第421話 思いがけない成果
アルはふぅと息を吐いた。
考えたことのほとんどが憶測とはいえ、あまりに状況に合致しすぎている。それをなかったことになんてできないし、もし事実だとするならなんだか悲しい。
そんな思いを整理した後、初めの疑問に戻る。
「アテナリヤと婚約者さんが同一とするなら、あの風は——」
異次元回廊で吹いた風。
それはアカツキに婚約者の存在を知らせる結果になり、そして未だ解析が叶わない魔法陣をアルたちに示した。
アテナリヤ——いや、リアは、アカツキに自分のことを思い出してもらいたいのだろうか。自分でその記憶を封じたはずなのに?
そんな疑問がアルの頭を悩ませる。
そもそもアテナリヤは、善なる心を先読みの乙女の魂という形に分離したはず。今のアテナリヤにどれほどの感情が残っているのだろう。
もしかすると、リアとしての感情全てが、先読みの乙女の魂へと移されている可能性もある。
「もし、あの風がアテナリヤの意思によるものなら。それが世界を守るために必要だったということかな」
それはどういう意味だろう。
世界を破壊しようとしているのはイービルと悪魔族。彼らを止めるために、アカツキは婚約者のことを思い出す必要があるというのだろうか。
そもそも、世界の崩壊を防ぐために、記憶を封じていたはずなのに。
「……今なら、いいということ?」
ふと思い出した。
先読みの乙女が地下に生きる者に語っていたという言葉。
「——闇の中に、一筋の光を見出した。ようやく得られた救いは、全ての歪みを正してくれる……」
それは、アルの誕生を予知してもたらされた言葉だった。
全ての歪みとは、イービルがこの世界を破壊しようと起こした行動。魔族の誕生や魔力を消失させる魔道具を含むと思われる。
つまり、アルがアカツキと出会い、異次元回廊で過ごしていたあの瞬間、アテナリヤ——あるいは先読みの乙女の魂が、歪みを正すよう事態を動かそうとした、と考えられないだろうか。
それは、アカツキが無意識で風を吹かせたというより、可能性が高い気がする。
「僕は、いったい、何を望まれている……?」
アカツキにアテナリヤと婚約者に関係がある可能性を伝えることか。魔族のすべてをこの世界から解き放つことか。魔法陣を解析して、何かに使うことか。
分からないことが多すぎる。
アルにとって、アカツキたちは既に親しい友人だ。
何かしてあげられることがあるのなら、迷わず手を貸してあげたい。だが一方で、それによってアカツキたちが悲しむことになるのなら、手を出すことを躊躇う程度の情もある。
何をするにも、情報が足りないことを改めて自覚した。
「ブランで癒やされたいなぁ……」
ぽつりと呟いた瞬間、余計にその思いが強くなった。
あのふわふわな白い毛を撫でて、少しの間だけでも思考を放棄したい、と思ってしまっても、しかたないだろう。
今ならひたすら食べ物をねだられるようなわがままも、可愛いと思って癒やされる気がした。たぶん実際にされたら苛立つ気がするが。
疲れているときに食べ物をねだられた時のことを思い出して、眉が少し寄ってしまう。やはりブランには空気を読んで行動してもらいたいものだ。
『随分と長い思考だったようだが、答えには辿り着けなかったか』
「……そうですね」
ソーリェンに話しかけられて、肩をすくめる。思考が脇道に逸れていたことを察知されたのかもしれない。
これまで口を挟まず見守ってくれたのはありがたいが、何か新たな情報をもたらしてくれるわけではないようだ。時折アルがこぼしていた言葉は、ソーリェンが保持する記録を探る一手にはならなかったということだ。
落胆を押し隠し、思考を切り替える。途端に、聞き忘れていたことを思い出した。
「——ちなみに、ソーリェンさんは視覚情報を得ているんですよね?」
『こうしてアルが疲れきっている様子を見せていることを把握できるくらいには』
前置き代わりにした質問に返ってきた言葉に、思わず眉を寄せる。
自覚しているから指摘しないでほしかった。余計に疲れを実感できてしまうから。
アルはため息を吐いて文句を飲み込み、改めて質問をしてみることにする。
そもそもソーリェンは映像記録を保持する役目なのだから、資格情報を得ていて当たり前だった、という言葉が頭の片隅に浮かんだ。
「では、この魔法陣に見覚えはありませんか?」
風によって作られた、解析不能の魔法陣。それを書き写した紙を、アイテムバッグの中から取り出す。
この魔法陣には必要な要素が足りていない。魔法陣だろうと判断してはいるものの、今の状態ではただの模様のようなものだ。
もともとは、精霊の森に行ってマルクトに尋ねてみようと思っていたのだが、ここでなんらかの情報が得られたら幸運である。あまり期待はしていないが、聞いてみて損はないだろう。
『魔法陣……。なるほど、確かにそのように見えるが、これでは何の効果も示さないのではないか? そもそも発動しないだろう』
「そうなんです。だからこそ、困っているんですけど」
ソーリェンの言葉は、すでにアルも重々理解していることだ。
やはり何の情報も得られないかと諦めかけた時、ソーリェンが『ふむ?』と呟いた声が聞こえた。
『記録を探ってみると、一部形が似ている魔法陣を見つけた』
「本当ですか!?」
思わず身を乗り出して答える。大きな成果だった。
だが、興奮するアルに対し、ソーリェンは渋い表情が見えるような声を上げる。
『しかしながら、記録が随分と摩耗している。いや、私が読み取る形式をなしていないと言うべきか……。こんなことは初めてだ』
「ソーリェンさんが読み取れない……?」
記録を管理する立場であるソーリェンが読み取れないなんてことがあるのか。不思議なことである。というより、違和感を覚えてならない。
考えてみれば、ソーリェンの能力を外れる事象は、その多くが神やイービル、魔族などが関わることだ。
それならば、読み取れない記録とは、神によって知る資格を限定されていると見做すべきかもしれない。
「——僕を、その記録の中に入れることは可能ですか?」
聖域で情報を得るすべは、ソーリェンと対話することではない。今のアルの状態は普通ではないことなのだ。
記録の中に入り込み、過去を実体験のように味わうことが、聖域の本来のあり方である。
アルが直接記録の中に入り込めば、ソーリェンが読み取れない記録を詳しく知ることも可能なのではないだろうか。そんな思いに駆られて、ソーリェンに頼み込む。
『うーむ……。だが、摩耗した記録が正常に景色を映し出せるとは限らないぞ?』
「構いません。あ、ですが、もし危険があるようでしたら、引き戻してもらうことは可能ですか?」
ここで安全性を放棄したら、後でブランやクインから怒られそうだ。すぐさまその光景が脳裏に浮かび、つい甘えたお願いをしてしまった。
ソーリェンが微かに笑う気配がする。
『良かろう。私もアルの身に危険が及ぶのを見過ごすつもりはないからな』
「ありがとうございます。本当に助かります」
快く受け入れてもらえたことに安心した次の瞬間に、体をどこかに引っ張られるような感じがした。
『心構えはできているな? ——では、記録の探索へ向かうといい。アルにとって良き情報があらんことを』
返答する間さえなく、視界が変わる。
もう少し落ち着いて行かせてくれても良かったんじゃないか、とアルは心の中で文句を呟いてしまった。
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