望む未来へ

第441話 僕は決めた

 白一色ではない森の姿に、なんとなく安心感を覚える。

 聖域とはそんなものだと理解していたとはいえ、やはり無意識で違和感があったのだろう。


「うーん、久々の精霊の森。前に来た時の面倒だった道のりを考えると、すごく近く感じるね」

『あれはアカツキのせいだろう』

「それだけじゃないと思うけど……」


 ブランの返事に苦笑しながら、アルは周囲を見渡した。

 ここは精霊の森の中のようだが、見覚えのない場所だった。精霊の森すべてを踏破したわけではないが、なぜだか『ここは知らない場所』という印象が強い。


「もしかして、精霊の森の中心部じゃない?」

「そうよ。わたくしが、奥深くまで入れるわけがないでしょう?」


 ジェシカに当たり前だと言わんばかりに肯定されて納得した。

 ここは精霊の森の外周部にあたるようだ。前回、いきなり中心部に行って、その範囲から出なかったのだから、見覚えがなくて当然だった。


「そうなんですね。——ここは遺跡ではないようですが」


 地面には草で隠れるように転送陣が描かれている。聖域にあったものよりも簡易だ。目立たせないことで使用者を限定しているのだろうか。


「精霊様が管理するところですもの。遺跡として使用者を限定する仕組みを作る必要はないのではないかしら」


 ジェシカも正確な答えは知らないらしい。小さく首を傾げそう答えると、木々の先へと視線を移した。

 アルもその視線を追う。草を踏みしめる音が、近づいてくる者の存在を示していた。


「おかえり。——目的は達成できたようだね」


 現れたのは、アルの予想通りマルクトだった。

 ジェシカに話しかけた後、アルを見て細められる目に親愛の情が滲む。そんな温かな仕草を確認して嬉しくなった。


「はい、おかげさまで、無事達成しましたわ」

「それは良かった。アルも、久しぶり。また会えて嬉しいよ」

「僕もです。マルクトさん、お元気そうで良かった」


 笑みと挨拶を交わし、雰囲気が和んだところで、早速本題に入る。

 なにせ、既に昼を過ぎているから、ジェシカのタイムリミットが迫っているのだ。侍女を待たせているだけとはいえ、あまりに遅くなると大きな騒ぎになりかねない。


「送り届けるのは、トラルースのところでいいんだよね?」

「そうしていただけるとありがたいですわ」

「アルなら、転移魔法でも帰れるとは思うけど」


 なぜそうしないのだ、と問うような目を向けられて、アルは暫し考える。言われてみればその通りだと思ったのだ。


 アルがドラグーン大公国近くの魔の森に作った家には転移の印を置いている。だから、帰ろうと思えば聖域からだって帰れた。


 だが、アルは何故かそうすることを考えもしなかった。

 その理由を自分自身に尋ねてみて出てきた答えは——。


「家にリアム様を招きたくないのかもしれません」


 言葉にしたことでより納得できた。

 アルはリアムが勝手に自分の家に立ち入るのが嫌なのだ。最初は不可抗力だった。だが、あまりに当たり前のように侵入されると、自分の安寧の場所が汚されているような気分になる。


 リアムがジェシカを迎えに来てくれるかどうかは分からないが、家に入らせる可能性を避けたいくらいには、拒否感があった。


『ふふん、あの家は、我らのものだからな! ドラゴンが我が物顔で入ってくるなんぞ、虫唾が走る!』

「いや、そこまでは言ってないけど……」


 ブランが我が意を得たりと言いたげに、胸を張って過激なことを言っている。アルは完全に頷くことはなかったが、否定しきることもできなかった。ここで感情を取り繕う必要性はないだろう。


