第402話 怒れるモノ

 風魔法で白煙を払う。といっても、窓が開いてはいないから、階下へと押し流すだけだ。


 アルが放った不完全な土魔法は、外まで貫通させることはできなかった。もし完全だったとしても、この塔は魔法で保護されているようなので、外壁を壊すことはできなかっただろう。


 ――なんて考えながら、白煙の先に現れた姿に目を眇める。

 見覚えはある。そうきたか、と思うと同時に、どうしてここにいるのか、という疑問も湧いた。


「……ここ、精霊の管轄なんですか? トラルースさんはご存じなかったようですが」


 キラリキラリと瞬く光。それは精霊の眷属である妖精だった。

 頬を膨らませ、不満いっぱいの表情が幼気で可愛らしく見える。だが、見た目に騙されてはいけない。


『トラルース? 誰よ、それ』

「……精霊ですよ。えぇっと……以前は精霊の森の中で、外部との窓口を担当されていたらしいです。今は異次元回廊の入口の番人になっていますが」


 首を傾げる妖精は、トラルースという名に心当たりがないようだ。

 そういうこともあるだろう、とアルは肩をすくめる。

 精霊の総数がどれほどかは知らないが、妖精が全員を把握しているとは限らない。トラルースは精霊王に近しい存在だから、多少違和感を覚えるが。


『それで、お前は精霊の指示により、ここにいると考えて間違いはないのか?』


 ブランがグルルッと唸る。妖精に対して珍しいくらい剣呑な雰囲気だ。敵対視している様子に、アルは首を傾げる。

 精霊と親交の深いアルは、すぐさま警戒心を解いてしまったのだが、ブランは違うようだ。


「この辺に精霊の手が及んでいるとは聞いたことがなかったが」


 ブランに次いで、クインも鋭い目で妖精を見据える。

 妖精のか弱そうな見た目も相まって、なんだかアルたちの方が悪役になっているような気がしてきた。


『な、なによっ、ここに精霊が干渉していたら悪いとでも言うの!? 大体、勝手に入ってきて破壊行為をしたのはあなた達なのよっ。まずは謝罪しなさいよ!』


 気圧された様子だが、妖精は小さな手で壁に開いた穴をビシッと指さした。

 それに関しては、アルたちに言い訳できる余地がない。自分たちが圧倒的に悪い自覚がある。


「……大変、失礼しました……?」


 ソロッと視線を逸らすと、妖精が勢いよく飛んできた。


『さっきも言ったけど、謝れば済むわけじゃないんだからねっ――ギャッ!?』

『アルに近づくな』


 何をするのかと驚きながら見守っていたら、妖精はアルの顔に触れる前にブランに叩き落されてしまった。少し頭痛がしてくる。


「ブラン……さすがに、それはひどいよ。悪いのは僕たちでしょ」

『ふんっ。無遠慮に近づいてくるから仕方ないのだ』


 悪びれないブランを捕まえて、顔をもみもみ。少しは反省してほしい。

 ブランは不貞腐れた表情を浮かべながらも、抗議することなく罰を受け入れていた。


「……はぁ。妖精よ、吾らが失礼をしたのは事実。先程の愚息の行いも含め、謝罪しよう。だが、アルに危害を加えるのは許容できかねる」


 クインが謝罪と共に牽制する。そして、床で『痛ーいっ』と喚く妖精をつまんで持ち上げた。

 アルはその持ち方もなかなか失礼だと思うのだが、なんとなく口を挟めない。


『危害って、ちょっとおでこをペシッとやるつもりだっただけよ。何が悪いって言うの!?』

『おい』

「それを危害と言うのではないか?」

「まぁ、被害を考えると、その程度で許してもらえるなら、僕は構いませんけど」


 怒る妖精がなんだか可哀想に思えてきた。

 勝手に塔内部を壊されるは、叱ろうとしたら地面に叩き落されるは、この妖精は踏んだり蹴ったりである。


 ブランとクインが妖精をつっついているのを止めながら、アルは小さくため息を零した。話が進まない。


「二人は静かに。妖精さんはお話を聞かせてもらってもいいですか? 何をどう謝罪なり、弁償なりすればいいか、把握できていないので」


