第437話 探り合いの昼食

 貴族女性を招いての昼食ということで、アルはいつもより丁寧に準備した。大皿に盛って取り分けるのは、ラズール国では推奨されないはずなので、給仕方法も考える。


『サンドウィッチか?』

「うん。ブランにはお肉多めね」


 テーブルに着いたそれぞれの前にお皿を並べた途端、ブランが少し不満そうにした。その反応は予想していたので、すかさず大盛りのローストビーフも渡す。


「食いしん坊ね」


 ジェシカが微笑ましそうに目を細めながら言う。

 彼女の前にはサラダとサンドウィッチ、スープの他に、デザートとしてカットフルーツを並べた。どれも少量ずつなので、貴族女性でも食べられるはずだ。


「ブランは僕が困ってしまうくらい食べますよ」

「まぁ、そうなの。ふふ、わたくしの分も食べるかしら?」

『お、我に捧げると言うのか? 良い心がけだ。褒めてつかわそう!』


 ジェシカに対して偉そうに胸を張るブランを、アルとクインは半眼で見下ろした。

 相手がくれると言っていようと、遠慮なくもらおうとするのはいかがなものか。アカツキからご飯を奪うのとはわけが違うのだが。


「暴君な王様みたいなこと言わないでよ。ブラン、駄目だよ。夜ご飯抜きにしてもいいの?」

『なんでだ!?』

「なんでもなにも……。普通に考えて、お客様から食べ物を奪うのは駄目だって分かるよね?」


 衝撃を受けたように固まるブランを頭を軽く叩き、椅子に落ち着かせる。ジェシカには「甘やかさないでください」と言っておいた。


「あら、残念ね。ブランには後でいいものをあげるわ」


 ふふっと上品に笑ったジェシカが、軽くバッグを揺らす。

 一人で旅をしてきただけあって、貴族女性が持つにしては大きなバッグだ。何が入っているかは分からないが、ブランが喜びそうな食べ物でもあるのだろうか。


『……いいもの、か?』

「ええ。わたくしの国のお菓子よ。もともとアルに差し上げようかと思っていたのだけれど」


 ちらりと視線を向けられたので、アルは苦笑しながら頷いた。

 アルが受け取ったとしても、それがおさまる先はブランのお腹の中というのは変わらない。それでブランの機嫌が回復するのなら安いものだ。


「わざわざありがとうございます」

「気にしないで。ご挨拶や頼みごとをする時は、手土産を持っていくのは当然のマナーでしょう?」

「……そうですね」


 微笑むジェシカにアルも微笑み返した。そうしながらも、【頼みごと】という言葉が気になって考え込む。

 当代の先読みの乙女であるジェシカがアルに会いに来たのは、やはり挨拶だけではなかったのだろうと思えてならなかった。


「それで、この美味そうなものは食べてもいいのか?」

「っ、はい、どうぞ。ジェシカさんもお召し上がりください」


 珍しくクインに急かされたと思ったら、ブランがよだれを垂らさんばかりの勢いでローストビーフを凝視していた。

 クインはブランがこれ以上聖魔狐として駄目なところを部外者に見せるのを防ごうとしたのだろう。ブランを咎めるよりもよほど、効果的であるのは間違いない。


「では、いただくわ。——あら、美味しい。この白いソースは何かしら?」


 サラダを食べたジェシカが目を丸くする。


「マヨネーズというものですよ。チーズもかけていますが。卵とお酢でできているんです」

「だからまろやかさと酸味を感じるのね。初めて食べたわ。どこで食べられているものかしら?」


 問われて、一瞬答えに迷った。


「……精霊に教えてもらったものです」

「そうなの? 精霊様方も、お料理をするのね」


 ジェシカが感心したように頷いた。

 トラルースやマルクトと交流はしていても、料理などで歓待されたことはなかったようだ。

 アルがフォリオに料理を作ってもらったのは、親戚ともいえる関係性だったがゆえなのかもしれない。


『魔族のことは言わんのだな』


 ブランが口いっぱいにお肉を頬張りながら視線を寄越してくる。ジェシカが反応しないので、アルにだけ届く思念のようだ。

 アルも頷き返すだけで、言葉にはしない。


 ジェシカは先読みの乙女という特質上、魔族のことを詳しく知っている可能性が高いが、それがどれほどのものかは分からないのだ。立場として、魔族に味方するかどうかも定かではない。

