第432話 白き森の本殿
夜明けと共に『腹がへった!』という騒がしい主張でブランに起こされた。就寝前の穏やかな静けさは、夜闇と共に去ってしまったらしい。
だが、ブランのおかげで安眠できたので、睡眠時間は十分である。感謝の意を込めていつもより豪勢な朝食を作ってみたところ、ブランは朝食後も随分とご機嫌な様子だ。
「ブランのこういう単純なところ、可愛いなぁ」
「あばたもえくぼ、とは今のアルのような状態を言うのだろうな」
人型に変化したクインに、納得したように言われた。だいぶ心外な評価である。否定できない部分があるのは事実なので、返す言葉を悩んでしまうが。
「……でも、操縦しやすいところは、便利でしょう?」
「それ以上に、食欲からくる訴えが鬱陶しいと思うのが普通だと思う」
真剣な口調で言われて、アルは「え、そういうものですか?」と素で答えてしまった。
確かに鬱陶しいと思うことがないとはいえない。だが、そんなところも含めてブランらしいと思えば、利点の方が大きく感じる。
「——あ、そういうところが、あばたもえくぼってことか」
好意は時に人を盲目にする。あるいは寛容性を向上させるスパイスだ。
そのことに気づいて、やはりクインの言葉はまったく否定できなかったなと思い直した。
クインは肩をすくめて、歩き始める。朝食も片付けも済んだので、早速記録を見るための建物へと案内してもらっているのだ。
『我が聞いているというのに、随分と遠慮なく言うものだな』
ブランが少し不機嫌そうに言った。だが、そんな様子を気にする者なんてこの場にいない。
アルは軽く聞き流しながら、周囲をのんびりと眺め歩いた。
「事実だからね。ブランだって、美味しい物のためなら、働くのも厭わない自覚があるでしょ?」
『……厭わないわけではない』
「あぁ、そっか」
部分的に否定されたところで、食べ物で操作されているという事実はまったく覆ることはない。だから、アルは頷きを返すだけだ。
『アルこそ、我が好きだから、甘やかしていると言われているのだぞ? 否定しないのか』
「できないねぇ。どっちも事実だから」
『むっ……』
にこりと笑って返すと、ブランの言葉が止まった。しきりに尻尾を揺らして落ち着かない様子になっている。
「え、もしかして照れたの? 今さら?」
『照れてなんぞおらん! 我はこれほど美しく高貴なのだから、アルが我を好くのも当然だな!』
口早に主張されたが、その態度が照れていることを示しているように感じられて、アルは微笑んでしまった。クインも微かに振り返り、ふっと吹き出すように笑っている。
「そうだね、ブランの毛並みは綺麗だよ」
今日は朝からブラシをかけてあげたので、いつもより割増で綺麗なのは事実である。
ブランに『美しいのは毛並みだけではないぞ!』と主張されたのを聞き流しながら、肩に飛び乗ってきた体を撫でてあげた。
◇◇◇
ブランやクインと賑やかに話しながら歩いて暫く経った頃、森の先に明らかに人工物と思しきものが見えてきた。
「あ、あれが記録を見ることができるという建造物ですか?」
「そうだ。思っていたより近かったな」
クインが意外そうに呟く。
聖域は白い木々が立ち並び、目印というものがない。それでも目的地が分かっていたのは、クイン曰く『勘』である。方向は確かだが、距離がよく分からないとは出発前に言われていた。
「まだ昼にもなっていませんからね」
クインに頷き返しながら、アルはじっくりと建造物を眺めた。
白い木々の合間から見えるのは、白い壁らしきものだ。素材はなんらかの石だと思われるが、アルの知識にあるものと合致しない。
聖域特有のものだろうか、と思いながら鑑定をしてみる。
「——……うん? 精霊石?」
見たことのない単語だった。
精霊石とは『精霊の力が強く込められた特殊な石』らしい。詳細はそれしか示されなかった。やはり変なところで使えない鑑定である。
『なんだそれは』
「ソーリェンさんが関わってるのは間違いないだろうけど」
この場で精霊と言えるのはソーリェンしかいないし、聖域の礎である精霊が唯一の建造物に深く関わっているのは当然だ。
