第431話 鑑定の謎
アルは食事を続けながら、鑑定眼とはなんなのだろう、と今更なことを考えた。
生まれながらに持つ鑑定の素質——目に映すものを鑑定できる能力——を鑑定眼と呼ぶ。
この素質を持っている人は少なく、全員が同じような鑑定結果を得られるかどうかは分からない。そんな情報を比べようとする者がこれまでいなかったのか、論文が存在していないのだ。
街の出入りなどで身分確認に使われる鑑定の道具は、鑑定眼を研究した結果に生まれた魔法陣を使った魔道具だと言われている。鑑定用の魔道具は作るのに技術がいるため希少だ。
「他にも鑑定眼持ちの人と出会えたら、鑑定結果に違いがあるかとか、いろいろ聞けるんだけどなぁ」
『川底から砂金を見つけるような望みだな』
ブランに無慈悲な返事をされた。アルもその事実は理解していたが、少し悲しくなる。
アルたちの様子を眺めていたクインが首を傾げた。
「鑑定用の魔道具で示される鑑定結果と違いがあるかどうかは分かるのではないか?」
「そう思いますよね? でも、そんなに簡単じゃないんですよ」
当然の疑問に、アルは肩をすくめて返事をする。
「——鑑定用の魔道具を作るのって、鑑定眼を持っていることが最低条件なんです」
「ほう、それは知らなかった」
「でしょうね。そして、希少な鑑定眼持ちの人が作る鑑定用の魔道具はとても希少です。僕が手に入れられる物ではありません」
クインはアルの説明になるほどと頷いていたが、疑問が残っていたようで再び首を傾げた。
「アルは鑑定眼持ちなのだから、自分で魔道具を作れるだろう? 霧の森用に作っていたはずだ。自分で作った魔道具では比較できぬのか?」
アルは「それができたら簡単なんですけど」と苦笑しながら、説明する。
「——そもそも鑑定眼持ちじゃないと鑑定用の魔道具を作れないというのは、自身の鑑定眼での鑑定結果を魔道具に反映させているからではないかと思うんです。能力を分けて付与しているようなものですかね? だから、僕が作った魔道具は、僕の鑑定眼で示されたのと同じ鑑定結果を示すものなんですよ」
クインは「ふむ、そういうことか」と納得したように呟いた。
そんなクインの横で、食べ終えた料理の皿を名残惜しそうに舐めていたブランが、ふと顔を上げる。
『つまり、他の誰かが作った鑑定用の魔道具と鑑定結果を比べられたら、すなわち鑑定眼で示される結果の違いを検証できるということか』
「そういうこと。……それが難しいんだけどね」
アルはブランの皿に料理を分けてあげながら眉尻を下げた。そんなアルとは対照的に、嬉々とした様子で料理に食いつくブランの姿が微笑ましい。クインは「あまり甘やかすな」と苦笑しているが。
希少な鑑定用の魔道具を貸し出してくれなんて、一介の冒険者でしかないアルが依頼できるわけがない。したとしても、断られるのがオチだ。
もしかしたらドラグーン大公国の王女ソフィアならお願いを聞いてくれるかもしれないが、相応に見返りを求められそうだ。それが当然の対応である。
『アルは鑑定眼について何が一番気になっているんだ?』
「うーん……コメとか特殊な素材を鑑定した時に、魔族の料理、つまり異世界の料理のレシピまで示されること、かな」
疑問の初端に戻され、アルは首を傾げながら返事をする。ブランが何を言いたいのか分からない。
『それは、魔族たちがこの世界に来てその料理を作った結果、その記録が蓄積されているということではないか?』
「それはそうなんだけどねぇ……なんか違和感があるんだよ。そもそも鑑定結果に『おすすめの料理レシピ』が出てくるっておかしくない?」
『我は他の鑑定眼持ちを知らんから、分からん』
アルの違和感への共感は得られなかった。クインもよく分かっていないようなので、アルが自分で納得できる方法を探すしかなさそうだ。
「……まぁ、いいや。いつか分かるでしょ」
アルはため息をついて結論を先送りする。この違和感が解消される日が来てほしいものだ。
「——それより、明日は聖域の醍醐味を味わうってことでいいんだよね?」
全員が食事を終えたのを確認し、アルは片付けを始めながら問いかける。
『醍醐味……記録漁りか』
「言い方がひどい」
ブランが面倒くさそうに呟くので、少し寂しい。新しい経験にワクワクしているのはアルだけなのか。
