第433話 記録はいろいろ
脳裏に浮かぶたくさんの本。
実際の視界が邪魔なので目を瞑って集中する。何かあれば、クインが知らせてくれるだろう。
「うーん……題名もないみたいだし、それぞれに何が書かれているか分からないなぁ」
『そうか? 我の前には【うまいもの競争】と書かれた本があるぞ』
「なにそれ……?」
ものすごく馬鹿そう、と感想を抱いたのはアルだけではないだろう。クインのため息が聞こえるから。
物語かなにかだろうかと予想してみるものの、ここにあるのは世界の記録なのだと思い出して、予想を否定する。
『これを見てみるか? いや、どうしたらいいんだ……?』
「開いてみるとか?」
アルも適当な本を開くイメージをしてみた。だが、まったく効果がない。
『うおっ! 大量の飯が並んでる! 旨そうだな——って、食えない!?』
ブランが大騒ぎしている。
気になるが、今、目を開けたらなんだか負けな気がした。アルも自力で記録を探りたい。
「記録なのだから、食えないに決まってるだろう……」
『見えているのに食えないなんて、嫌がらせじゃないか!?』
「その記録を選んだのはブランだ。というか、お前はどれだけ飯を食いたかったんだ」
クインが呆れた雰囲気で呟いている。
アルはその言葉が脳裏に引っ掛かった。【記録を選んだ】とは、見たいと望んだ記録が目の前に本の形となって現れるということではないか。
試しに、【世界一腕の良い料理人の記録を見たい】と考えてみる。
「あ、なんか出てきた……」
目の前に現れた本の表紙には【リジュ国の料理人ロータスの調理記録】と書かれている。
リジュ国とは、五百年ほど前に存在していたと言われる国だ。ロータスという名は知らないが、世界一腕の良い料理人なのだろう。
「これを開くと——」
ブランのような馬鹿っぽい題名じゃなくて良かった、と心の中で呟きながら、アルは意識を集中させた。
途端に一瞬体が浮き上がるような心地がする。
「……本じゃないんだ」
目の前に広がっているのは、どこかの調理場らしき場所だ。
始まりが本という形だっただけで、実際の記録はクインが予め教えてくれていたものと変わらない形式のようだ。ソーリェンにより体験済みなので、慣れるのは早い。
視覚で捉えているが、体はブランやクインのところにあるのだろう。意識だけが、どこかに飛ばされた感覚は、不思議と違和感がなかった。
「霧の森でシモリさんに転移させられたのと、似た感じかな」
当てはまる経験を思い出して納得したところで、記録に変化が現れた。
調理場に現れた男が、次々に食材や調味料を取り出して調理を始める。アルが知っているものもあれば、知らないものもあった。
「あれはなんのスパイスだろう。……香りは、ちょっとクセがある感じ。今度街のスパイス店で探してみよう。リジュ国があった地域の特産だったら、遠出しないと見つからないかもなぁ」
色々とスパイスの香りを調べている間に、一品目の料理が完成したようだ。
『ガパオあがり』
『運びまーす』
給仕役らしき女性がさっと皿を取り上げ運んでいく。
コメに炒めたひき肉や目玉焼きをのせ、サラダも添えられた皿は、彩り良くて目にも楽しい。香りも食欲をそそる。
「……食べたい」
ブランではないが、料理を映像記録で見るという行為は、なかなかつらいものがあるのを実感した。朝食を食べてそれほど時間が経っていないというのに、お腹が鳴りそうだ。
『パッタイあがり』
麺を野菜や海鮮と共に、甘辛な調味料で炒めた料理だ。後のせされた香草が良いアクセントになっている。
すぐさま運ばれていく皿をアルは目で追った。
「ああいう感じで麺を焼くのもいいんだ。ショウユでもいい感じかも」
パスタに飽きたらやってみよう、と思いながら次のメニューを見つめる。
今度は作り置きされているものらしく、大鍋の中にはごろごろと肉が入っていた。
それを皿に盛ると、香草を添えられる。
『バクテーあがり』
「ブランが好きそう。香りはちょっとクセがあるけど」
スペアリブはブラン好みな感じだった。
スパイスはそっくりそのままというわけにはいかないだろうが、アルなりに挑戦してみてもいいかもしれない。
「それにしても、料理してるところは見れるけど、調味料を揃えるの大変そうだな。もっと身近にありそうなのが見れるといいんだけど」
ロータスという人が一流の料理人だと言うことは、見れば分かる。手際が素晴らしいから。
だが、それがアルの役に立つかと言えば、そうでもない。新たなアイデアはもらえたが、それだけだ。
「よし、出よう」
そう決めた瞬間に、視界が変わっていた。
白い柱が立つ空間。目の前でブランが座っていた。完全に台座上の本をベッド代わりにしているように見える。
「——ブラン、寛いでるね?」
『アルの独り言を聞いて、期待を高めていた。だが、調味料を集めるのは難しいようだな』
「……そっか、声はこっちに聞こえるんだった」
無意識に呟いていた言葉を知られているのは少し恥ずかしい。
ブランが『調味料を探して、世界を飛び回ってみるか?』なんて食道楽なことを呟いている。
アルはそんな生活も楽しそうなので、否定しないでおいた。
今はまだアカツキたちの問題に関わるつもりだからそのような余裕はないが、落ち着いたらやってみたい。
「アルも料理についての記録を見ていたんだな」
「ええ、試しに」
「好きにしたらいいが。吾はそこで休んでいるぞ。昼頃になったら声を掛ける」
クインは少し呆れた顔に見えたが、柱の傍を指して離れていった。
アルが記録を見て無防備になる間の見張りをしてくれるようだ。
「……ブランはどうするの?」
くわり、とあくびをしているブランは、記録への関心を失っているようだ。唯一興味を持っていた美味しいものの記録も、食べられないと分かれば苦行と変わりなく、見る気がないらしい。
それについてはアルも同感である。いろいろとレシピを知りたいので、まだ見る予定だが。
『我はここで寝る』
「わざわざ僕の肩を選ばなくても……」
ひょいっと跳んできたブランを避けずにいたら、肩に慣れた重みがあった。アルが肩こりに悩むことになったら、絶対にブランのせいである。
心の中で恨み言を呟きつつ、アルは首を傾げた。頬に触れる柔らかい毛がくすぐったい。
「——もしかして、ブランも警護してくれるの?」
聖域は完全に敵を防ぐ仕組みにはなっていない。この場所を知っている者ならばいつ来たとしてもおかしくないのだ。
そうとなれば、周囲に警戒するのは通常の森の時と変わらない。魔の森のように魔物がひしめいているわけではないから、随分と余裕はあるが。
アルの肩でぐうたらと寝そべっているように見えるブランも、一番近くでアルを守ろうとしているのかもしれないと考えられる。
『そ、そういうわけじゃない! 我はここで寝るのが一番快適なだけだ!』
照れ隠しなのか、ブランは早口でそう言うと『寝る!』と宣言して目を瞑った。尻尾が揺れるのを背中で感じる。耳が時折ピクピクと動いているので、周囲への警戒を怠っていないのは間違いない。
「ふふ、そう。僕は記録を楽しむね」
機嫌を損ねないよう、ブランの本心に気づかないふりをして、アルは再び本に手を伸ばした。
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