アルは精霊石にどんな効果があって、何のために建材として使われているかが知りたかったのだが、鑑定で答えを得られなかったのは残念だ。
「精霊石か……。吾が昔聞いた話によると、死しても木に戻らぬ精霊の姿らしいが」
「それはつまり、ソーリェンさんのことでは?」
木を本体とする精霊が、死んだ後に木として残らない事象を、アルはソーリェン以外に知らない。
真剣な顔でクインに尋ねたら、「そうだろうな」という返事があった。その口調の軽さとは裏腹に、白い石を眺めるクインの目は悩ましげだった。
アルはクインの思いが理解できる気がする。
もし精霊石が死んだ精霊の木とは別の姿だとするなら、この建造物はそのままソーリェンの亡骸のようなものだと言えるからだ。
『ふーん……つまりこれが聖域の核ということか』
手で触れられるほどの距離まで建造物に近づいた頃に、ブランが呟く。その声を聞きながらアルは精霊石を撫でた。
遠目で木々の合間を確認した時は、白い壁のようだと思ったが、実はそれが大きな柱だったのだと分かった。
精霊石が敷き詰められた床に、精霊石の柱が何本も立っている。見上げた屋根も、おそらく精霊石だ。
空の青色がなければ、気が狂ってしまいそうなほど白で統一された森と建物である。
「聖域の核、か……。言われてみれば、この場所から地中へと、魔力の流れがあるような?」
「ほう……吾には分からぬな」
アルの目には、魔力の流れが見える。この建造物から溢れる魔力が森へと広がり、同時にどこかから魔力が供給されているようだと思った。
『難しいことは分からんが……あれが、記録を見るためのものか?』
ブランが鼻先で建物の中央部を示す。
そこには白い台座の上に、本のようなものが広げられていた。明らかに不自然である。
「本って……随分と人間的なものを設置しているんですね」
歩み寄りながらぽつりと呟く。特殊な記録様式を持っている精霊の発想らしくない。
「言われてみればそうだな。吾はそういうものなのだとしか思わなかったが」
『この建造物は人間のために用意されているということか?』
疑問を投げかけてくるブランに答えようと口を開いたところで、アルはヒロフミに聞かされた話を思い出した。
確か、この世界の設計の基になった可能性が高いアカツキのゲームでは、異次元回廊にあった白き神殿と並んで、この聖域が世界の記録を知る場として用意されていたと言っていたはずだ。
それならば、この白い建造物も、台座の上にある本も、そのゲームを忠実に再現した結果なのかもしれない。
そんな説明をしたアルに、ブランとクインがそれぞれに頷きを返す。
『——なるほど。ソーリェンは神の意志に沿って、ここを用意したに過ぎないわけだからな。設計通りに造った結果がこれというわけだ』
「そのゲームとやらで知識をもたらされる相手が人間だと言うならば、このような様式であることに不思議はないな」
二人の声を聞きながら、アルは本に触れる。開かれている本のページには【ここに触れれば知りたき情報が見られる】とだけ書かれていた。
説明が少なすぎて、偶然迷い込んでここに辿り着いただけの者だったら、触れるのに躊躇しそうだ。
「ん……?」
指先がページに触れた途端、脳裏に白い光が溢れるような感覚があった。一瞬のことだったが、咄嗟に目を瞑る。実際の光ではなかったので、それが意味のない行為だというのは後から気づいた。
「——あ、すごい。頭の中に大量の本が並んでるみたいな感じがする」
『なんだそれは』
不審そうな声が聞こえた。ブランにはアルが見ているものが分からないらしい。本に触れている者しか体験できないようだ。
「ブランも触ってみてよ」
『大量の本は見たくないが……』
文句をぼやきながらも、ブランがアルの肩から台座へと飛び移る。
アルは軽くなった肩をほぐすように動かしながら、脳裏に浮かんでいる光景に集中することにした。
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