第403話 妖精問答

「それで、どう直せばいいんでしょう?」


 アルは途方に暮れた気分で穴を見つめる。

 ここが重要な機能を持つ場所だと分かったが、その原理は一切理解できていない。何をどうすれば修復できるのかまったく見当もつかなかった。


『壁を直すのよ』

「……それだけ?」


 妖精の言葉はあまりに端的すぎて、一瞬理解し損ねた。

 目を丸くしながら妖精を見つめると、『何かおかしなこと言ったかしら?』と不思議そうに返される。


『かなりおかしいと思うが』

「そもそも、それほど重要な意味を持つ場所が、これほど簡単に壊れてしまってよいものなのだろうか?」


 ブランとクインが首を傾げつつ顔を見合わせている。それは三人共通の疑問だった。


 世界の基幹をなす場所にしては、この壁はあまりに脆い防壁だったと言わざるを得ない。不完全な土魔法で一撃だったのだから。

 アルの魔力が強いのは事実だが、それだけで穴が開いてしまうのは、そもそもが駄目な造りだったのだと思う。


『……言われて見れば、そうかも? うぅん……ここで魔法を放つなんていなかったから、知らなかったわ』

「でも、この塔には精霊が関わっているんですよね? 気づかないなんてあります?」


 どうにも消化できないもやもや感。アルは眉を顰めながら問いかける。


『私たちは維持管理を担っているだけよ。創ったのは女神』

「……なるほど。それはいつ頃?」


 とりあえず崩壊した壁の部分を観察しながら質問を重ねる。

 壁は花崗岩でできていて、魔法的防壁は一切ないように見えた。崩壊した壁の欠片を拾っても、普通の石だとしか思えない。


『いつ頃? そんなの世界の誕生と同時に決まっているでしょう』

「……え」


 思わず妖精を凝視する。妖精は『何をそんなに驚いているの?』と言っているが、アルの反応は正常なはずだ。


「世界の誕生……。それって、相当昔ですよね」

『当たり前じゃない。精霊やドラゴンさえ生まれてないわ』

「その時から、ここは存在していたんですか」

『存在していたというか……ここから世界が誕生した、という言い方のほうが近いかしらね』


 世界誕生の地。

 思いがけない言葉に、アルは完全に動きを止めた。思考だけがグルグルと巡る。


 世界の基幹を為す原初の魔力がここから生じているのだから、改めて考えると不思議ではないのかもしれない。

 だが、アルは生まれてこの方、そんな場所があるなんて考えたことはなかったのだ。


「……ここから、創世神は世界を創ったのですか?」

『うぅん……そうとも、否とも言えるわね』


 説明の言葉を悩んだ様子で、妖精が腕を組み考え込む。


『――この塔があることで、大地が生まれ、水が溢れたの。その後に、植物や生き物が創られた』


 なんとも想像しにくい。

 アルは必死に頭を働かせながら、明確なイメージを掴もうと試行錯誤した。


「大地や海ができる前、ここは何だったんですか?」

『前? 世界が存在していないのだから、前なんてありはしないわ』

「では、創世神はどこで生まれたんです?」

『女神は世界と共にあるのよ』


 答えが答えになっていない。思わず眉を顰める。

 だが、妖精の表情を見るに、これ以上の説明を聞いても理解できる気がしなかった。


「……無の場所に、突然この塔が生まれたのか?」


 クインが口を挟む。ブランはもう理解を諦めた様子で、粉々になった瓦礫をどける作業に取り掛かっていた。珍しく働き者だ。現実逃避しているのかもしれない。


『女神と共に来たのでしょう』

「……どこから?」


 妖精の言葉が一貫していない。クインが呆れたようにため息をつく。妖精は『なんか馬鹿にしてない!?』と少し怒っていた。


『――ほんと失礼な人たちねっ。女神がどこから来たのかなんて決まっているでしょう! ******よ!』


 アルは妖精を凝視する。妖精が何を言ったのか、一部聞き取れなかった。まるで風の音のような、不明瞭な響き。

