第439話 見えた未来

 ジェシカは「正直に言うとね——」と躊躇いがちに話し始めた。


「アルはとても上手くやってくれていると思うの。だけれど……あまりにも優秀すぎたといえばいいのかしら」

「優秀すぎた? 褒め言葉ではないようですね」


 何を言わんとしているかが分からない。だが、あまり良いことではないようだ。

 眉を顰めるアルに、ジェシカが口元に苦笑を浮かべる。


「……ええ。わたくしが先読みの乙女になることが決まった理由は一つ」


 僅かに目を伏せたジェシカは、詠うようにゆったりとした口調で言葉を続けた。


「——この先の未来で、魔族が悪魔族たちを残して消え去ってしまうことを阻止するため」


 アルはぱちりと目を瞬かせた。言われたことの意味がよく分からなかったのだ。

 ブランに目で「分かった?」と聞いてみたら、無言で首を横に振られた。クインも首を傾げているので、ジェシカが何を問題視しているかは誰にも伝わっていないと思われる。


「……そのことの、何がいけないのですか? 『魔族は同族なのだから、悪魔族に対してもなんらかの対処をするべきだ』と言っているように聞こえますけど」


 魔族、悪魔族と区別はしているけれど、彼らは同族——異世界にルーツを持ち、イービルによって創られた者たち——である。

 だが、別々で生きているのだから、魔族が悪魔族のことに対して責任を持つ必要はないはずだ。神などの高次元の存在は、そんなことを斟酌しないのかもしれないが。


 ジェシカの言い方は、少し傲慢な思想が感じられて、正直不快さを感じる。

 思わず顔を顰めるアルに、ジェシカは慌てた様子で首を横に振った。


「違うのよ! 魔族に『悪魔族と戦え』だとか、言うつもりはないの。ただ、もし魔族が悪魔族を残してこの世界から消え去った場合、悪魔族は誰の言葉も聞き入れず、暴走してしまいかねないの」


 切々と訴えられる。

 アルはその言葉を脳裏で反芻して、起こりうる未来を想像してみた。


 悪魔族は現在、イービルの下について世界の破壊活動を行っている。

 彼らがそのような行動をしている原動力になっているのは、おそらく自分たちの世界への帰還が叶わないことへの怒り。あるいは、連れさらわれてきた先で、あまりにも長い人生を過ごすことになったことへの疲労だと思う。


 悪魔族と魔族は生き方を違えた。だが、同族ゆえに、魔族の言葉はまだ悪魔族に通じるのだろうか。もし魔族が「もう戦いはやめよう。救いはある」と言えば、悪魔族は聞き入れるのだろうか。


 アルは彼らにとって救いになりえるかもしれない情報を持っている。

 この世界で生まれた異世界にルーツを持つ彼らに、異世界に帰還したと錯覚したまま、永遠の命を終えられるという可能性があるという情報を。


「……僕が、魔族たちのために、ある意味での異世界への帰還を叶える方法を見つけ出すというのは、あなた方の想定通りですか?」

「そうね。とても上手くやってくれたわ。あなたなら、きっと叶えられると思う」


 ジェシカがしっかりと頷くのを眺めながら、アルは目を細めた。

 未来を知る者に保証されるのは心強い一方で、なんだかズルをしてしまったような居心地の悪さを感じる。未来を知るような不相応な能力は持ちたくないな、と改めて思った。


「……その方法が見つけられたことで、ヒロフミさんたちがあっさりこの世界を去ってしまったらまずいことになる?」

「ええ。本来は悪魔族のみなさんも、アルさんの見つけ出した方法で救われるはずなのだけれど……」

「あなた方が見た未来では、そうなっていなかった。どこかで誤差が生じてしまった」


 ジェシカが言おうとすることを先回りして呟く。

 ようやく理解できた。ほんの小さな誤差が、将来的に甚大な被害を生みかねないということを。


「そうなの。厳密にどこが駄目だったとは分からないのだけれど。わたくしたちの能力は、未来を見ることはできても、過去を知ることはできないから。ここにも記録されていなかったわ。確認ができていないだけかもしれないけれど、ね」


 苦い表情でジェシカがため息をつく。どうやらここに来たのは初めてではないようだ。どうりで慣れた雰囲気があると思った。


「必要なのは、順番を正すことということですね?」

「そうよ。魔族が自分たちの意志で消えることを選ぶのはいいの。でもそれは、その方法を彼らの口で同族——悪魔族に告げてから。できたら、彼らも共に還るよう、説得できたらいいと思っているわ」


 真摯な眼差しのジェシカを、アルはじっと見据えた。

 その表情に嘘はないように見える。ジェシカは心から、魔族や悪魔族のことを思い遣っているのだ。彼らの結末が、この世から消え去ることだとしても、それが幸せなことだと信じているのだろう。


 アルは心の中でポツリと呟く。「本当にそうだろうか」と。

 悩み続けていても、アルはどのような未来が魔族——アカツキたちにとって幸福なのか分からない。どう話すべきかさえ未だ迷っている。

 その悩みに区切りをつけるのは、そう遠くない未来だと悟っているが。


 とりあえず、ジェシカの思いに沿って、話を整理することに集中することにした。


「悪魔族は、魔族から還るすべを告げられたら、それを信じて受け入れられると思っているんですね?」

「魔族以外では無理だ、という方が近いわね。同族という意識はわたくしたちが思うより強いのだと思うの」

「なるほど……。だから、魔族が先に消え去ってしまっては、たとえ僕が還る方法を示したとしても、悪魔族は信じてくれないということですか」


 アルはそもそもどうやったら悪魔族に会えるのかさえ分からない。彼らがこの世界によって生み出された被害者であると思っているから、救いの手を差し伸べたいとは思っていても、できることには限りがあるのだ。


 だが、ヒロフミたちならば、それも可能だろう。そして、話をすることも。見知らぬアルが言うよりも、同族のヒロフミたちの言葉の方が信憑性を持つのは自明の理である。


「信じてくれないどころか、アルが同族を滅したのだと責められるかもしれないわ」

「ああ……ありえますね……」


 考えうる中で最悪の事態である。

 魔族の意に反して滅したのだと思ったら、たとえ魔族が袂を分かった仲間であっても、悪魔族は同族のために抗議するだろう。それにより戦いが起こる可能性を考えて、アルはげっそりする。

 そんな無益な戦いはごめんだ。アルは平穏無事に生きていたいのだ。


 そして、先読みの乙女が語る「かもしれない」という話は、普通の人が言うよりも本当に起こり得る可能性が高いように感じる。ある程度未来を知っているのだから、予測が当たる確率は格段に上がるだろう。


『つまり、なんだ……アルはこれから魔族たちが穏便に消えられる方法を見つけ、悪魔族が説得されて消える意思を持ったのを確認してから、その方法を実行しろということか』


 ブランが尻尾をゆるりと振りながら話をまとめた。アルもその理解で間違っていないと思う。

 頷きを返すのと同時に、アルはここでジェシカと会うことになった理由が分かった気がした。


「……もしかして、ギリギリでした? このまま僕がアカツキさんたちのところに帰っていたら、あなたが言う悪い未来が訪れていた可能性が高い?」


 確認のために尋ねる。ジェシカは話が一通り済んでホッとした様子のまま、大きく頷いた。


「そうなの。ここで掴まえられて良かったわ。わたくし一人で異次元回廊を訪れて魔族の方々に会うのは、どう考えても無理だったもの」


 安堵が強く滲んだ声に、アルは苦笑を返した。

 アルとしても、ここでジェシカに会えて良かったと思う。悪い未来は避けるに越したことはないのだから。

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