第440話 いざゆかん

 ジェシカとの話が一段落して、昼食を終えたアルたちは早速行動を開始した。

 まだ魔族の還り方やどう説明するかへの悩みは解決していないが、ここで立ち止まっていても仕方ない。聖域での記録を見るのを楽しむのはいつでもできることなのだから、優先はジェシカの用事だろう。


「夕方までにドラグーン大公国に帰らなければならないんですよね?」

「ええ。正確に言うと、ソフィア様のところね。わたくしの侍女は、そこで待たせてもらっているの」

「なかなか厳しいですね……」


 アルがそう答えたのは、どうにも間に合わない気がしたからだ。

 ここから精霊の森に行くのは、転送陣を使えば一瞬らしい。そこで待ってくれているマルクトがすぐに転移魔法で送り届けてくれるとしても、その行き先は魔の森の中にあるトラルースの家だろう。そこからドラグーン大公国内のソフィアの場所まで、どれほど時間がかかることか。


「えっと……転移の印を街中に残してたっけ……?」

『ないだろう。宿屋に置いていたが、女将に怪しまれて追い出されたからな。街中には監視用の魔道具があるようだから、そもそも転移魔法で乗り入れるのは諦めたんじゃなかったか?』

「そうだったかも……」


 随分と昔に感じる記憶を掘り起こし、アルはがっくりと肩を落とす。

 やはり魔の森を踏破して、ジェシカをドラグーン大公国の街中まで送り届ける必要がありそうだ。


 だが、そこまで考えたところで、アルはふと疑問を抱いた。

 未来を見れるという特殊能力以外は、ごく普通の貴族女性に見えるジェシカは、どうやって魔の森内のトラルースの元へ一人で行けたのか。リアムがそこまで手を貸したのだろうか。


「——ジェシカさんは、どうやって魔の森からドラグーン大公国に帰るおつもりなんですか?」

「どうやって? それは……あら、どうしたらいいのかしら?」


 ジェシカが目を丸くして、頬を手で押さえて首を傾げた。

 そのおっとりとした様子を流し見て、アルは肩を落とす。ジェシカは絶対に詳しく考えていなかったに違いない。貴族女性にありがちな思考だ。このような女性たちは、周りが段取りを整えてくれることに慣れている。


