第434話 記録の中のあなた

 一通り料理や魔法などに関する記録を見て好奇心を満たしたアルは、ふとクインから聞いた話を思い出した。

 そして気合いを入れて、脳裏に浮かぶ本へと念じる。


(僕の母……先読みの乙女に関しての記録を見たい)


 ここを訪れた先読みの乙女は、厳密に言えばアルの母親と言える人格ではないかもしれない。だが、見た目はそのままだし、中身も似通っている部分があるはずだ。


 期待と不安がせめぎ合い、鼓動が高鳴る。

 示された本を開くイメージをした途端、景色が切り替わった。アルはもう慣れたものだ。


 現れたのは一人の少女。

 黒髪と紫の瞳はアルと同じで、顔立ちも似ている。まだ幼いと言ってもいい年頃だが、母の面影がある気がした。


『ねぇ、妖精さん。私、精霊様とお話したいわ』

『では連れていきましょうか?』


 少女は宙を舞う光——妖精に話しかけながら微笑んでいた。

 これは精霊の森に行く前の記録らしい。キラキラと期待で輝く瞳が綺麗だと、アルは素直に思った。


 母親の子どもの頃の姿をこんな形で見るとは思わなかったが、思っていたより落ち着いて見られる。朧になっていた記憶が鮮明さを増した気がした。


「この頃はもう、未来のことを知っていたんだよね……」


 以前精霊に聞いたことを思い出して、アルは目を細めた。

 世界を守るために命を懸ける覚悟を固めているとはとても思えないくらい、少女の表情は無邪気そうだ。


 今何を考えているのだろうか。記録が映し出すのは光景と音声だけ。そこに映る人の思いは、表情や振る舞いで察するしかない。


「あ、精霊の王……見た目は変わらないんだね」


 見ることに慣れてきたアルは、記録を飛ばしながら追えるようになっていた。


 不意に見えた覚えのある姿に、思わず感想がもれる。

 精霊が長命で、ほとんど姿を変えないと知っていたが、こうも変わりのない姿を見ると、これが過去の出来事だと思えなくなってしまう。


 少女と精霊の王の会話を聞きながら、アルはぼんやりと考えていた。

 ここから少女の先読みの乙女としての役割が始まっていくのだ。なんとなく感慨深い。


 少女が城であまり良い関係を築けていないのを見たときは、「そんなところで親子そっくりじゃなくていいのに」と思わず苦笑してしまう。


 妖精や精霊と親しいと知られている少女は、精霊信仰のあるマギ国では腫れ物扱いだった。

 王女というだけでも特別な存在なのに、家族さえも気安く近寄らない。


 アルとは状況も理由も違うとはいえ、普段孤独に過ごす少女には親近感を覚えた。


「次は——っと」


 飛ばした先の記録では、少女はだいぶ大きくなっていた。

 聖域を訪れ、記録を確認しているらしい。幼い頃の無邪気さは薄れ、凛とした風情には覚悟が滲んでいた。


「どうやって先読みの乙女は選ばれてるんだろうなぁ」


 不意に浮かんだ疑問に、答えは見つからない。

 生まれた時から先読みの乙女だと定められていたのか。あるいは、後から選ばれたのか。

 先読みの乙女の魂しか知るすべはないだろう。


 もし母が先読みの乙女の魂を内包していなかったら、と考えるとすぐに「僕は生まれていなかったんだろうな」と理解する。


 アルが生まれた背景には、母の意志だけでなく神の思惑も絡んでいる。

 先読みの乙女の希望として生まれることになったというのは、今でも少し複雑な気分になるが、納得してもいた。


 アルは今の生活を気に入っている。何よりブランと出会えたことが、アルにとって最も嬉しいことだ。

 先読みの乙女たちの意志がなければ、今のようなアルは存在していなかったのだと理解できれば、不満を言えるはずはなかった。


「あっと……あの人とのことはどうでもいい」


 血筋上の父親が出てくる記録は飛ばした。

 アルが生まれたところから記録を追うのを再開する。


「随分と嬉しそう」


 柔らかく綻んだ表情は、これまでの母とは違っているように見えた。

