第407話 ソラの世界
最上階は中央に円筒形の物体が鎮座していた。それが床と天井を繋いでいるので、一見すると太い柱のようだ。だが、地図を見る限り、そのような用途ではないはずである。
「これは……」
『原初の魔力を外に排出する機械よ。この塔の上部に鐘があったでしょ? あれが鳴ると、原初の魔力が放出されるの』
思いがけず、塔の鐘の秘密が明かされた。
眼前のこれは、霧の森で結界を展開するために使われていたものと同じような機能を持つのだろう。
「鐘が必要な理由は?」
ここの余った空間は、何に使っても大丈夫ということで、早速調理道具を広げながら問いかける。
『鐘の内側に空気中の魔力の観測機能があるの。一定の水準まで下がったら鐘が鳴って、原初の魔力を放出するように設定されているわ。基本的には自動だけど、万が一働かなかった場合、音を聞いて私が操作することになっているわ』
管理者のために必要なもの、ということだ。
アルはそう理解して、納得した。世界に大きく影響するものなのだから、何重にも安全策をとっておいてもらった方が安心である。
「オリジネさん、結構働いているんですね」
『失礼ね! ……今まで不具合が起きたことがないから、あまり働いている気はしないけど』
オリジネはなんだか寂しそうだった。
アルたちに出会ってからずっとテンションが高かったのは、寂しさゆえだったのかもしれないと、不意に気づく。
退屈な日常が、壁の崩壊という衝撃的な事象で一気に壊れたことへの興奮もあったようにも思えるが。
「いいんじゃないですか。仕事がなくたって、時間を潰すのはいくらでもできるでしょうし。アイスクリームを創り出していたってことは、嗜好品の類も自由に創り出せるでしょう?」
すぐに肯定の返事が来ると予想して放った問いかけに、沈黙が返ってきたことに少し驚く。アルは思わず作業の手を止めて、オリジネをまじまじと見つめた。
「――え、何もしてなかったんですか?」
『し、してたわよっ。ほら、昼寝とか、夜寝とか、朝寝とか』
『寝てばかりだな』
ブランの正直すぎる感想を、アルは叱ることができなかった。
オリジネの言い分を信じるなら、一日の大半を寝て過ごしていることになる。もしかしたら一年の大半かもしれない。ブラン以上の怠惰な生活だ。
「……退屈は人を殺すなんていいますが、妖精には適応されないんですかね?」
『寝てたらいつの間にか時間なんて過ぎ去るのよ』
『それは真理だな』
またオリジネとブランが意気投合している。
そういえば、ブランもアルに会うまでは、微睡みを好んで生きていたのだと聞いたことがある。
生ともいえないほどの長い時間を過ごすブランたちにとっては、微睡みこそが救いであったのかもしれない。退屈に殺されないために。
それはなんだか寂しいなぁ、とアルは密かにため息を零した。
「美味しいものは、生を実感するのに効果的ということかな。ブランが食にハマったのは当然のことなのかも」
「こやつの食い意地は生まれ持ってのものだがな」
クインの言葉で、アルの感傷はあっさりと消え去る。そうだった、と思い出したのだ。そもそも、ブランが永遠の命を得ることになった原因は、ドラゴンを丸ごと食らってしまったことだったのだから。
「……ブラン、ハマれることがあって良かったね」
『なんだか疲れてないか?』
不思議そうに首を傾げるブランに、アルはため息を返した。
晩ご飯の準備はさくさく進んだ。
今日のメインメニューはトンカツ。ちょうど良さそうな肉がアイテムバッグにたっぷりと入っていたのだ。
オリジネがどれほど食べるか分からなかったので、大量に揚げてある。ブランがいるから残ることは絶対ない。
副菜はイモと薄切り肉の煮物。甘めのショウユタレがポイントだ。ニンジンやオニオンにもしっかり味がしみている。