「行きは、リアム様が送ってくださったんですよね?」

「そうよ。一瞬だったわ」


 間違いないだろうな、と思いながら尋ねたら、あっさり肯定された。

 予想していたとはいえ少し驚いてしまうのは、基本的に人間への干渉ができないドラゴンが、そこまでジェシカに手を貸したことがどうしても意外に思えたからだ。

 もしかしたら、先読みの乙女は人間というくくりに入っていないのかもしれない。


「では、帰りの約束は?」

「してないわ。……そうね。わたくし、てっきり帰りも送ってくださるものだと思いこんでいたけれど……無理なのかしら?」

「どうでしょうね?」


 首を傾げるジェシカに、アルも答えは持っていなかった。

 そもそも、アルにとってリアムは未だに謎な存在である。何かしらの思惑があるのだろうと察してはいるが、それが何かはまったく分からない。


 リアムがジェシカにどこまで配慮するつもりがあるかなんて、二人のやり取りさえ見たことがないのだから、アルに分かるわけがないのだ。


「——まぁ、僕たちがあの森に到着したら、自然と現れるかもしれないし」

『あそこはアヤツのなわばり。どこであろうと、知りたいことはすべて知れるのだ。用があるならば現れるだろうな』


 ブランが『ケッ』と吐き捨てるように言った。現れてくれた方が今はありがたいとはいえ、やはり会うことになるのは嫌なようだ。

 理として相反する存在と定義されているのだから、ブランがドラゴンであるリアムを厭うのは仕方ない。


「そうだね。行ってから考えればいっか。現れなかったら、僕たちでなんとかするしかない」


 そう呟きながらも、アルは心の中で『貴族女性を連れて街に入ろうとしたら、門番たちにすごい目を向けられそうだなぁ』とため息をこぼした。

 かつてリアムを連れてドラグーン大公国に到着した時と同じくらい注目を浴びるのは間違いない。


 そんな事態は遠慮したいので、できればリアムの方から出向いてほしいものである。


「わたくしのことなのに、お手間を取らせてしまって申し訳ないわ」

「お気になさらず」


 本当は最初から気にしておいてほしかったが、そんなことを正直に言うわけにはいかない。

 アルは笑顔を作って返してから、ジェシカを促して聖域の森を歩いた。転送陣はここのすぐ近くにあるらしい。


『ふん。アカツキより手がかかる』

「それ、どっちに対しても失礼だからやめてね」


 肩に乗ったブランがボソリと呟くので、アルも小声で返した。

 貴族女性と比べられるアカツキも、世慣れしていないとはいえ男性と比べられるジェシカも、双方にとって不本意な評価だろう。



 森を歩くには相応しくない格好のジェシカを気遣いながら歩くこと暫く。

 立ち止まったジェシカにつられてアルも足を止める。目の前にあるのは、これまでと変わらない白い木々だけだった。


「どうかしましたか?」

「ここが転送陣なの」

「え……何もありませんけど」


 見回してみても、転送陣と思しきものは存在しない。ブランも首を傾げている。


「吾が知る転送陣は、遺跡の中に隠されているものだったが」

「世界に散らばっているものはそうよ。そのような場所は、誰もが近づくことができるから、使える者を制限する仕掛けがあるの」


 クインに答えながら、ジェシカが前方へと手を伸ばした。途端に、陽炎のように景色が歪む。

 カーテンを開くように宙が掻き分けられて、その先に石畳が見えた。ベッド二台分ほどの広さだろうか。石畳には大きく魔法陣が描かれている。


「これが、転送陣……」


 躊躇なく進むジェシカの後に続きながら、アルは「へぇ……」と呟き観察した。

 どうやら、転送陣は転移用の魔法陣と似た構造のようだ。使われる魔力が外部から供給されている点が、大きな違いだろう。


『あの放棄されたと言われていた塔から、ここに魔力が届いているのか』

「そうみたいだね」


 オリジネが管理する塔。ソーリェンは放棄された塔と評していたが、やはり未だ重要な役目を担っている場所だとアルは思う。


「仕組みは分からないけれど、一瞬で移動できるのよ」

「……そんな感じでいいんですね」


 ふふっと笑うジェシカに、アルは苦笑いを返した。

 アルならば、未知の魔法技術は興味をそそられるが、まったく理解できないものを気軽に使おうとは思えない。


 こうして転送陣を観察して、それがアルの知る転移用魔法陣とさほど変わらないと理解できたからこそ、安心して使えるのだ。


「ええ。それで、準備はいいかしら? 発動するわよ」


 全員が転送陣の中に入ったところでそう確認され、各々が頷きを返す。アルも既に転送陣の記録は終えていて、後で詳しく調べるつもりだ。転移魔法が使えるから、転送陣を使う必要はなさそうだが、調べて損はないだろう。


「——では、行き先【精霊の森】へ」


 ジェシカの声の背景に、風の音のようなものが聞こえた気がした。

 それに驚いて意識を向けた途端に、視界が一転する。ぐにゃりと歪んだ景色は少し気持ち悪く感じて、転移魔法との違いを理解した。


 転送陣での移動は、船に乗ったときのような酔いに襲われる。これが【先読みの乙女】という資格がないからなのかは分からないが、正直二度と経験したくないな、とアルは思った。




 ふわりと柔らかな風が頬を撫でる。

 濃密な森の気配と、強い魔力を感じる森は少し懐かしい。


 ここは精霊の森。

 久しぶりに感じる訪問だった。



————————


この章はここまでです。次章もぜひお楽しみに。


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