第415話 世界の記録
とりあえず、真白にピンクの花が散るだけの光景は落ち着かないなぁ、と思っていたら、木で作られた簡素な椅子が現れた。
「……ありがとうございます?」
『礼には及ばない』
ソーリェンが用意してくれたのだろうと礼を言ってみれば、肯定された。この空間で人型をとってアルの前に現れるつもりはないようだが、過ごしやすくしてくれる優しさはあるらしい。
「もしかして、僕の思考、読めてますか?」
それならば、オリジネに続き二人目だ。このような相手はやりにくいのだが、どうしようもない。
『読めると言うほどではない。ただ、私の特性上、望みは感じ取りやすい』
「特性とは?」
『望む記憶を見せる役目を負っていること』
「……なるほど。確かに僕は落ち着いた空間を求めました」
それが椅子一つというのは、少ししょっぱい顔をしたくなるが。もう少し何かなかったのだろうか。
『これ以上、この空間に改変をもたらすことを、私は望んでいない』
「それがあなたの望みでしたら、構いません」
ソーリェンに無理をさせるつもりはないし、そのようにねだれるほどの関係性を築いていないことも理解している。
頷きながら椅子に腰掛けた。この正面を見るのが、ソーリェンに相対していることになるのだろうか。いまいち身の置き方が分からない。
『楽にするといい。ここは外から干渉を受けることなく、アルの身を傷つけるものもない』
「そうでしょうね。——それでは、せっかくあなたとお話できたので、質問をいくつかしてもいいですか?」
『それが答えられるものであれば。必要ならば、記録の中にアルを送り届けてやってもいいぞ』
「ありがとうございます」
暫く何を質問するか考える。
聖域で情報を集めようとは思っていたが、正直こんな形になるとは考えもしなかった。
とりあえず、聖域に関する基礎的なことから順に尋ねていこうと決める。
「ソーリェンさんが聖域を創るに至った理由はなんですか?」
『神の要請に応えてのこと。この世界に聖域が創られることは、世界の始まりから決まっていた。神は順に事をなし、私はそれに協力したに過ぎない』
「その神はアテナリヤですか?」
『そうであるとも、ないとも言える。この世界を創りし神だ』
曖昧な答えだ。だが、その意味はなんとなく分かる。
異次元回廊の白い神殿で得られたアテナリヤの情報の中に、名前が違う可能性が含まれていた。ソーリェンは名ではなく、存在として神を認識しているのだろう。
「聖域が創られることが世界の始まりから決まっていたというのは、どういうことですか?」
『神が基にした世界設計に、聖域が含まれていた』
膝にのせていた手がピクリと震えた。
続ける質問を吟味し、慎重に言葉にする。できれば曖昧な答えは避けたい。
「……それは、神がゲームと呼ばれる世界を模して、この世界を創ったと考えても?」
ヒロフミたちと話した時に出てきた、アルからすれば少々荒唐無稽とも思える話。
思わず固唾を呑んで返答を待つ。
『私はそれを知らないが、神が初めからあるべき世界の形を持っていたのは確かだ』
「……なるほど。神の考えに関して、どこかで情報を得られませんか?」
『異なる次元に存在する白き神域。聖域と対をなし、かつ神の全てを綴る場所だ。容易に読み取れるものではないようだが……励むといい』
やはり神個人のことを知るには、異次元回廊内の白い神殿を探るのが適当らしい。
ヒロフミたちは現在どれほどの情報を解析し終えているだろうか。一向にその成果についての報告が来ないが、それが時差のせいなのか否かの判断がつかない。
「激励、どうも。今、僕の友人たちが解析中なんです」
『そうか。私が網羅する範疇は、この次元においてのみだ。異なる次元のことはほとんど知らない。情報に感謝する』
ソーリェンは世界の記録を取る役目も負っているのだろう。アルが何気なく渡した情報に、僅かに喜色が滲んだ声が返ってきた。
思わずきょとんと目を瞬かせてしまったが、喜ばれて嫌な思いにはならない。それに、一方的に情報をもたらされるよりも、心情的には楽になる。
「喜んでもらえたのでしたら良かったです。僕、あちらのことは多少知っていますから、質問があれば受けますよ?」
