第438話 彼女の望み
少しの間の後に、アルはブランに視線を向けた。
考えてもジェシカの思惑が読めないので、ブランの意見を参考にしたい。
「……ブラン、どう思う?」
『ここでの用は済んだのだろう? 先読みの乙女用の転送陣を体験するチャンスなのではないか。アルにとっては楽しいことだろう』
「あ、そっか」
世界に散らばる転送陣は、先読みの乙女専用のものと考えられているのだ。アルが単独で使える可能性はあまり高くない。ジェシカがいれば使える可能性があり、それは興味深い体験だ。
「転送陣が気になるの? もちろん使えるわよ。わたくしと一緒ならね」
アルが乗り気になったのを察して、さらに背中を押すようにアピールしてくる。何がなんでも一緒に帰りたいと言われているようで、アルは少し警戒した。
「……どうしてそれほどまでに僕と一緒に行動したがるのですか?」
遠回しに探るのも面倒くさくて、端的に尋ねてみた。途端に、ジェシカが言葉に詰まった様子で目を泳がせるので、怪しさが増す。
『何か悪いことを考えていたのではないだろうな』
「アルに何かしようと言うなら、吾らも敵に回すと心得よ」
ブランとクインが脅すように言うと、ジェシカは慌てた様子で首を振る。
「いいえ、違うのよ。わたくし、アルにお願いごとがあるだけで……」
『その願いとは何なのだ』
アル以外も、ジェシカに何らかの思惑があることは察していたらしい。動揺なく説明を促すブランを横目で窺いながら、アルはジェシカの様子を観察した。
ジェシカが目的を持ってアルに会いに来たのは確かだ。だが、それが悪い影響をもたらすものだとは思えない。悪意が微塵も見えないのだ。
「あの、誤解しないでほしいのだけれど——」
『まだるっこしい言い方だな』
「ブラン、話は最後まで聞こうね」
躊躇いがちに口を開くジェシカを見て焦れったそうにするブランを、アルは苦笑しながら宥めた。短気は損気と言う。ジェシカを急かしたところで良い結果は得られないだろう。
『ふんっ』
「……いえ、はっきり言わないわたくしが悪いのよ。あのね、アル——」
「はい、なんでしょう」
穏やかに見つめ返す。そんなアルの様子に覚悟を決めたのか、ジェシカが強い光を浮かべた目を向けてきた。
「……わたくし、異次元回廊に行きたいの。どうか中を案内してくれないかしら。できたら護衛もしてくださるとありがたいのだけれど」
とんでもなく困難なことを言われるのかと密かに思っていたので、アルは咄嗟に「え、それくらいのことで、言うのを躊躇していたんですか……?」と返してしまった。
そのせいでジェシカも戸惑った顔になる。
『異次元回廊に対しての意識の相違があるな……』
「吾らにとっては、あそこは縄張り同然だからな」
ブランとクインが気を抜かれたような雰囲気で呟き合っていた。
それを聞いて、アルもなるほどと納得する。
確かにアルたちだって、初めて異次元回廊に入った時は緊張したものだ。未知へのワクワク感もあったとはいえ、あの時は帰れる保証もなかったのだから。
だが、サクラという管理代理人に出会った後は、アカツキのダンジョン同様自由に歩き回れる場所である。
クインに至っては、初めこそ試練への挑戦者として異次元回廊を訪れたとはいえ、その後は試練を与える側として存在していたのだ。縄張り同然というのは当然の意識だろう。
「えっと……僕たちは散歩気分で気軽に歩ける場所なので戸惑っただけです。ジェシカさんが行くのに緊張する気分は理解できます」
「わたくしが戸惑ったのは、死地を共にしろと言ったも同然のことに、軽い反応が返ってきたからなのだけれど……」
ジェシカが苦笑しながらも首を傾げた。
アルたちにとって、異次元回廊内の護衛というのがまったく困難なことではないのだと分かってもらえたようだが、納得はできていないようだ。
推測だが、トラルースから脅しをかけられている可能性がある。
途中帰還ができないので、異次元回廊を攻略するのが死を覚悟するべき道程であることは、アルも否定しない。
