第428話 欠けいく世界

 世界が欠けていく。

 まるで、世界が端から消滅しているような——。


「記録の終焉だ」


 苦々しく呟いたのはクインだった。

 アルは無言でその姿を横目で眺める。変化のないイービルたちに意識を向けるような余裕はなかった。


「どういう意味ですか?」

「書物に終わりがあるように、ある時点を記録した中身にも終焉があるということだ。——この記録は、そろそろ終わる」


 なるほど、と心の中で呟いた。

 元々アルは異次元回廊で示された魔法陣らしき模様の手がかりを求めてこの記録に入った。そしてそれは既に示されている。いつこの記録が途切れてもおかしくなかったということだ。


「記録の終焉って、こんな、世界が消滅するみたいな怖さがあるんですね……」

「吾もあまり好まないから、適度なところで離れるようにしていたんだが。この記録は随分と中途半端なところで終わるものだな」


 クインがイービルの方へ視線を向ける。

 イービルは映し出された景色に見入るように固まったままだ。この先何が起きるか知りたいが、それは難しいのだろう。確かに中途半端な記録だ。


「……ソーリェンさんでさえ、中身が把握できない記録だったようですし、上手く管理できていなかったのかもしれませんね」

「そうだな。残念だが、ここまでのようだ」

『この後はどうなるのだ? またソーリェンの元へ戻るのか?』


 ブランがアルの顔を窺うように見つめた。

 それに明確な答えをアルは持っていなかったが、なんとなく察していることはある。


「……たぶん、ソーリェンさんも、この記録の中身を知りたがってると思う。そのために、僕はまたあの空間に戻されると思うけど」

『我らはそうとは限らない、か』

「そもそも吾らはアルと共にあの場に立ち会うことを拒まれたんだ。再び過去の方に入れられて、事実を共有するだけになるのではないか?」


 クインの言葉にブランが嫌そうに顔を顰めながら頷いた。


『……あの場でアルに話しかけても無視されるから、気に食わない』

「それは僕に対して?」


 ブランは過去の記録の中のアルに声を掛けていたらしい。それは当然かもしれないが、無視されたと拗ねる顔がなんだか微笑ましかった。


『最初はそうだったが、後からはあの状況を作ったソーリェンとやらに対してだな。……ふん、文句を言ってどうなるわけでもないことは分かってる』


 何も言っていないクインを牽制するように、ブランがそっぽを向いた。

 アルはクインと視線を交わして思わずふっと笑う。ソーリェンと話すアルに対して、話しかけて無視された後文句を言うブランの姿が目に浮かぶようだった。


「そうこうしている間にも、限界が来たようだぞ」

「闇が迫ってきましたね……」


 明かりの届く範囲が確実に狭まっていた。その先にはもう世界が存在していないと思うと、危険はないと分かっていても恐ろしくなる。


 世界の崩壊を避けようとするアテナリヤも同じような気持ちなのだろうか、とアルはふと考えた。それならば、何がなんでも避けようとして当然だろう。


「——これはこのままで大丈夫なんですか?」

「記録が終われば、元の場所に戻されるはずだ。吾のこれまでの経験だと、聖域内の建物の中だったが……」

「僕たちの場合は、ソーリェンさんの考え次第、という感じですね」


 苦笑しながら頷いたアルに、クインも頷き返しながら「出たいと願えば、早く済む」と呟いた。

 それはアルも分かっている。だが、今のところそうするつもりがない理由は——。


「——怖いと感じるのは事実ですけど、ギリギリまでどうなるのか見たいと思っちゃうんですよねぇ」

『そんなことだろうと思った』


 即座にブランがため息まじりで呟く。

 さすが相棒だ。よく理解してもらえていて嬉しい限り、なんてアルが思いながらニコニコと笑うと、じとりと睨まれる。

 その眼差しが『趣味が悪いぞ。好奇心旺盛もほどほどにしろ』と咎めているように感じられて、そっと視線を逸らした。


「……なるほど。アルらしい」


 ブランに遅れて理解を示したクインが仕方なさそうに笑う。

 その言葉で意思を受け入れてもらえたと察し、アルは少しずつ欠けていく世界に意識を集中させた。


 不思議なものだ。まるで毛糸で編んだマフラーが端から解れていくように、世界がほろほろと欠けていく。その先にあるのは虚無で、世界を構成していた魔素が飲み込まれるように消えた。

 あの魔素はどこへ行くのだろう。そもそも、この記録はどういう風に構成されているのか。


 気になることは多々あれど、解明できる日が来るかは分からない。だが、それもまた面白い。

 世界は不思議で溢れている。だからこそ、アルが惹かれるのだ。


「あ、そろそろですね……」


 ふわりと体が浮き上がるような感覚が襲ってきた。

 目の前が黒く染まる。もうブランとクインの姿は見えず、声も聞こえなかった。それなのに不安がないのは、記憶にある魔力を感じたから。




 ブラックアウト。そして——真白の空間にハラハラとピンクの花が散る。


「——ただいま戻りました、ソーリェンさん」

『よく帰った。その様子だと、それなりに成果はあったようだな』


 姿の見えない存在に声を掛けると、当然のように返事がある。

 傍にブランとクインがいないのは少しばかり心細いが、仕方ない。


「はい。ブランとクインはここの過去の記録の中ですか?」

『そうだ。それが良いのだろう?』

「ここに一緒に来てもらえるなら、更に喜ばしかったんですけど」

『それは無理だな』


 素気ない返事だが、十分な配慮を感じて、アルは微笑みながら肩をすくめた。


「……僕が入った記録は、今どうなっているんですか?」

『私では把握できないが、存在はそのままある。消えたわけではない』


 アルの危惧を先取りするように返事があった。

 世界の崩壊——つまり記録の終焉を最後まで見たことで、記録の消滅を危ぶんでいたが、そういうわけではないようだ。クインもそのようなことは言っていなかったから、本気で心配していたわけではないものの、断言されてホッとする。


「では、もう一度入りたいと言ったら、可能なんでしょうか?」

『入りたいのか? ……うむ。可能だが、今はやめた方がいいな』

「どうしてですか?」


 思いがけない返事だった。

 アルは僅かに目を見開きつつ尋ね返す。入り直す必要性は感じていなかったが、理由が気になった。


『どうも、記録が安定性を欠いている。しばらく時間をおけば、落ち着くだろうが、今入れば欠けたところだらけの記録を見ることになりかねない』

「それは珍しいことではないんですか?」

『時々ある。たいていは記録に干渉しすぎた結果だが……今回はそうではなさそうだ。そもそも私が把握できない記録という時点で、異例だったのだから、そう不思議なことではない』


 ソーリェンの声に動揺はなく、大きな問題はなさそうだ。記録が安定性を欠いた理由はソーリェンも分からないようだが。


 アルは、神に関する記録だからかもしれないと予想をつけて、詳しく聞くのをやめた。答えが返ってこない問いは無意味だ。


「そうですか。——それで、ソーリェンさんは記録の中のことを知りたいですか?」

『もちろん。私が知って良いことならば。話してくれないつもりだったのか?』


 驚くような、あるいは拗ねるような言葉が少し意外で、アルは思わず笑ってしまった。

 ソーリェンも人間のような部分があるらしい。


「いえ、知りたいのでしたら教えます。代わりと言ってはなんですけど、もしソーリェンさんが気づくことがあったら教えてください」

『当然だ。そのくらいは対価にもならぬが』


 快く受け入れてくれたソーリェンに、アルは記録の中で見たことについて語り始めた。

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