『ありがとう。では、遠慮なく。だが、今はアルの聞きたいことを優先しよう。時間は有限だ』
ソーリェンの柔らかく緩んだ声を聞き、アルも口元に笑みを浮かべた。何者も見えない空間に語りかけるという状況にも、ようやく慣れてきた気がする。
「ご配慮ありがとうございます。お心に甘えて質問を続けます」
さて、次は何を聞くべきか。
世界の記録を過去から順に確認していくならば——。
「——あなたはイービルという者をご存じですか?」
『世界を無に帰すことを望むもの。破壊の衝動を凝縮せしもの。悪意なるもの』
「随分と怖いことを言いますね」
なんとなく分かっていたことだが、ここまで言われるとアルの中での警戒心が強まる。
「——イービルと先読みの乙女と呼ばれる者に、なんらかの関係はあるんでしょうか?」
『イービルが誕生した暫く後に、先読みの乙女は魂を彷徨わせることになった。それに至る理由は知らないな。私は事象を記録するのみ』
答えを受けて暫く考え込む。
アルは、創世神アテナリヤから、悪という心のイービルが分離され、続いて善という心の先読みの乙女の魂が離されたと考えていた。順番的には正しい。
「二人とアテナリヤの関係は?」
『事象として関連を見出すならば、アテナリヤが神として無機質さを増した頃に、二人の存在が現れたという回答は可能だ』
「なるほど、十分です」
アルの考えを補強するに足る情報に、少し満足する。神から捨て去られた感情を持つのが、イービルと先読みの乙女の魂と思って良さそうだ。
そうなると、さらにイービルのことを知りたくなる。さらに言うならば、イービルがこの世界に連れてきた魔族という存在のことを。
「——イービルはこれまでどのようなことをしてきたのでしょうか?」
『関連する事象をあわせ、時系列での記録が必要だろうか?』
「その方が分かりやすいのでしたら」
暫く記録を整理するような間の後、ソーリェンが再び語り始める。
『イービルが誕生したとき、神はそれを討ち果たせという命を精霊に下した』
「……精霊に?」
それは聞いた覚えのない話だ。確かに、創世記ではそのようなことが語られていたが。対峙する相手はイービルではなく、悪魔族だった。
『さよう。精霊は奮闘したが、イービルはあまりに強く、そして精霊の魔法に対する耐性を持っていた。まるで、神のように』
「待ってください。神には精霊の魔法が効かないんですか」
『被創造物たる精霊が、創造主に歯向かうことはできないし、そもそも考えることもしない』
なんだか深く納得できる話だった。
これまで、イービルが活動していることに対し、精霊がほとんど手を打っていないように思えるのが不思議だったのだ。世界の護り手としての役割を持つ精霊は、真っ先にイービルと直接対峙しているのが当然のはずだから。
だが、それが、そもそも精霊が太刀打ちできないからと分かれば、しかたないと思える。精霊はイービルに対峙することだけが役割ではない。むしろもっと重要なのは、世界の魔力を管理し、滞りなく巡らせることだ。
もし、イービルとの戦いにより精霊の数が減りでもしたら、その役割をこなせない可能性が出てくる。ただでさえ、精霊は数を増やすのが難しいという事情があるようだから。
「イービルが神と似たような存在なら、精霊の勝ち目が薄いのは当然ということか。直接対峙を避けても不思議じゃない……」
ポツリと呟き、情報を整理し終えてから、ソーリェンに話の続きを頼む。
『イービルは精霊の手から逃げおおせた。だが、多少なりとも痛手を負ったのか、暫く息を潜め、世界の表舞台から姿を消した』
「ああ、それが、創世記で言う悪魔族の討伐にあたるんですかね?」
『創世記は後に人間が編纂したもの。あまりあてにしない方がいい』
「そうですね。心得ておきます」
事象の尽くを記録するソーリェンからすれば、短すぎる命で生きる人間の記録なんて、なんの意味も持たないに違いない。
忠告に僅かばかりのプライドを感じ取り、アルはおとなしく受け入れた。
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