですね。甘酢ダレをかけてますけど、このマヨネーズを使ったソースをさらにつけても美味しいですよ」
マヨネーズにさらに刻んだゆで卵ときゅうり、オニオンを混ぜたソースは、揚げ物との相性がいい。
ご満悦そうに表情を緩めるクインを見て、アルも微笑んだ。
にぎやかな夕食はやはり良いものだ。
異次元回廊に戻ったら、アカツキたちとさらに楽しい食事ができるだろうか。そのためには、得た情報の伝え方をよく考えなければならない。
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