第429話 隠された姿
ソーリェンに話し終えて暫く。
考え込むように沈黙していたソーリェンが『ふむ……』と声を漏らした。
『——アルたちが予想している通り、その女はイービルであろうな』
「やっぱりそうですか。ソーリェンさんはイービルの容姿をご存知ですよね?」
下手かもしれないが、絵に描き起こしてみようかと考えながら尋ねた。すると、意外な言葉が返ってくる。
『いや。私はイービルがどのような見目をしているかは知らない。女性のようだということもな』
「え……でも、少なくても記録はあると言っていませんでしたか?」
ソーリェンから教えられたイービルに関する話を思い出しながら、アルは首を傾げた。
文字ではなく光景そのものを切り取って記録する聖域のあり方を考えたら、イービルの記録があるということは容姿も知っているのが当然だと思う。
『記録にはある。——全身を黒の布で覆い、顔まで隠れている姿だが』
「そういうことですか……」
教えられた姿を想像して、アルは苦笑した。
確かにそんな格好をされていたら、容姿どころか性別さえ分からなくても不思議ではない。
加えて言うなら、イービルなどの神に関する事柄は、ソーリェンの記録対象外になることも多いのだ。あやふやな記録しか残っていない可能性もある。
「——ということは、イービルは表向きは姿形をさらさないようにして生活している……? それは魔族や悪魔族に対してもでしょうか?」
『その可能性は高いだろうな』
イービルの姿を知っているのはアカツキだけなのだろうか。
あの記録を見た限りだと、アカツキが記憶を思い出したとしても、イービルを認識しているかどうかは怪しいが。この世界に生まれてすぐのアカツキは自我が乏しいように見えたから。
それはともかくとして。
クイン曰く、神であるアテナリヤとイービルの姿は似ているらしい。だが、普段からそれが隠されていたなら、それがアカツキの婚約者の姿と同じだったとして、サクラたちがそのことに気づかなかった理由が分かった。
イービルはいかなるわけがあるか分からないが、姿を隠す必要があった。それは、サクラたちにアカツキの婚約者の存在を思い出させないためだったのではないか。
アテナリヤ——あるいはリア——とアカツキの婚約者が同一の存在だという過程の上で成り立つ考えだが、外れていない気がする。
「イービルも、婚約者の記憶は隠そうとしていた……? それはなんでだろう……」
アテナリヤがその記憶を隠した理由は、動揺して世界に影響が現れてしまうことを危惧したからかもしれない。だが、それはイービルには当てはまらないだろう。
「——うーん……死んだ存在が生きているように錯覚して、魔族たち自身の存在に懐疑が生まれないようにするため、とか?」
とりあえず浮かんだ考えを口に出してみる。
もしイービルがアカツキの婚約者そっくりだったとして、それを見たサクラやヒロフミはどう思うだろう。
——死んだはずの存在が人格を変えて生きているように見えて、違和感や嫌悪感を抱くのではないだろうか。
そんなイービルに招かれた不死の身である存在に対して『本当に生きている体なのか?』『これは本当に自分の体なのか?』と疑問に思っても不思議じゃない。
そうなった場合でも、完全にイービルに操られている状態なら問題ないのかもしれないが、ヒロフミたちのように自由を得たら、何をしでかすか分かったものではない。イービルはその危険性を避けたのかもしれない。
「そもそも、イービルはどうして魔族たちに人格を必要としたんだろう? 手下として使うためなら、考える力なんていらないんじゃないかな?」
今更ながら浮かんだ疑問に、思考が停止した。いくら考えても、答えは見つからなくて、途方に暮れたともいう。
『随分と悩んでいるようだな』
ソーリェンが苦笑した雰囲気で呟く。『だが』と続いた言葉に、アルは耳を澄ませた。
多くの過去の記録を内包するソーリェンが、何か気づいたことがあるなら参考にしたい。
『——神は魔族たちへの対応が甘い。イービルを討つことに失敗し、魔族が生まれた後、精霊は彼らを討つことを命じられなかった。そればかりか、イービルのもとを離れた者たちには、救いの手を差し伸べるようにも言われた』
「え、そうなんですか?」
驚いたが、ふと精霊と魔族の関係を思い出して納得する。
かつてフォリオが教えてくれた調味料は、魔族から精霊に伝えられたマヨネーズというものだった。ヒロフミが魔族と精霊に交流があったことを話していたこともある。
精霊の一部——特に精霊の王は、魔族という存在がイービルによって生み出されたものだと知っていたはずだ。それでも普通に対応してきたのは、神からの指示があったからなのだ。
「——なるほど。やっぱり、魔族たちは神にとって弱点なんだ……」
思わず苦々しい口調で呟く。
イービルが魔族たちに人格を付与した理由は、見た目だけでなく中身まで、アテナリヤが知っている存在とそっくりにしたかったからかもしれない。
そうすれば、アテナリヤは相手が本人ではないと分かっていても、傷つけるのを躊躇うことになる。それが自分の悪心から生まれたものであるのだから、なおさら。
つまりは、肉盾。魔族たちはアテナリヤからの攻撃を防ぐための一手として存在しているのだ。
『だが、そう考えると、わざわざ異次元回廊に匿ってやった魔族たちを弑する手段を渡すのは不自然だ』
ソーリェンが考え深げに言うが、アルはアテナリヤの気持ちが理解できる気がした。
「……いえ。もしかしたら、彼らの死はアテナリヤが苦肉の策で与えた許しだったのかもしれません」
『許し? ……なるほど』
「アテナリヤが弑することは到底できないけど、彼らが自らの意志でそれを選ぶなら尊重しようという感じですかね」
悲しいことだが、大切な存在が思い悩み、苦しんでいる姿を見ていたら、そう考えても不思議ではないと思う。
ついでに、悪魔族に対してもそれで救いを与えてもいいという許可を出したようなものだ。
「——そうなると、魔族や悪魔族は、アカツキさんの知り合いというより、婚約者さんの知り合いの可能性の方が高いのか……」
その方が、アテナリヤの行動を抑止するのに繋がりやすい。
アカツキは婚約を結んだからには、相手が大切にしている存在や関係者に紹介されている可能性が高い。あまり記憶に残っていなかったとしても、イービルが勝手に記憶を探って情報を得ることは可能なはずだ。
そう考えると、魔族たちの中に、サクラやヒロフミの記憶に引っかかるような相手がいなかったことも理解できる。二人が知らない関係者ということだ。
『よく分からないが、納得はできたようだな?』
「そうですね。情報の整理はできました」
ここに来て、これまで謎として秘められてきたことの多くを知った。それを今後どう使っていくかはまだ考える余地があるが、一旦目的は達したと考えてもいいだろう。
なにより、異次元回廊で得られた魔法陣と思しきものの理解が進んだのはありがたい。これから、ヒロフミたちの元へ行き、解析をお願いすれば、より進展が見られる期待がある。
だが、同時に、得られた情報をどこまで話すかは非常に悩ましかった。彼らを傷つけたくない。
仮定の上に成り立つ話が多いのだから、確証を得るまでは黙っていてもいいのではないかと、自分を甘やかしたくなる。
「——ふぅ……」
思わずため息がこぼれた。
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