第416話 救いか否か
余計なことを言って途切れた説明の続きを再度促す。
『イービルの行方は、精霊が絶えず探していたが、その痕跡が見つかったのは、逃してから百年ほど後のこと。悪魔族と呼ばれる者が世界に現れた衝撃が世界に広がったのだ』
「衝撃? すぐさま、イービルの指揮下で悪魔族が世界を破壊しようと動き出したということですか?」
『違う』
それなりの確信を持って問いかけた言葉に、否定が返ってきて、アルはきょとんと目を瞬かせた。
「では、どのような衝撃だったのですか?」
『無から有が生まれた衝撃だ。そのような能力は、当時神以外持ち得なかった。確実にイービルは強くなっていたのだ』
「無から有……」
それは、実際に呼ばれてきたアカツキたちの認識とズレがある。だが、以前精霊の王や地下に生きる者が語っていた【魔族とは存在なきもの】という言葉とは一致していた。
『正確に言うならば、魔素から生まれたと考えられるが』
「魔力ではなく、魔素ですか」
『原初の魔力を分解すると、魔素となる。イービルはそれを扱うすべを身につけたということだろう』
魔力から物が生まれているように見えるが、実際は一度魔素に分解されてから構成されているということなのだろう。
「それは、神が異次元回廊などに付与している能力と同じなのでしょうか?」
『そうだろうな。さらに遡ってその能力の根源を示すらならば、今は放棄された始まりの塔にある能力といえる』
「ああ……オリジネがそう言ってましたね」
異次元回廊やアカツキのダンジョンの設計の基になったのが、オリジネが管理する塔だ。
それにしても、だ。
アルはどうしても目を背けられない事実に、ため息をついてしまった。
「——魔族が大雑把に言って無から生まれたというのなら、彼らが帰りたがっている異世界とは、なんなのでしょう……」
『私が網羅しているのはこの世界に関してだけだ』
初めから答えが返ってくるとは思っていなかったが、少し落胆してしまう。
アカツキもサクラもヒロフミも。そして、異次元回廊で命を落としたとされる者たちも。みんな故郷に帰りたがっていたし、今生きている者はそのために足掻いているのだ。その意思が存在しないものだったとは思えないし、思いたくない。
帰還方法を尋ねる機会がある度に、『考えの方向性を変えた方がいい』という忠告を受けていたが、あまり直視したくない現実だった。
『——だが』
「だが?」
言葉が続けられたことに、アルは思考を止めて声に集中する。
『存在が無であったとしても、抱える思いは無ではないだろう』
「どういう意味ですか?」
分からない。そう思うのは、受け取るアルが悪いわけではないだろう。あまりに言葉が曖昧すぎる。
ソーリェンもなんと説明するのが良いか悩んでいるのか、暫く声が響くことはなかった。
『……神がこの世界の基となった設計図を持っていたように、イービルもまた、魔族の基となる何かを持っていると考えるのが自然だ。完全なる無から、あれほど人間に寄せた精緻な存在を生じさせることはできない』
「魔族の基……設計図……」
視線を膝に落として、情報を整理する。
ソーリェンが言いたいのは、魔族の基になった人間がどこかにいる可能性が高いということだろう。そして、その人間の情報を、イービルが把握していた。存在を成立させられるほどに。
「——アカツキさんたちは、確かに異世界で生きていて、もしかすると、ここにいるのはイービルが生み出した分身のようなものかもしれない?」
アルの脳裏に浮かぶのは、いつだったかブランが見せてくれた分身体だった。それはまるっきりブランと同じように見えたのだ。自律行動を可能にするほどの思考力は与えていないようだったが、行動の幅は驚くほど広いのだと説明を受けた。
イービルはそうした分身を生み出した上で、基になった人間の思考や感情まで与えたのかもしれない。それがイービルの意図した行動かどうかは定かではないが。
『その可能性はあろうな。私は思考が可能だが、それに関する記録を持たない。イービルに関する事象は、把握が難しいのだ。そもそもが精霊や神の力の範疇外にいるからだろう』
ソーリェンの言葉に頷きながらも、アルの思考は、かつて異次元回廊で命を落としたとされる者たちへと向いていた。
彼らの多くは長すぎる生に耐えきれず、神が与えた剣で、サクラたちにより命を落としたとされていたのだが——。
「……この世界で魔族が死ぬことは、単なる分身体の消去でしかない?」
『そもそも魔族に死が訪れる可能性は低いはずだが。あれらの身には魔力が渦巻いている。殺すどころか、傷一つつけるにも、その魔力を完全に消去させねばならない。この世界において、魔力の消去は禁忌に該当する』
イービルや悪魔族が忌避される最も大きな理由が、世界の構成に欠かせない魔力を消去させる技術を持っていることだ。それは、帝国とマギ国の争いの中で、確かに世界に効果をもたらし、精霊が対処にあたることになった。
「おそらくソーリェンさんはご存じないのでしょうが。かつて神は、異次元回廊にいる魔族たちに、命を断つ力を持った剣をもたらしたんですよ」
『なに? ……それは、知らなんだ』
ソーリェンの声が苦渋な響きを帯びた。
神が禁じたはずの能力を行使する権利を、神自身が誰かに与えたというのは、かつて理を遵守する精霊だったものとして、あまり歓迎できる情報ではなかったのだろう。
それに、その剣の解析をできれば、魔力を消去する能力が悪魔族以外の手にも渡りかねない。それは明確な世界の危機である。
『——神のお考えならば、私は従うまでだが』
そんな言葉で受け入れた様子を見せたが、僅かばかりの落胆が声に滲んでいた。
アルはそれに対して掛ける言葉を持たない。どうしても心情がアカツキたちに寄ってしまうので、精霊の思考に完全に添うことはできないから。
神が自らの配下に強いた理から外れてまで、魔族に死の権利を与えたのは、一種の優しさだったのではないかと思えてならなかった。
魔族が本当に存在なきものであり、異世界で生きている者の分身体であるならば、帰る場所なんてありはしない。彼らはこの世界で生まれた存在だ。思考力や感情が、異世界で生きる者と同じであろうと、同一の存在になることはない。
死という消去だけが、長すぎる命を終える唯一の方法だった。
——だが。
アルの思考が苦悩で中断される。
人間は何をもって、生きているということになるのだろう。肉体があればいいのか。だが、そこに個性が生まれるのは、思考力と感情ゆえではないだろうか。
アカツキたちは確かに生きている。そして、元の世界に帰りたいと望んでいる。それは絶対の真実だ。
それが、消去によって無になるというのは、完全なる救いと言えるのだろうか。それをアカツキたちが望むだろうか。
アルが知り得たこの情報は、未だ事実であると確信を持って言えるものではない。そんな情報でアカツキたちを傷つけてしまう可能性があることを、アルは受け入れ難かった。
「帰還方法、か……」
一瞬だけでも、異世界に帰ることはできないのだろうか。故郷を見て、その瞬間に絶えるとしても、この世界で消えるよりもよほど幸せなはずだ。きっと、彼らの中には、帰ることができたという思いだけが残るはず。
ふと、アルは先程までいた森の光景を思い出す。
あれはかつての世界の現実。作り物ではない。
「——記録で、異世界を、再現する……?」
この考えを実行するにしても、まず生み出すべき記録がなければどうすることもできないと分かっている。
だが、それが一筋の希望であるように思えてならなかった。
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