「まあ、リアム様は嫌われてらっしゃるの?」

「そういうわけじゃないんですけど……。僕たちにとっては、味方でも敵でもないというか……」


 それなりに世話になっていても味方と言えない段階で、今後敵とみなす可能性があると心のどこかで疑っていることを示してる。

 やはりリアムの思惑がありそうな態度がどうしても気にかかるのだ。それが解消されない限りは、アルが全面的にリアムを信頼することはできないだろう。


「あのドラゴン、何か怪しいことをしていそうだしね」

「マルクトさんもそう思われるんですか?」


 肩をすくめてマルクトがリアムについて語る。それはアルが抱いていたリアムの印象にぴたりと一致していたので、思わず身を乗り出すようにして尋ねていた。


「うん。それが何かは俺も分からないけど、注意して監視してるよ」

「……マルクトさんがそう言うほどですか」


 アルの想定を超えて、リアムは危険視されているらしい。

 ドラゴンは精霊同様に世界の管理を担っているとはいえ、信頼関係が築かれているわけではなさそうだ。


「——といいますか、マルクトさんがご自身の空間から出てドラグーン大公国まで赴かれていたのはどうしてなんですか?」


 急がなければいけないと分かっていても、気になるのは仕方ない。

 本来、マルクトは世界の魔力を管理するという大きな役目を担っているのだ。自分の空間から出るだけではなく、トラルースのところまで出向いていたと聞くと、何か緊急事態が起きたのではないかと不安になる。

 今こうしてここで会っていることすらも、イレギュラーな状況だろう。


「ドラグーン大公国というか、トラルースに会いに行っていただけだよ。ちょっと魔力の受け渡しにね」

「魔力の受け渡し?」

「そう」


 頷いたマルクトが微かな笑みを口元に浮かべた。


「——トラルースがあまり魔力を持っていないことは、アルも知っているだろう?」

「ええ、まぁ、精霊にしては少ないことは」


 間違いなく、普通の人間と比べたら莫大な量の魔力を保有しているが。魔力の塊のような精霊にしては、トラルースは控えめな魔力量だ。その代わり、魔力の操作精度は非常に高いらしい。


「研究の結果、魔力を外部に蓄える道具の改良ができてね。トラルースに活用してもらおうと思って届けてきたんだ。あれがあれば、万が一の場合に、トラルース一人でここまで転移できる」

「……転移魔法は、大量の魔力が必要ですからね」


 アルは『万が一の場合』について詳しく聞きたいと思いながらも、そう答えるにとどめた。

 おそらく尋ねたところで明確な答えは返ってこないだろうと思ったし、それにあまり暗い未来の可能性については考えたくなかったから。


 すでにアカツキたちに魔族の真実についてどう語るか、という大きな悩みを抱えているのだから、これ以上頭と心を酷使したくない。


「そうだね。というわけで、君たちを送り届けたら、すぐに自分の空間に戻る予定なんだ。しなくちゃいけないことが溜まってるからね」

「それは急がないと……」


 頷き、マルクトに転移魔法をかけてもらおうとしたところで、アルはふと前に別れ際に交わした話を思い出した。


「——マルクトさんの方で、魔族の異世界への帰還方法は何か見つかりましたか?」


 それが意味のないことだと、アルはもう分かっていたが、聞かずにはいられなかった。それに、ずっと調べ続けてくれているなら、もう必要ないことを告げなければならない。


「ああ、それね……」


 マルクトの視線が一瞬ジェシカの方に流れる。

 アルとマルクトのやり取りを静かに見守っていたジェシカの表情に変化はない。彼女も帰還方法を探ることの無意味さを分かっているはずなのに、何かを思うこともなさそうだ。


「——不可能だろうという確信が持てたよ。彼らを救いたいと思うなら、穏やかに人生を閉じる方法を探すのが良いと思う」


 静かな口調で語られた。

 魔法に関する第一人者であるマルクトが「不可能」と断じたならば、アルも素直に信じられる。やはり無理なのだ。

 そして、続けられた助言は、アルに決意を固めさせた。


「そうなんですね。調べてくれてありがとうございました。それでしたら、僕は彼らが本当に救われる道を求めて、がんばってみたいと思います」


 アカツキたちに、アルが知ったことすべてを語ろう。仮定の話が多いとはいえ、当事者である彼らは知る権利がある。

 教えた先で、彼らのためにできることを全力でなす。それが、アルが今するべきことのはずだ。

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