 ちらりと穴の方を見る。穴の少し先には窓があり、そこから自然な光が差し込んでいるのが分かった。まさしく、アルたちがこの場所に訪れた時に見たものだ。

 一方で、隠すほどのものは一切見当たらない。なんのために、内側に壁を作っているのか。


『分かっていて、壊したんじゃないの?』


 妖精がきょとんと目を瞬かせる。

 アルは片眉を上げ、その顔をじっくりと観察した。


「……いいえ? 急に空間が狭くなったのが不審だったので、何があるのか調べようとしただけです」


 どうやら妖精はアルたちの会話を聞いていなかったらしい。突然膨大な魔力の気配がしたことで、慌てて飛んできたようだ。


『……あなたたち、思考が短絡的すぎない? 街一番の暴れん坊だったりするの?』


 憐れむような眼差しと、多分に呆れを含んだ声音にグサッと心臓を刺された気分になった。妖精の言葉を否定できない。街一番の暴れん坊という事実はないが。


『森では一番の強者だぞ!』

「ここ、胸を張る場面じゃないから。そんなことを誇らないで。話が逸れる」


 ブランの口を塞ぐ。『むぐむぐっ』と呻いて抗議してくるブランに、少し呆れた。ブランは思念が口の動きと同期しないことを、時々忘れていると思う。


『……変な人たちね』

「その評価は大変不本意です」

『あ、ここに入ってきている時点で、おかしな人たちだということに間違いなかったわ』

「ちょっと、僕の声、聞こえてます?」


 妖精が勝手に何かを理解して頷いている。それはアルが到底受け入れがたい評価な気がした。


「……妖精、そろそろきちんと説明する気はないか? 時間は有限なのだぞ」


 クインがため息混じりで口を挟んでくる。妖精は『なんで私が窘められないといけないのよ』とプンプン怒りながらも、スイッと宙を飛んだ。


『はぁ……。一度しか言わないからちゃんと聞きなさい』


 壊れた壁の先を覗き込んでから、妖精がアルたちを振り返る。


『ここは精霊とドラゴンが守る特別な地。世界を維持・管理する重要拠点なの。私は守役としてここに赴任してから……えぇっと……数十年、いや、数百……? ま、それくらい長いの』

「……色々と気になることはありますが、後で質問させてください」

『あら、そう?』


 妖精は小さく首を傾げながらも、ビシッと穴を指さす。


『――そして、この先の空間は、魔力発生・増幅機能を持っていたの。世界中の転送陣の動力源にして、世界を構築する原初の魔力を生み出す場所』

「え……?」


 アルは思わずポカンと口を開ける。さすがのブランとクインも、ぎょっとした様子で穴を凝視した。

 そんなアルたちを、妖精は半目で睨む。


『ようやくあなたたちの罪が分かったかしら?』


 罪。そう言われれば、納得するしかない。


『――ここが壊されて、原初の魔力が足りなくなったら、世界が滅亡してもおかしくないのよ』


 重々しい口調で言われる。アルは感情のままに頭を抱えた。


「本当に、申し訳ありません……」

『……うむ、確かに我らが悪かったな』

「これは言い訳もしようがない。だが、吾らはそれほど重要なものなのだと知らなかったが故の行動だったのだ。それだけは分かってほしい……」


 それぞれなりに反省する。

 妖精はアルたちの態度にようやく溜飲を下げた様子で、ふぅっとため息をついた。


『反省したなら、大目に見ましょう。私、心が狭いわけじゃないの。それに、どういうことか分からないけれど、世界への影響はほとんどなかったようだし』


 どういうことなのかしらね、と首を傾げながら、妖精が周囲を観察する。

 ポツポツと零す独り言から、現在も原初の魔力の生成・増幅は滞りなく行われているのだと察した。それは朗報である。


『――ま、よく分からないけど、直しておいた方がいいのは確かでしょ。あなたたち、身を粉にして働きなさい!』


 多少横柄な物言いだったが、アルたちはその言葉を粛々と受け入れるしかなかった。

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