トンカツに大量の千切りキャベツを添えているから、サラダは用意しなかった。
コメかパンは自由に選択可。アルはコメを選び、ブランは『いらない』と拒否した。クインとオリジネはパンである。トンカツを挟んでサンドウィッチにしたいらしい。
「では、いただきます」
食べ始めようとした時、オリジネが待ったをかけた。
大口を開けた状態で固まったブランが、嫌そうに『なんだ?』と声を出す。別に我慢しないで食べればいいのに、とアルは思わなくもなかったが、指摘しないでおいた。
『私がここを選んだ理由をまだ教えてないわ!』
「理由? 普通に広くて清潔だったからではないんですか?」
思いがけない言葉に、アルは首を傾げる。
オリジネが何を言いたいか分からなかった。既にこの部屋には、説明されたものしか存在していないはずなのだから。
『ふふん、お楽しみは秘密にしておかなくちゃもったいないでしょ。ようやくお披露目の時間よ』
楽しそうにそう言うと、オリジネは宙を舞うように飛び始める。同時に鈴を鳴らすような澄んだ音色が聞こえた。その音に合わせるように、歌が流れる。何を言っているかは分からない。
「これ、オリジネさんが言ってた、意味の分からない言葉と雰囲気が似ている……」
風のなる音のような不思議な響き。なんとなく聞き惚れてしまう。
そう感じているのはアルだけではなかったようで、ブランとクインもじっと耳を澄ましていた。
暫く妙なる音色が響いていたが、急に変化が訪れる。
ふっと涼やかな風が吹き抜けたかと思うと、部屋を囲んでいた壁が消えていくのだ。
「……いや、存在自体はあるけど、透けている?」
「隠蔽術の応用かもしれぬな」
『器用なものだ』
見守るアルたちの周囲に広がるのは、きらりきらりと煌めく星だった。気づけば足元にも床がなく、漆黒の中に星が瞬いているように見える。
まるで夜空に飲み込まれてしまったような不思議な気分だ。
「すごい……」
『でしょ?』
不意に美しい音色が途切れ、代わりに誇らしげな声が返ってきた。オリジネがにこにこと笑っている。
「歌がこの仕掛けのスイッチですか?」
『そう。久しぶりだったけど、ちゃんとできたわねー』
満足そうに笑うオリジネに、アルも笑みを返す。
文句なしに素晴らしい。ブランに乗って夜空を駆けることはあっても、これほどまでに星空に包まれた感覚になったのは初めてだ。
『だが、食欲が湧く光景かと言ったら、否だがな』
「ブラン……それは言わないで」
幻想的な空間で食べるのが、トンカツと煮物。ちょっと渋い顔になってしまうのは仕方ない。
これが分かっていたら、もっとお洒落なメニューにしたのに、と少しばかり恨めしく思ってしまう。
『いつだって私たちは宇宙に抱かれているんだから、ここで何を食べようが一緒よ』
「ウチュウ、ですか?」
アルたちの様子に頓着せず、いち早くトンカツにかぶりついたオリジネが『おーいしー!』と叫んだ。感情表現が激しくて、やはりアカツキを思い出す。
『そう、宇宙。アルたちが暮らす世界は宇宙の中にあるのよ。この星たちの一つ一つが世界』
「……よく分からない概念ですね」
傍にあるように見える星に視線を落とす。
これが世界。アルが暮らしているものと同じなのだろうか。そうならば、アカツキたちが暮らしていた世界も、このどこかに存在しているのだろうか。
視線を巡らせたところで、それを探すすべは今のところないのだが。
『お、旨い! 程よく溶けた脂の旨味が最高の調味料だな!』
「パンと一緒に食べると美味しいぞ」
『パンはいらん』
『トンカツは神! ……この表現、あなたたちにも通じる?』
物思いに耽るアルを置き去りに、ブランたちは絶景さえも忘れ去った様子で晩ご飯に夢中のようだった。
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