第408話 朝の日差し
くかぁ……くかぁ……。
なんとも豪快な寝息で目が覚めた。暗闇に目を凝らすまでもなく、視線を横に流すだけでブランの寝顔が確認できる。
「人の耳元でいびきをかくんじゃないよ……」
思わず呆れながら、ブランの湿り気を帯びた口元を拭ってやった。
なんの夢を見ているのか、幸福そのものの表情でよだれを垂らしていたのだ。アルの寝床にシミをつけられるのは許しがたい。だが、起こさない程度には、ブランの表情に毒気を抜かれていた。
『あら、起きたのね』
「はい。オリジネさんは早起き……というより寝ていなかったのですね」
聞こえてきた声に小声で返す。
塔の最上階に張ったテントの中で、小さな姿が星のように瞬いていた。
一応プライベート空間を確保するためにテントを用意したというのに、オリジネは気にしていないらしい。妖精にそのような配慮を求めるほうが無理という話か。
『私に人間のような睡眠は必要ないもの』
「なるほど。どちらに行っていたんですか?」
夕食後、寝支度を整えたアルたちを見ると、オリジネはどこかへ消えていった。
敵対行動でなければ、アルがオリジネの行動を制限する言われはないので放っておいたのだが、何をしていたかは少し気になる。
『転送陣の確認よ。あなたたち、聖域に行くのでしょう? 使われるのはほぼ初めてだもの。失敗がないようにしておかないと、管理人としての名が廃るわ』
転送陣がちゃんと作動しない可能性があったのか。もしかしたら、全く別のところに転送される可能性もあったのかもしれない。
冷静に考えると、とても恐ろしい話だ。転移魔法を使えるアルだから、苦笑して聞き流せるが。
「……あなたがそのように考えてくださる方で助かりました。ありがとうございます」
アルには転送陣の仕組みがよく分からない。だが、転移の魔法陣とは違うことや、未知の理論で構成されていることは確認している。
それを熟知しているオリジネが、アルの行動に先んじて安全な転送を保証してくれるのは、得がたい幸運だと深く考えずとも分かりきっていた。
『いいのよ。私があなたにしてあげたかっただけなのだもの。調整も必要なかったし、本当に確認しただけよ』
オリジネの態度はころころ変わる。
最初に出会ったときの、はっちゃけた軽い雰囲気。その後の謎めいた言動。アカツキのような気易い振る舞い。今の慈愛ある表情。
どれがオリジネの本当の姿なのか、という疑問が頭を掠めて、アルは軽く首を振った。
全てがオリジネであって、ある意味ではアルの望む姿なのだろうと思ったのだ。
「オリジネさん、あまり人の中を読まないようにした方がいいですよ」
せめてもの忠告をする。
アルは今日中にここを発つつもりで、再びオリジネに会えるかどうかは分からない。今後オリジネがこの塔で誰かと交流できるかは、結構確率が低いと思う。
それでも、オリジネが気づいていないだろう欠点を指摘するのは、ここで穏やかに過ごさせてもらった感謝の意を示すためだ。後々に、オリジネがひどい目にあわないように。
『……あぁ、そうね。私、あなたに好かれたいあまりに、あなたの望むような存在になろうとしていたのね』
ぱちりと瞬いたオリジネは、アルが言葉にしなかった忠告を余さず受け取った。
オリジネのその能力は、とても大きな効果があるが、諸刃の剣とも言うべき欠点を伴っている。自覚してくれたようでなによりだ。
「どうも、あなたは不完全な存在のようなので。影響されやすいのはよくないと思いますよ」
『そうね。私は途中で設定を終えられてしまった存在だから。不完全であることに支障はないと思っていたけれど、人と対するには準備が不十分だったわ』
この塔を軽く見て回っただけで分かった。
確かにここは世界の基盤を支える重要な場所なのだろう。原初の魔力を生み出しているのだから。
だが、この塔の存在意義はそれ以上でも、それ以下でもない。創られた時から一切の発展がなされることがなく、ほとんど廃棄されているような状態だ。
無駄な空間が多すぎるのがその証左。
星空に包まれるような幻想は目と心を癒やしたが、やはり必要な機能とはいえない。ほんの少しの遊びだけが、この場所に取り残されている。
「……ここのこと、アカツキさんやヒロフミさんに聞くといいと言っていましたね」
『ええ、そうよ。もう聞いた? 連絡手段を持っているのでしょう?』
確かに寝る前に連絡をしてみた。だが、まだ返事はない。異次元回廊と外とのタイムラグは焦れったいものだ。
「答えはまだ。あなたは話す気はないんですよね?」
『ないわ。お楽しみはとっておいた方がワクワクするものでしょう?』
にこにこと悪意無く微笑まれて、アルは苦笑する。
オリジネはアルの知りたがりな性格が分かっていて、こうして焦らそうとするのだ。正直性格が悪いと思う。
『……楽しそうだな』
いつの間にか寝息が聞こえないと思っていたら、ブランも起きていたらしい。
それはそうか。オリジネがこんなに近くにいて、会話している状況で寝こけていられるほど、ブランの警戒心は低くない。
「起こしちゃった、ごめんね」
『構わん。母も起きているだろう』
グイッと体を伸ばしながら、ブランが大きくあくびをする。
指摘されて反対側に視線を向けると、薄暗い中でキラリと目が光っていた。ニヤリと笑う口元が少しばかり怖いと思うのは、女性の見た目なのに獰猛な魔物にしか見えない目つきだからか。
「おはようございます」
「おはよう。良い朝だな」
「テントの外は、たぶんまだ星空ですけど」
オリジネが星空の空間を解除していないので、ここはまだ夜のよう。
だが、ほとんど眠気を残していないブランやクインを見るに、朝になっているのは間違いなさそうだ。ブランのお腹が盛大に鳴っている。なんとも正確な腹時計だこと。
『飯の時間だな』
「起きたと思ったらすぐそれかぁ」
『朝飯は、一日の食事の中で、最も重要なのだとアカツキが言っていたぞ』
「それはそうだけどね」
元気いっぱいなブランに微笑みながら、アルも動き始めた。
塔の観察はもう必要なさそうだし、朝ご飯の後は聖域に向けて出発だ。
『寂しくなるわ』
「また気が向いたら来ますよ」
『あなたは嘘は言わないから好きよ』
ふふ、と笑ったオリジネが、テントの外へと飛び出す。途端に外が明るくなったので、星空の空間を解除したようだ。
その空間を保てば、アルたちをここに留めておくこともできただろうに、オリジネは結局のところ優しく誠実なのだろう。
「んー……良い天気だ」
テントの外に出ると、いつの間にやら最上階を囲むように窓が広がっていた。そこから明るい朝の日差しが降り注いでいる。オリジネなりのプレゼントだろうか。
『聖域の天気がどうなっているかは分からないわよ』
『晴れだ』
揶揄うように告げたオリジネに、端的に答えたのはブランだ。
アルが思わず「どうして分かるの」と呟くと、呆れたようにため息をつかれる。
『聖域は我が管理する森の中、あるいは隣接しているといえる立地なのだろう? ならば、分からんはずがない』
「……あぁ、そっか。ブランは遠隔で……えっと、分身? 越しに、森の管理をしているんだったね」
ブランがいつだって傍にいるから、ついそのことを忘れてしまう。
何度目かの確認に、ブランは尻尾を揺らして答えた。言葉にするのも面倒くさかったようだ。この怠惰狐め。
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