 アルを産んだ時点で、母は先読みの乙女としての能力を失ったのだと、以前聞いた。つまり、今の表情が母本来のものだということだ。


 それはアルの記憶に朧に存在していた母の姿と、完全に合致した。

 胸に押し寄せるこの感情をどう表現すべきなのか、アルは分からない。慕わしい、懐かしい、というのが近いだろうが、それだけではないのだ。


「……僕、こんな感じだったんだなぁ」


 無力な赤ん坊は、母親の愛情に包まれて、にこにこと笑っていた。

 母そっくりな容姿は、赤ん坊の頃からだったらしい。


 自分の赤ん坊の頃の記録を見るなんて、少し照れくさい気分になるが、とばすのは惜しい。

 アルはゆっくりと親子の姿を追った。


 幸せな光景はあまりに短く。

 眠りについた母の姿を見下ろして、アルは目を伏せた。


「おやすみなさい。どうか安らかに」


 死を理解できなかった子どもの頃の自分の横で、愛すべき母の死を静かに悼む。ようやく母ときちんとお別れできた気がした。

 そして、記録を通して、母が一人の人間として、アルを愛してくれたことが実感できて、胸が温かいもので満ちた感じがする。


「——さて、そろそろ記録から出ようかな」


 母の死と同時に狭まっていく世界から抜け出す。

 先読みの乙女に関する新たな情報は得られなかったが、それ以上に大切なものを感じられる時間だった。


 目を開けた途端に見えたのは、アルの顔を覗き込むように身を伸ばしているブランの姿だ。


「っ、びっくりした」

『……楽しそうだったな』

「うん。楽しいというか、幸せかな」


 母の死は寂しかったが、それは初めから分かっていたことだ。今は愛情だけがアルの胸に残っている。


 アルがにこりと微笑んだら、ブランは『それならばいい』と頷いた。ブランの目が穏やかな雰囲気で瞬く。


「——もしかして、僕が母の姿を見て感傷に沈むことを心配してた?」

『どうだろうな』


 答えをはぐらかされた。だが、アルはその様子で確信する。

 ブランはアルに過保護な部分があるのだ。あまりそんな様子を見せたくないようで、いつも隠したがるが。


「そっか。……記録は十分に満たし、そろそろ休憩を——」

『昼飯だな!!』

「っ、急に大きな声出さないでよ……」


 思念で脳を揺さぶられた気がして、アルは思わず呻く。ブランの食への欲求は、時に激しすぎてアルの頭を痛める。


「昼ご飯か。それならば、この建物の外で調理をするのがいいだろうな」


 近づいてきたクインに頷き、外へと向かおうとしたところで、不意に腕を掴まれた。

 クインとブランが一気に緊迫感のある雰囲気を漂わせている。


「え、どうしたの……——あ」


 問いかけた途端に、アルも二人が警戒している存在に気づいた。

 白い森——木々の陰から、こちらに近づいてくる者がいる。魔物などではない、人間の足音だ。


 敵か。あるいは、単にこの聖域に用事がある者と出会したか。

 まだ判断がつかず、見守るしかない。逃げたり隠れたりする場所はなく、その必要性も感じなかった。

 アルにはブランとクインという、頼りがいのある仲間がいるのだから。


 見つめ続けた先で、青色の布が揺れた。まるでドレスかワンピースのような軽やかで美しいそれは、女性の着るもの。


 そのすぐ後に現れた姿は、予想通りだった。栗色の長い髪を風に揺らし、青灰色の瞳をぱちりと瞬かせた女性は、アルたちを見て口元に笑みを浮かべる。


「こんにちは。はじめまして、でいいわよね?」

「……初めてなのは確かだと思いますが。僕たちのことをご存知で?」


 予想外な声掛けに、一瞬対応が遅れた。随分と親しげな雰囲気を出されているが、女性も言っている通り初対面のはずである。

 敵のようには見えないが、どう捉えたらいいか分からない。


 アルの困惑が滲んだ声に、女性が嬉しそうに微笑んだ。

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