聖なる領域
第410話 白い森
ふわり、と風に乗って甘い香りが漂う。
視線を周囲に走らせても、花やフルーツなどは見当たらない。そればかりか——。
「白い……」
『白いな……』
ブランとなんとも言えない眼差しを交わした。
ふむ、と頷いて泰然としているクインが、少しばかり異質である。
「ここ、一応森なんですよね……?」
尋ねながら再度周囲を確認する。
初見で抱いた感想そのままに、この地は真白い場所だった。かといって、雪に覆われているわけではない。
地面も、草も、木々も、目に見える全てが白い物質で構成されているのだ。生気を感じないがゆえに、少々不気味である。
『空は青いなぁ』
現実逃避したように呟くブランに、アルも頷く。
白く霞がかっているが、空は青い。それくらいしか色合いがないから、やけに鮮やかに見えた。
「見たままに、森だろう」
「見たままに言うなら、森ではないですね」
真顔で頷くクインに、アルも首を横に振りながら真面目に呟いた。クインとの感覚の相違を強く感じる。
転送陣によってアルたちが飛ばされてきたのは、聖域と思しき森のどこか、だ。
あの塔にあった転送陣は、聖域の中でも特別な場所と繋がっているという話だったが、今のところそのような特殊性は見受けられない。クインの様子を見るに、この白さは聖域として普通のことのようだから。
「——この木……生きてませんよね?」
『木どころか、この草も花も生きておらんぞ。作り物だ』
ひょい、と肩から跳び下りたブランが、地面を蹴って草花を散らす。硬質に見えて、普通の草花と同様の強度であるようだ。
「毒とかない?」
『……ない、と思うが。少なくとも、接触毒はないのではないか?』
ブランは自分の手足をまじまじと見つめた後、ふさりと尻尾を振った。最悪の事態はないようで、なによりである。
頷いていたら、クインから少し不満そうな視線を向けられていることに気づいた。
「……そのような危険があるのならば、吾があらかじめ警告している」
「それはそうでしょうけど。クインもここに来るのは初めてですよね?」
肩をすくめながら尋ねる。
クインがあまり警戒していないので、喫緊と危険性はないと判断してよさそうだ。
「ここは初めてだが、同じ聖域ではあろう?」
「いや、僕に聞かれても分かりませんよ」
きょとんと見つめられて、苦笑してしまった。
聖域とは、クインの知り合いである精霊が核になって作られた場所だと、以前聞いた。そのせいか、クインは聖域への警戒度が格段に下がっているらしい。
『敵意を感じないのは我にも分かっている。とにかく、この近くを探索した方が良いのではないか』
珍しく建設的な提案をしたブランが、ブルッと身震いした。次の瞬間には中型サイズに変化して、アルを振り返っている。率先して斥候を務めてくれるつもりのようだ。
「特別な場所と言われていたから、すぐに何かあるものだとばかり思っていたんだけど」
『白いだけの森っぽい何かだな』
呟きながら歩き始めるアルの数歩先をブランが進む。
特に目指すべきものは見えず、ほぼ彷徨っている形だ。聖域を訪れたことがあるクインも、この辺りの土地勘はないようで、無言でついてくる。
「……木が、木じゃない」
『それは見た目通りだろう』
「そうなんだけど……もうちょっと木の質感があるものだと思うでしょ」
歩きながら撫でた木の幹は、樹皮というより鉱石のような滑らかさだった。生気がないのも合わせて、石像の一種と見做した方が妥当かもしれない。
『ここにある果物は食えるのか?』
呟いたブランの視線の先には、木の先端からぶら下がる大きな丸い物体。木と同色だから、その正体が判然としないが、おそらく木の実の類だ。
「食べるつもりなの?」
『さすがに食欲が湧かん』
ブランにそんな概念が存在したのか、と状況を忘れて驚嘆した。すぐさま半眼で睨まれたから、表情からは消しておいたが。
「……中身も白いのかなぁ」
『アルの方が気になっているのではないか』
「うん。採ってみていい?」
探究心を素直に示せば、ブランは呆れたようなため息をつきながらも地面を蹴った。
木の実が下がる枝ごと、爪の一閃で切り裂かれる。
アルは慌てて、落下してくる枝を避けるために跳び退った。
「っ、と……危ないでしょ」
『この程度、避けられるだろう』
「ブラン。余計な危険を招く必要はなかろう」
クインにも咎められ、ブランは不機嫌そうに尻尾を揺らす。だが、アルが頭を撫でて宥める前に、枝を掻き分け木の実を見つけると再び爪を一閃させた。
「あ……白い」
『白いな。匂いもない。硬さは……ナッツくらいか?』
「フルーツじゃなくて、ナッツに分類されるのか……大きいな」
アルの頭くらいありそうな大きさだ。少なくともクルミやアーモンドのように食べられるものではないだろう。
『触らん方が良いかもしれぬぞ』
無意識で伸ばしていた手を制される。ブランを見ると、爪を眺めて首を傾げていた。
「……やっぱり、毒?」
『いや、そんな感じではないな。だが、切る際に粒子が付着している。粉塵が人体にどう影響するかは分からん』
「なるほど、そっちか」
大量でなければ問題なさそうだが、と思いながら身を引いた。ブランが注意するのだ。それに従って損はない。
「——残念。いい研究材料になりそうなのに」
『ならば鑑定眼を使えば良いのではないか』
「あ、そうだ……」
度々その能力を忘れるアルに、ブランはもはや呆れることさえしなかった。くわり、とあくびをしながら、アルの作業を待っている。
ブランも現在の状況にさほど危険性を感じていないらしく、つまらないようだ。
「鑑定…………うん?」
『どうした?』
「何かおかしなことでも?」
表情を改めたブランとクインに、アルは曖昧に首を傾げた。
「おかしい、というか……【鑑定対象がありません】って示されるんだけど」
『は?』
「それは……どういうことだろうか」
三人三様の表情で疑問を示しながら、木の実らしきものを見下ろし、次いで周囲に視線を向ける。
アルは森自体も鑑定してみたが、やはり【鑑定対象がありません】という表示だった。こんなことは初めてである。
「……まさか、これすべて、幻覚とか隠蔽の一種だとか?」
『最近、そういうのが多くないか? 我は感知できないものは嫌いだ。もっと分かりやすくしろ』
「ブランの好悪によって世界はできてないから」
なんとも傲慢なブランらしい意見に苦笑しながらも、アルは「——どうする?」と尋ねる。
だが、ブランやクインがその答えを持っているわけではない。
「吾にとっては、聖域とはこういうものであって、幻覚などではないのだがな」
「うーん……クインが前に言っていた、記録の閲覧方法と関係がある可能性は?」
『なんの話だ』
すっかり忘れているらしいブランを見下ろしながら、アルは記憶を探る。
確か、映像で過去の記録を見られるのではなかっただろうか。ただし、それは調べる手がかりを持っているものだけ。
思い出しつつ説明したアルに、ブランはクインを見ながら曖昧に頷いた。
『そういうものなのか』
「うむ。特殊な記録媒体だろう? だが、吾がそれを見たのは、聖域にある建造物においてで……。分かりやすく言うのなら、先程までいた塔で星空の空間を体験したように、記録の中に自分が呑まれるようなものだ」
記録の中に呑まれるなんて、理解が難しい。それに、白い森の中にある建造物というのは気になる。だが、あいにくアルたちが見る限りの場所に、建造物は存在していなかった。
どういうことなんだろう、と考え込む。
行き先が聖域の中では特別とされていたのだから、何か大きな謎が隠されていそうなのだが、今はさっぱり理解できなかった。
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