 マヨネーズの製法が魔族から伝わったものだなんて、わざわざ教える危険をおかす必要はないだろう。


「アル、このサンドウィッチは美味いな」

「それもマヨネーズを使ってますよ。卵を荒めに切って、和えてあるんです」


 卵を使ったサンドウィッチはクインのお気に召したらしい。

 ブランと無言のやり取りをしたことで、少し間ができたのを誤魔化してくれたことを感謝しながら、アルは微笑んだ。


「本当に、これも美味しいわ。お料理もできるなんて素敵ね。わたくし、しようと思ったこともないわ。アルも、元は貴族なのでしょう?」


 ジェシカが微笑む。不審な様子はない。

 だが、アルの出身を知られているのはどうしてなのか。少し気になった。これも先読みの乙女としての知識ならばいいのだが——。


「……貴族とは言っても出奔した身ですし、もともと貴族らしい生活はさせてもらえませんでしたので」

「そうらしいわね。グリンデル国のことはあまり知らないけれど、王侯貴族の方々は、あまり頭がよろしくないという噂を聞いたことがあるわ。アルのような優秀な人は馴染めない場所なんでしょうねぇ」


 アルは思わず吹き出しそうになったのを堪えた。喉に詰まりそうになったサンドウィッチをお茶で流し込み、ジェシカをじっと見つめ返す。


 のほほんと穏やかな雰囲気で、随分と悪口じみたことを言うものだ。貴族女性らしいと言えばそうなのだが、ここまで嫌味なく言われると「あっぱれ」と返したくなる。正直、アルも同感なので。


「居心地が良くない場所だったのは確かですね」

『この娘はよく分かっているな!』


 苦笑するアルの横で、ブランはご機嫌だ。

 もともと、ブランはグリンデル国の王侯貴族が大嫌いである。貴族時代にアルの待遇が悪かったことを知っているので、代わりに怒ってくれているのだ。

 ジェシカの言葉は、ブランにとっても胸のすくものだったに違いない。


『——褒美に我の肉を少しやろう!』

「いらないと思うよ?」


 珍しく肉を分けてやろうとしているので、笑いながら制止する。

 ジェシカが食べ進めている速度から考えても、これ以上の食事を望むとは思えない。貴族女性は体型管理が大変なので、少食な人が多いのだ。

 先読みの乙女という特殊な立場だろうと、貴族籍を持っている以上はジェシカも身なりを気にしているだろう。


「ふふ、心遣いだけいただいておくわ。それにしても、魔物と話せるなんて、とても不思議な気分よ」


 まじまじとブランとクインを見つめながら、ジェシカが楽しそうに微笑む。ついで「帰ったらリアンナに教えてあげなくちゃ」と呟くので、アルは首を傾げた。


「リアンナというのは、どなたですか?」

「わたくしの侍女よ。ドラグーン大公国で待たせているの」


 アルがなるほど、と頷いた瞬間に、ジェシカが「あっ!」と声を上げた。


「——いけない。今日の夕方には戻ると言っておいたのだけれど、大丈夫かしら。もうお昼だわ……」

「帰りはまた精霊の森経由で?」

「ええ。マルクト様が送ってくださるのよ。アルも一緒に行くかしら?」


 にこりと微笑むジェシカの目には、何かを切望するような光が浮かんでいるように見えた。どうやらジェシカがアルに会いに来た理由に関係しているらしい。

 さて、どうするべきか。アルは考えながら目を細めた。

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