第427話 希望か、あるいは
アル同様、イービルの動向をじっと観察していたブランが、僅かに声の調子を落として呟く。
『異世界にいるアカツキの視点だとして、この記録から軽く数百年は経過しているアカツキたちに同じことをして、何か見える可能性があるのか?』
その言葉で、アルはハッと気づいた。
魔族として生きてきたアカツキたちは、見た目は若々しいが、生きた年数は既に数百年を超えている。異世界とこの世界が同じ速度で時間が過ぎるのなら、異世界に残っている方は既に死んでいておかしくない。
「異世界の人間が数百年生きるなどという話は聞いたことがないからな」
「……寿命の長さはこの世界の人間と変わらないと思いますよ。そもそも多くの魔族が死を選んだのは、長すぎる人生に耐えられなかったという側面があったみたいですし」
かつて聞いた話を思い出しながら、アルは呟いた。
そうしながらも、異次元回廊の内外での時間差を思い出し、僅かに目を細める。
同一の世界の中でも、次元が異なれば経過する時間に誤差が生じるのだ。世界が異なっている時点で、時間という事象が大きく異なっている可能性は高い。
そうなると、今でも異世界でアカツキたちの基となった人間は生きていると考えても問題ないはずだ。そうであってほしい、という希望を捨てられない。
「——世界間での時間の流れが違っていて、この技術が異世界の今を映すものなら、アカツキさんたちは自分たちがこの世界に来てから後の、異世界でのことを知ることができる……」
それが救いになるかどうかは分からない。もしかしたら、魔族としての自己を不要と考えるきっかけになってしまうかもしれない。
それでも、アカツキたちがこれからどうするか考えるための、一つの要素として重要だと思う。
「そのためにはやはり、この魔法陣のようなものを解析できなければ話にならん、ということだな」
クインがアルの手元のメモを軽く突いて呟く。
それに頷き返しながら、アルはイービルの向こう側に見える景色に目を凝らした。
『あれは、壁に窓があって景色が見えているみたいに思えるが、体ごと向こうには行けないのか?』
ふとブランが首を傾げながら呟いた。
アルは苦笑する。ブランが言ったそれは、目の前の景色が異世界のものだと気づいた瞬間に、アルも考えたことだった。
だが——。
「……無理だと思うよ。あの景色の手前、表面を意識する感じに見てみて」
『うむ? ——ああ、なるほど……。あれは、放棄された塔で見た、転送陣管理機のものと同じか』
少し残念そうなブランに、アルは頷いた。
壁があったところに現れた景色は、確かにその世界が隣り合っているように鮮やかに現実味を伴って映されている。だが、言葉通り、それは映されているだけなのだ。
言うなれば、動く絵画。触れたところでそこにあるのは壁なのだろう。
「あれが転移門だったならば、喜ばしいことだったんだろうな……」
「どうでしょうね。もしあれが、今の異世界を映しているものだとしても、魔素で創られた体を持つ魔族は、あの世界では生きられない可能性が高いんです。転移できたところで、存在の消滅が起こるだけでしょう」
「だが、それが救いにもなりえる」
クインの返事に、アルは黙るしかなかった。それはアルも考えたことだったから。
剣に貫かれて消滅するよりも、ずっと救いになると思う。だが、簡単には認められない。
「……そういう考え方もありますね。——あれ?」
イービルに動きがあった。
顔をぐっと壁に近づけて、何かをよく見ようと集中しているようだ。イービルの姿が邪魔で、その先にある景色がアルにはよく見えない。
『あれは何を見てるんだ?』
「ブランからも見えない?」
『うーむ……分からん!』
移動してみてもよく分からず、思わず顔を見合わせてしまう。
鉄柵を壊して、中に入ってみるという手もあるが、記録に干渉しすぎた場合のデメリットを考えると二の足を踏んだ。
「……あれは、サクラか?」
「え、見えたんですか?」
クインの呟きを拾い、アルは目を丸くする。クインに近づくと、確かにイービルの前に女性の姿があることが分かった。なんとなくサクラに似ている気がしなくもないが——。
「——雰囲気が違ってて、確信を持てない……」
『なんだか明るいな』
アルに続いて、ブランが頷く。
サクラは暗い性格ではないが、様々なつらい経験の結果、僅かに陰を滲ませた雰囲気である。
目の前の溌剌とした雰囲気の女性とは、少し印象が異なっていた。顔立ちは同じな気がするが、正直アルは魔族ののっぺりとした顔立ちを判別するのが苦手だ。人種として異なっているからか、その違和感の方が印象に強いのだ。
「髪型も違うし……」
『ふわふわしてるな。サクラの髪はまっすぐじゃなかったか?』
「だよね。貴族っぽい感じではないんだけど……洒落てる?」
サクラの見た目が劣っているわけではない。ただ、印象が大きく異なるという話だ。
口々に意見を交わすアルとブランを、クインが呆れたように見つめた。
「表面的なところばかりに釣られおって。もっと人間観察力を養うといい」
「魔物に言われた……」
アルは少しショックを受けたが、言われたことに心当たりがあって、文句は言えない。
人との関わりが少なかったアルは、生まれ持った性質も相まって、あまり人に関心を抱けない。その結果、少し見た目が変わっただけで、判別ができなくなるのだ。
『それにしても、イービルは、サクラを見てどうしようというのだ? あれだけで、魔族の基になる情報を得られるとは思えんが』
「新たに魔法陣っぽいものを描くわけでもなさそうだしね」
ブランに同意しながら、アルはイービルの動向を見つめた。
映し出される景色は動いているようだが、そこにサラクらしき女性が映っているのは変わらない。一緒に歩いているように見える。
「——なんか、ほのぼのしてる」
『我は思っていた以上に大したことが起きなくて飽きてきた』
「それは早すぎない?」
あくびをするブランを見て、呆れてしまう。
確かに単調な雰囲気だが、これも重要な手がかりになり得るだろうに。ブランはもう少しやる気を出してくれてもいいと思う。
「だが、いつまで続くんだろうな」
「一応目的のものを見ることができましたが、この先に何が待っているかは——っ!?」
クインの呟きに応じていたら、アルはふとグラリと視界が揺れた気がして、息を呑んだ。
ブランとクインも瞬時に警戒したように体勢を整えていたので、そんな風に感じたのはアルだけではなかったのだろう。
『なんだ?』
「異変は起きてないようだけど……」
周囲を注意深く見渡す。
イービルに動揺は見られない。アルたちが感じたものは、過去のイービルが感じとるものではなかったということか。
地面に倒れ伏したままのアカツキの姿も変わらない。
だが、再びグラリと視界が揺らいだ時、アルは思いがけない光景を目にすることになった。
「——見てっ! 向こう側が変だよ」
『なんだあれは……』
光が通らない海底は、アルの明かりが届かない範囲は闇に包まれている。だが、それだけではない漆黒の闇が迫ってくるように感じられて、背中に怖気が走った。
世界がどんどんと狭まっていく。
アルたちがいる場所の外側に広がるのは虚無。もはや明かりで見通せる範囲しか世界が存在していないのではないかと思われた。
「これは、なに……?」
不思議と命の危険は感じない。だが、今までにない状況に、アルは困惑しながら周囲を見渡した。
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