 クインとブランも首を傾げる。


「ふぃりーぃんふぅ……?」

『何言っているの?』


 すごく馬鹿にした目を向けられた。アルは妖精が放った音の響きを真似ただけなのに。


「僕たちには、女神が来た場所の名が聞き取れなかったんですよ」

『……あら、そうなの。あなたたち、耳がおかしいのね』

「どちらかというと、あなたが異常なんだと思います」


 アルは真顔で告げる。

 改めて考えると色んなことが変だ。そもそも、この妖精はこれほどまでのことをどうしてアルに説明しているのか。

 精霊の王でさえ、説明するのに制限があった。それなのに、妖精にそんな様子はない。

 制限されるほどの情報ではないのか、それともこの妖精が特別な存在なのか――。


『失礼な言い方ね』

「心の声が出てしまいました」

『そして悪びれない。……でも、そういうの嫌いじゃないわ』


 妖精がふふっと笑う。出会ってから初めての笑みだ。その理由はよく分からないが。


『――あ、そうだ、自己紹介を忘れていたわ。私の名前はオリジネ。原初を司る妖精よ。そんじょそこらの妖精と一緒にしないでね』

「……は?」


 アルは目を大きく見開く。クインとブランすらも、驚きのあまり固まっていた。

 オリジネはアルたちを驚かせられたことが相当嬉しかったようで、きゃらきゃらと笑いながら飛び回る。


『ふふっ。全ての妖精は私から生まれて、精霊に宿るのよ。彼らは私を知らないけれど』

「……知らない? それは何故ですか」

『だって、会ったことがないもの。ここは精霊とドラゴンに守られる地。でも、彼らはそれを知らない』

「知らないのに、守っている?」

『彼らが存在しているだけで、ここは守られるのよ』


 よく分からない。

 詠うように囁きながら飛び回るオリジネを眺める。


『……どうでもいいが、壁を直すのではなかったのか?』


 理解を諦めたブランの言葉で、アルたちはハッと現実に立ち返った。


「そうだった。とりあえず先に壁の修復をしましょう」

『そ、そうね。私としたことが、話に夢中になってしまったわ。はっ、もしかして、それがあなたの狙いっ!?』


 オリジネにキッと睨まれて、アルは半目で見つめ返す。


「それをする理由がないでしょう」

『仕事をしたくないのかと思って』

「自分の所業の尻拭いを放棄するつもりはありません」


 壁を壊したのはアルだ。直すのに否やがあるはずがない。

 オリジネは『そうよね』と納得したように頷くと、不意にえいっと声を出した。穴の近くにドンドンと石が現れる。


『それならこれで穴を埋めなさい。隙間なく、ね』

「……これはまた、思った以上に大変そう」


 手のひら大の石たちを穴に積んだとしても、どうしても隙間が生まれる。それをどうするかはアルの工夫のしどころだった。

 悩むアルをオリジネがじっと見つめる。何かを推し量っているように感じられた。


「――ブラン、クイン。大体でいいから、石で埋めよう」

『隙間はどうするのだ?』


 アルはオリジネに視線を移す。オリジネは『なぁに?』と首を傾げながら、一見無邪気そうな笑みを浮かべていた。


「壁を埋めるのは、花崗岩であればいいんですね?」

『そうね。大体九割の純度がほしいわ』


 オリジネは既にアルの考えを読み取っているようだ。


「それなら、隙間は花崗岩を削って溶かした接着剤で埋めましょう」

『あら、大変そう』

「手伝ってくれる気はありませんか?」


 花崗岩をオリジネであれば、粉末状の花崗岩さえ用意できるだろう。

 そう思って頼んでみるが、応えは『いいえ』だった。アルたちだけで頑張れということらしい。


 なんとなくそれを予想していたアルは、ため息一つで受け入れる。

 嫌そうに顔を顰めているブランと肩をすくめるクインを促して、作業を開始した。

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