「とりあえず、死ぬつもりで行く必要はないと思いますよ。それより、ジェシカさんが異次元回廊に行く目的はなんでしょう?」
ジェシカの目的いかんでは、アルはその願いを断ることになるだろう。より詳しく言うならば、ジェシカにアカツキたち魔族を傷つける意思があるかどうかが重要だ。
見極めようと、じっと見つめるアルの視線に、ジェシカがゴクッと唾を飲み込む。俄に緊張がよみがえってきたようだ。
「……異次元回廊を訪ねたいのは、魔族の方にお会いしたいからよ。特に、悪魔族に与していない方に、ね。そこに隠れ住んでいるのだと聞いたの」
サクラたちの情報が知られていることを不思議とは思わない。帝国の者たちだって探っていただろうから、近しい立場の者はその情報を得ていただろう。
特にジェシカはソフィアと親しい人でもある。ソフィアが信頼しているならば、話している可能性はあった。
「それは、なぜ? 今更、魔族に会う必要があるのですか?」
かつて、先読みの乙女の一人はヒロフミと接触し、言葉を交わしたはずだ。それは異世界への帰還を望む魔族への助言だった。
ジェシカは再び彼らになんらかの助言をもたらそうと言うのだろうか。
「ええ、あるの。それが、わたくしが先読みの乙女になった理由でもあるのだけれど——」
ジェシカが僅かに目を伏せる。何か言いにくいことがあるようだ。
「ジェシカさんが先読みの乙女になった理由?」
「ええ。本来は、先代の先読みの乙女の後は、しばらく魂は引き継がれない予定だったの。でも、そういうわけにもいかなくなって」
『だから、それはなんだと聞いているのだ!』
あまりにも曖昧な言い方に、真っ先に痺れをきらしたのはブランだった。バシバシとテーブルを叩く仕草に、ジェシカが驚いた様子で体を震わせる。
「ブラン、それはちょっと乱暴だよ」
手を握って止め、膝の上に抱えあげる。アルがブランをしっかり拘束したら、ジェシカは少しホッとした様子で頬を緩めた。
いくら魔物に親しみを覚えた様子であろうと、慣れていない者に完全に怖がるなと要求するのは酷だろう。魔物と接したことがない貴族女性なら、最初から怖がっていても不思議ではなかったのだから。
ブランもそのことに気づいたのか、少しバツの悪い表情で顔を背けた。
「……いえ、わたくしがきちんと答えなかったからいけないのよ。ごめんなさいね。あまり楽しい話ではないものだから」
ジェシカの目が翳りを帯びたように見えた。
アルは少し嫌な予感を覚えながらも、相槌を打って説明を促す。
「それで、その楽しくない話とは?」
「その……もともとは、あなたに未来を託したことで、望ましい未来が開けるはずだったのだけれど、ちょっとした誤算が生じてしまったらしくて」
勝手に未来を託されたことに、アルは少しばかり文句を言いたい気分だ。だが、それはジェシカに言っても仕方ないことだろう。すでに納得していることでもある。
アルの代わりのように、クインが眉を寄せた。
「誤算、か。先読みの乙女の能力でも気づかなかったことなのか?」
「ええ。そもそもわたくしたちの能力は万全ではないのよ。予知しても、それに対応して行動したら、未来は変わるんだもの。その結果、すべてが望ましい方に向かうわけでもないの」
ジェシカはため息まじりに呟く。その様子を見ていると、随分と能力に振り回されているように思えてならなかった。
先読みの乙女とはもっと超越した存在だと思っていたが、その実情は悩みが多いようだ。
「つまり、行動の結果、望ましくない未来が見えてしまったということですか?」
「……そうね。端的に言ってしまえば、そうなるわ」
ジェシカは頬を押さえて、首を傾げる。
窺うように見られて、アルは片眉を上げた。どうやらジェシカが言う『望ましくない未来』には、アルが関係しているようである。いったい何なのだろう。
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