第423話 描かれるもの
この記録の中では、アルたちは目の前の光景をひたすら眺め続けるしかない。
様々な疑問はあるが、それに答えてくれる存在はいないのだ。
「それにしても、彼女は何をしているんですかね?」
壁面に描かれるものは魔法陣に似ていると思うが、どのような効果を示すものかは分からない。あいにくと、記録の中では鑑定眼が働いてくれないようなのだ。
知識を探っても、該当するものが見当たらないから、アルが知らない魔法か、あるいは類似したなんらかの技術だと思われる。
「これがイービルだと仮定するならば、世界の破壊工作に関する作業の可能性はあるが」
「なるほど。……そもそもこの記録って、異次元回廊で示された魔法陣に関するもののはずなんですよね。今のところ、見当たりませんけど」
明かりで照らした範囲に、風が示してくれた魔法陣らしきものはない。それがこれから描かれるのか、それとも違う場所に存在しているかも分からない。
『つまり、こやつがその魔法陣を作ったわけではなく、別の場所に存在しているなら、探しに行かねばならぬということか?』
面倒くさそうに言うブランに、アルは苦笑した。
アルも正直同感なのだが、数少ない手がかりと思えば、やらないわけにはいかないだろう。
「そうだね。でも、とりあえず、この人の作業が気になるから、暫く観察させてもらうよ」
『ふむ。……我がこのあたりを見回ってきてやろうか?』
「え、ブランが積極的に働こうとしてる……?」
『おい、そこまで驚くことではなかろう!』
ぷんぷんと怒っているブランをアルは凝視する。
十分驚くべきことだと思うのだが、思い返してみると、最近のブランはそれなりに働くようになっていたかもしれないと気づいた。おそらく美味しいご飯目当てなのだろうが、それだけとも思えない。
「……何が目的?」
『我がただ厚意で言っているとは思わないのか?』
「それが事実なら、喜んで受け入れるけど」
用心深く答えるアルを、ブランがじろりと睨んだ。少し拗ねた雰囲気だ。
『……飯だ! 旨い飯さえあれば、それでいい』
ブランがフンッと鼻息を吐き、身を翻す。
アルの予想は半分当たり、半分外れたということだろうか。首を傾げていると、クインがくくっと笑う声が聞こえた。
「吾はお前に成り代わろうなどとは一切思わぬが」
『何を言っている。そんなことは微塵も考えていない! 我は見回ってくるから、明かりをよこせ。——アルの守りは任せたぞ』
アルから奪い取るようにして明かりを咥え、勢いよく駆けていく。
きちんと魔法陣を探せるのだろうかと疑問に思ってしまうほどのスピードだった。
アイテムバッグから新たな明かりを取り出しながら、アルはクインに視線を流した。
壁面に向かって作業中の女性に、新たな目立った動きはないから、今は会話に興じていても問題ないだろう。
「それで、成り代わりってなんですか?」
「あれが働きを示そうとしている意味だ。吾とブランができることはほぼ同じ。能力的には、ブランの方が特異的なものがあるんだろうが、森というフィールドを外れてしまえば、ほぼ無意味。むしろ聖魔狐としての能力だけでいうなら、吾の方に
アルは「なるほど」と頷きながらも話の続きを促す。だが、なんとなくブランの思惑が理解できた気がした。
「——だからこそ、ブランは働くことで価値を示そうとしているのだろう。ブランなりの『我がアルの相棒なんだ』という主張だな」
クインが微笑ましげに笑う。その表情には親らしい温かな愛情が滲んでいるように見えた。
「そうですか。……ふふ、別に働きがどうだろうと、僕にとってはブランはブランでしかないんですけどね」
ブランは食い意地が張っていて、日頃は食べては寝てを繰り返すような怠惰なタイプだ。だが、幼い頃から接してきたアルは、それだけがブランの本質だとは思っていない。
スパルタで放任しているような振る舞いをしても、意外と過保護でアルの危険は最優先で避けようとする。アルに対して愛情を持っているし、共に生きていくことを、喜びだと考えている。
