第424話 記録に現れるもの
光が収まって、真っ先に見えたのはクインの背中だった。どうやら盾になってくれていたらしい。どうりで途中から急に光が弱まったわけだ。
「クイン、大丈夫そうですか?」
「うむ……。だが、すごいことが起きたようだぞ」
声を掛けた途端、クインがスッと横にずれた。それによって、鉄柵で塞がれた洞窟がよく見えるようになる。
「ま、さか……!」
アルは驚愕の声を漏らした。
視線の先には、黒いワンピースを着た女性の姿。それだけならば驚くことではないのだが、その横に立つ人の姿が問題だった。
「——あれは、アカツキさん?」
呆然としながら名を呼ぶ。
黒色の短髪にのっぺりとした独特な顔立ち。見慣れた感情豊かな表情はないが、どう見てもアカツキその人だった。
「吾にもそのように見える。この記録は、イービルがアカツキを生み出した時のものだったのだろうな……」
クインは苦々しい表情だった。
既にアカツキたち魔族が転移魔法によってこの世界に来たわけではなく、命を創り出された存在であることは分かっている。
今回のこの記録は、その事実をアルたちに明確に知らしめるものだった。
使われていた魔力の気配、あるいは魔素は、空間魔法に属するものではない。アカツキたちがダンジョンや異次元回廊で用いる創造能力に似た力を感じさせた。
「……やっぱり、この女性がイービルなんだ」
「そうだろうな。そして、あの壁面の模様が、魔族を生じさせる鍵となるもの。詠唱らしきものにも、意味があったのだろう」
「僕では再現できそうにないですね。するつもりもありませんけど」
ポツリと呟く。
アルは魔法に類するあらゆる技術に関心があるが、人として越えてはならない一線があることを理解している。人工的に命を生み出すことは、その一つだ。
「アルはあれらが何を話しているか理解できるか?」
「え? 言われてみれば……分かりませんね」
クインに指摘されて気づいた。
イービルとアカツキは口を動かしているようだが、そこから聞こえるのは風のような音だけだ。先程のイービルの詠唱らしきものと同じだが、今は会話をしているように見える。
アルには全く理解できない。ここにヒロフミたちがいれば分かるのかもしれないが、この記録を見せるべきかどうかは非常に悩ましくもある。
「そうか。……アカツキは随分と表情が違って見えるな」
「確かに。ころころと変わる表情がないだけで、ちょっと冷たいというか、人形っぽく見えますね」
アカツキの姿をじっと見る。
イービルを見つめ返すその顔は、作り物めいていた。実際に作り物といってもいいのだが、そう考えるのは少し嫌な気分になる。
アルにとってアカツキは、たとえ何者かに創られた存在であろうと、友人であることに変わりない。
不意に『異次元回廊でアルたちを待っているアカツキに会いに行きたいなぁ』と思った。あの感情豊かな表情を浮かべるアカツキを見たら、心が落ち着く気がする。
『——うむ?』
ふと背後に気配を感じたと思ったら、ブランの声が聞こえた。思っていた以上に早い帰りだ。
のそりと横に現れた白いふわふわの頭に手を伸ばす。いつもと変わりない感触にホッとして頬が緩んだ。
「おかえり、ブラン」
『ああ。……どうやらこちらは随分と大きな変化があったようだな』
手に頭を擦りつけられる。ブランの声は驚きと不快感が入り混じっているように聞こえた。無表情のアカツキに対して、アルと同じような感情を抱いているのだろう。
「うん。あの女性はイービルで確定していいと思う。あの壁面の模様が完成して、何か詠唱していたと思ったら、光が溢れた後にアカツキさんがいたんだ」
『ほーう……。つまりあれが魔族を生まれさせる装置か』
ブランがじろじろと壁面を眺めて呟いた。
アルは頷きながら、ブランの首筋を軽く叩く。
「今は会話中みたいだけど、内容は分からないんだよね。だから、新たな動きを待ってるところ。——ブランの方は、成果はあった?」
尋ねた途端、ぐるぐると唸るような鳴き声が聞こえた。なんだか不満そうだ。
『成果、か。……目的としていた魔法陣らしきものはなかった』
「あ、そうなの。まぁ、ここにある確率の方が高かったから、落ち込むことじゃないよ」
『落ち込んでいるわけではない』
ムッと拗ねたように言われて、アルは思わず笑った。シワの寄った鼻面をこしょこしょと撫でると、嫌そうに睨まれて頭を振って払いのけられる。
「じゃあ、なんでそんなに不満そうなの?」
『……ここが思った以上に何もない場所だったからだ。それに思いの外狭い』
「狭い?」
アルも予想していなかった言葉だった。思わず目を見張る。
『ああ。あの白い森も記録の中だったろう? ここもそれくらいの広さがあるものだと思っていたのだが、我がこの短時間で見て回れる程度の狭さだったのだ。おそらく、この場所を中心として、必要のない部分の記録が削がれているのだろうな』
ブランの推測に、アルは「なるほど」と頷く。
どのくらいの範囲の記録を保持するかは、その内容ごとに大きく違いがあるらしい。この記録はイービルの魔族創造を残したものであり、それ以外のものは必要とされなかったのだろう。
「それなら、やっぱり、あの魔法陣っぽいものは、ここに現れる可能性が高いってことだね。それが分かっただけでも、十分な成果だよ」
『……最初から分かっていたようなものだがな』
ブランは自分の仕事が徒労に終わったと感じて不満なようだ。軽く目を眇めて尻尾を地面に打ち付けている。
アルは苦笑しながら、ブランの頭を撫でた。ブランに告げた言葉に嘘はなかったのだが、それがきちんと伝わっていても、不満が軽減しなかったのだからどうしようもない。
「ブランよ。お前の仕事はアルの役に立ったのだ。認めるがいい。吾の褒め言葉もほしいのか?」
『……いらん! 我が有能なのは当然のことなのだからな。アル、褒美は旨い飯でいいぞ!』
クインの揶揄うような言葉を受けて、ブランが軽く睨む。ついで、胸を張りながらされた主張に、アルは微笑ましくなった。これでこそブランだ。元気を取り戻して良かった。
「はいはい。分かってるよ」
『我をあやしてないか?』
「まさか。いつも助かってるから、夕ご飯は美味しいのにするね」
今夜は虎肉を使うんだったな、と思い出しながら肩をすくめる。ご機嫌に尻尾を揺らすブランを見て、吹き出して笑いそうになるのをグッと堪えた。単純なのはブランのいいところだ。
『飯の話をしたら、腹が減ったな』
「そういえば、ここにいる時間で、もとの時間ではどれくらい時間が経ってるんだろう?」
ふと浮かんだ疑問を口にしたら、沈黙が返ってきた。
ブランとクインから視線を感じる。
「——……記録の中に入ったのは、あの白い森からだよね」
『うむ。つまり、あの放棄された塔から転移した直後だな。そこから我の体感では、そろそろ昼どころか夕刻になっても良い頃なのだが……』
「ブランの腹時計がそう言うなら間違いないね」
本心で言ったのに、何故か睨まれた。ブランの腹時計が、魔道具以上にどんな状況でも正確に時を刻んでいると思っているのはアルだけではないと思うのだが。
『……記録から出たら、まだ朝だった、とかではないだろうな?』
「それならまだ良くない? 何年も先だったら怖いよ」
『ないとは言えんな……』
ブランと顔を見合わせる。嫌そうな表情なのはアルも同じだろう。
異次元回廊を出入りすることでの時差も対応に困るのに、ここでも時間がずれていたらどうしよう、と真剣に悩んだ。
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