クインは微笑ましげにしてくれているからありがたい。
「吾は構わぬぞ。今すぐ行ってもいいが……」
『もう寝る時間だろう。規則正しい生活は必要だ』
アルが答える前にブランが釘をさしてきた。
クインが言うならそうさせてもらおうかな、と思っていたことを察知されていたらしい。時に好奇心が抑制できなくなるのが、アルの悪いところだ。
「……分かってるよ。ちゃんと寝るから」
一度記録の中に入ってしまえば、何時間だって検証のために費やせる自分を理解しているからこそ、ブランの言葉に頷くしかない。
ブランは食欲を抑えられないくせに、と指摘したいが、そうしたところで意味はないのだから、アルはおとなしく片付けの後は寝支度を整えた。
野営用のテントの中。
ベッドに横になると、途端に眠気が押し寄せてきた。アルが自覚していた以上に、頭も体も疲れていたようだ。
考えてみれば、それも当然か。
ソーリェンに聞かされた話も、記録の中で見た光景も、あまりに濃い情報だった。おかげでアルは考えるべきことが増えた。
アカツキたちにどう話すかという初歩的な悩みにさえ、まだ結論が出ていない。そもそも人付き合いの経験が少ないアルには荷が重い役目だ。
「……どうしようかなぁ」
眠気と悩ましい気持ちが拮抗し、穏やかに眠りにつくことができない。思わずポツリとこぼすと、枕元で身動ぎする気配があった。
今晩は自分の寝床ではなくアルのベッドの枕元で丸くなっていたブランが、ひょいっとアルの顔を覗き込んでくる。
『眠りの直前まで何を悩んでいるのだ』
ブランの目が心配そうに瞬いているのが、薄暗い明かりの中でも見て取れた。
アルはそんな細やかな気遣いが嬉しくて、つい口元を綻ばせる。途端に『何をニヤけている』と見咎められたのは少し心外だったが。アルはニヤけたつもりはない。
「今日知ったこと、アカツキさんたちにどう説明しようかなぁって考えたけど、結論が出なくて困ってるんだよ」
『ふーん?』
なんだか関心の薄そうな返事があった。ブランが聞いてきたのだから、もう少し身を入れて話を聞いてほしいものだ。
抗議の意を込めて軽くブランの頭を叩いたら、『何をする!』と勢いよく噛まれた。甘噛みと言えるくらい優しい力加減だったので、じゃれているようなものだ。
テントの外で動く気配がする。本来の聖魔狐の姿に戻って眠っているクインが、アルたちの密やかな騒ぎに気づいたらしい。
とはいえ、状況を確かめに来る様子はない。おそらく『いつも通り仲良くしているのだろうな』と片付けたのだろう。
そのように納得されるのも、アルは少し気恥ずかしいがどうしようもない。
「ブランも真剣に考えてよ」
アルが声を潜めて告げると、ブランはムッと尻尾を揺らしながらも首を傾げた。その目が眠そうに瞬いているのを抜きにすれば、親身に考えてくれているように見える。
『眠る間際に考えることではない気がする』
「それは否定しない」
ブランの言葉に苦笑を返す。アルも自覚しているが、そう簡単に思考から追い出せるならこんなに苦労していないのだ。
『こんな状況で考えたとて、ろくな答えに辿り着けんだろう。明日また考えよう』
「うーん……僕もそうしたいんだけどね……」
『アルは一度考え始めるとなかなか止まらなくなるな』
ブランが尻尾をぱたりとシーツに打ち付ける。『仕方ないやつめ』と言いたげな呆れた口調だが、目は優しいような気がした。
「そうだね。だけど、今は、寝たいって気持ちが強い」
眠気に抗うことになっている状況は地味につらい。そんな思いが滲んだ言葉に、ブランが『ふむ』と考え込んだ。
『——では、我が眠らせてやろう』
「え、どうやって?」
尋ねた途端、アルの胸のあたりをブランの尻尾が柔らかく叩いた。まるで赤子をあやすような仕草だ。
アルは虚を突かれたような気分になりながらも、伝わってくるいたわりの気持ちに、穏やかな眠気が近づいてくるのを感じた。
『ゆっくり寝るといい。明日からも時間はたっぷりある。明日できることは明日すればいい』
「ブランらしい……」
怠惰だなぁ、と思いながらも微笑み、アルは目を伏せた。
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