アルにとっても、そんなブランが相棒であることに変わりはないのだ。成り代われる存在なんていない。たとえクインがブランと同程度の能力を持っていたとしても、だ。
「だろうな。あれも分かってはいる。だが、主張せずにはいられんのだろう。縄張りを示しているようなものだ。歳をいくら重ねようと、中身は子どものままだな」
呆れたように呟くクインに、アルは「縄張りかぁ」と頷いた。魔物としての本能に基づいた行動なのだろうと理解したのだ。
「まぁ、僕が困ることじゃないですし。というか、むしろ今は助かってますし、ブランが納得できるまで好きにさせましょう」
「あれの照れ隠しに、これまで以上に飯をねだられることになっても?」
アルはにこりと笑って頷く。
もともとご飯を作ることは嫌いじゃない。趣味の一環でもある。疲れている時は面倒だと思うこともあるが、それくらいだ。
なにより——。
「ブランが美味しそうに食べてくれるのは、僕にとっても楽しいですし」
「ふむ。こういうのをなんと言ったか——『破れ蓋に綴じ蓋』?」
「似通った者同士と言われるのは、それはそれで複雑な気分になりますね」
揶揄うような言葉に、アルは苦笑しながら肩をすくめる。否定することはしなかった。性質が上手く噛み合っていると言われたなら、間違ってはいないだろうから。
「——あれ?」
クインと会話している内に、女性の方の作業は大詰めを迎えたらしい。
女性は壁面を削る作業をやめ、最終確認するように描いたものを凝視している。
「ほう……吾の目には魔法陣のように見えるが、アルはどう思う?」
「少なくとも僕が知る魔法陣の形式ではありませんね。でも、あの部分が動力を示すとすると、あそこは働きを指示して……うーん、魔法言語が僕の知るものと違うので、効果は分かりません」
なんとか知識に当てはめて解析しようとしたが、すぐに壁にぶつかった。そもそも形式が異なっているから、推測した内容すら合っている自信がない。
「それだけ理解できるだけでもすごいことだと思うが」
本心から放たれただろう評価も、慰めにしかならなかった。結局、なんの役にも立っていないのが事実なのだから。
だが、ふと気づいたことが一つだけある。
「……あの図で使われているのは、異次元回廊で示されたものと少し似ている気がします」
「ほう? 自信がなさそうだが、外れてはいなのではないか。そもそも、この記録はその異次元回廊で得たものを知るために見ているのだ。何かしら関連がある可能性が高い」
クインの言葉に、今度は素直に頷いた。これも大きな手がかりになるだろう。そう考えてすぐに、壁面の魔法陣らしきものを紙に書き写しておく。
「——何か音が聞こえるな」
「風っぽい音ですね」
書き写し終えたところで新たな動きがあった。
女性が壁面に手を翳し、何かを言っている。まるで魔法の詠唱のようだ。
「吾は人が使う魔法に詳しくないのだが、魔法陣と魔法の詠唱は同時に行うことがあるのか?」
「普通はどちらか一つですね。そもそも魔法陣は魔法の詠唱を簡略化するために生まれたものなので。魔道具に転用しやすくするためというのもありますけど」
クインに答えながら、アルは目を細めた。
女性の行動には疑問が多い。
あの魔法陣らしきものは詠唱を必須とするのか、それとも全く別の魔法を唱えながら効果を発揮させようとしているのか。
もしかしたら、言っていることは何も効果とは関係していない可能性もある。独り言を言いながら魔法陣を作動させることがないとは言えない。
アルだって、初めて作った魔道具の検証の時には、ぶつぶつと呟きながらすることもある。
「——うわっ!?」
「むっ」
色々と考えながら眺めていたら、不意に目を焼くような強い光が溢れてきたため、アルは反射的に顔を背けて腕で翳した。目の奥がジンと痛んだのは、気のせいだと思いたい。
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