第401話 不在のもの
転送陣管理機の使い方は簡単そうだった。
試しに魔法陣に手を翳し魔力を注いでみると、ふわりと半透明な板のようなものが眼前に現れる。
「……なるほど?」
『アカツキやサクラたちが使っていたものに似ているな』
確かに異次元回廊の管理のために、サクラたちは同様のものを使っていた。だから、なんとなくどうすればいいか分かる。
「これは世界地図だね。現在地がこの赤い点のところ。青い点はドノヴァかな……」
『うむ? ドノヴァという場所をアルは知らんのか?』
曖昧に濁した意味を察し、ブランが不思議そうに首を傾げる。
「うん。ドノヴァという国あるいは地名は、現時点では存在してないから。たぶん過去に存在していた場所なんだろうけど……記録で見た覚えはないね。青い点があるのは、今は帝国の一部になっているドーレン国だと思う」
アルの説明に、ブランが興味なさそうに頷いた。
『ほーん……。まぁ、これができた時代がいつかは知らんが、最近ではないのは間違いないからな。遥か昔に存在していた場所であっても不思議ではない』
「むしろ当然だろうな」
ブランに次いで納得の言葉を零したクインは、転送陣管理機を手のひらで撫でて首をひねっていた。
「どうかしました?」
「……やはり何か気に掛かる。吾はこれを知っていたような――」
パチリパチリと目を瞬かせ、クインが小さく唸った。惹かれた原因を思い出せそうなのに、あと一歩のところで逃してしまっているようだ。
アルは改めて転送陣管理機を眺めるが、クインに共感することはできなかった。いったい何がクインを惹きつけるのか。
「とりあえず、もうちょっとこれを探ってみましょうか」
空中に浮かぶ半透明の板に指先で触れる。アカツキたちがこうやって操作していたのを思い出したのだ。
指先を左に動かすと、世界地図が消えて文字が現れた。端のほうにいくつか赤い四角形が並んでいる。
「転送陣稼働状況:休止中。充填魔力量:満タン。――下の方には転送陣を修復とか消去とか書いてある。その横のこの赤い四角形を押したら、実行できるんだろうね」
『随分と簡単にできるもんだな。消去なんて、そう手軽にできていいものなのか?』
ブランの疑問は尤もだ。アルもそれは不思議だった。
「そも。ここに来た者は転送陣に関しての全権を得たようなものなのだろう。消去を拒む必要性がないのではないか」
「あー……それにしても、無用心だと思いますけど」
クインの言葉は理解できるが、アルは少し眉を顰めてしまう。
日頃、魔道具を作る際にアルは安全性の担保を重視している。あらゆる状況を想定して、異常事態が起きないよう考慮しているのだ。
それに対し、この転送陣管理機の仕組みはつめが甘い。ここにある全ての転送陣管理機で消去を選択してしまえば、この世界から転送陣が消え失せることになるのだ。
先読みの乙女の目的に重要なはずのそれを、そんなに雑な扱いをしていいものか。
「――ま、僕は実行しないから、今のところ支障なしということかな」
『それを読まれているのかもしれんぞ』
「……それは、ちょっと嫌かも」
ブランの揶揄の言葉には、不快感が滲んでいた。その気持ちはアルも理解できる。
先読みの乙女の特性が、未来を知ることであることはほぼ確定されている。この転送陣管理機を作った者が何者かは知らないが、同様に未来を知っていた可能性はあった。
アルがその何者かの意思に沿って動いているというのは、少なからず不満を感じる。アルは自身の意志で行動しているつもりだ。それを見ず知らずの他者に前もって知られているのは心地悪い。
『ならば、一個くらい消去しておくか?』
ニヤリと笑う様が見えるような声音だった。
アルは呆れながら、ブランの頭をポンと叩く。
「そんな意味のないことはしません。世界に散らばっている転送陣は、世界的な遺産に等しいんだからね」
「知る者はほぼいないがな」
「現時点では、ですよ。いつか世界中の人が知り、必要とする可能性もあります」
アルはそう言いながら、再び半透明の板に触れた。上下左右に動かしてみても、最初の世界地図と転送陣管理画面しか現れない。思っていた以上に機能が限定されているらしい。
『つまらんな。あれだけたいそうな隠蔽をしていたのだから、もっと何かあっても良かろうに』
言葉通りに、ブランは退屈そうにあくびをした。
その様子を横目に、アルは苦笑する。
確かに知っていた事実を実際に目にするくらいしか成果はなかった。それはそれで好奇心が満たされたから、アルとしては十分なのだが。
「……残る疑問は、これが誰が使うために存在しているかだね」
『誰が……?』
「ああ、そういうことか」
不思議そうなブランの声に次いで、クインが何度か頷きながら呟く。ちらりと視線を周囲に走らせているが、クインの能力でも自分たち以外の存在は捕捉できなかったようだ。
「考えてみてよ、ブラン。この転送陣管理機は、どう見ても人かあるいは類似の存在が操作できるように作られている」
『……っ、なるほど。ここには絶対的に必要なものが欠けている』
「操作主だな」
ピタリと動きを止めたブランと、クインが視線を交わして目を細めた。
その様子を見流しながら、アルは改めて周囲を見渡す。
隠蔽が解除されて現れたのは、転送陣管理機だけだ。それ以外は隠蔽されていた状態と変わりない。
「……いや、違う。窓は、どこに行った?」
ハッと息を呑んで凝視する。
光が差し込む窓のように見えていたのは、絵に似たものだった。転送陣管理機から現れた半透明の板にも近いかもしれない。
そこには外の景色が描かれているが、光は一切差し込んでいなかった。
『窓ではなかっただと……』
「言われてみると、この空間は一回り小さくなっている気がしないか?」
ブランとクインの緊張感が高まる。
クインの指摘通り、おおよそ一メートルほど、壁が内部に近づいているように思えた。
「……近づいてみようか」
「危険な気配は感じないが、吾の後ろにいてくれ」
『そうするといい』
アルが断るより先にブランに促されれば、そうするしかない。二対一で意見を戦わせてもあまり勝ち目がないし、時間の無駄だ。
ため息をつきながら、外側の壁の方に歩み寄るクインの後ろに続く。
「広くなるならまだしも、狭くなるって……隠蔽が解除されたというより、別の空間に転移させられたと考えた方がよくない?」
『あー……まぁ、魔法はわりと何でもありな気がするぞ。もともとの空間に魔法が掛かっていて、広いように誤認させられていた可能性もある』
ブランは魔法の原理はあまり理解できないが、魔法がどのような効果を及ぼすかは本能的に理解している。だからこそ、アルが考えなかった可能性を提示してくれた。
「……なるほど。空間把握能力を狂わされていたかな」
「どちらにせよ、今見えている部分だけが、この空間の全てではないようだ」
クインはそう言うと、手が届くほど近づいた壁をコンッと叩いた。硬い石の壁とは思えないほど、良い響きの音がする。
アルは思わずクインと目を見合わせた。
「……もしかして、この壁の向こうに空間がある感じですか?」
「そうだろうな。だが、どう確かめればよいのやら」
首を傾げるクインにつられて、アルも「う〜ん……」と頭を傾けた。頬にふわりと柔らかな感触がある。
『……ぶち破ればいいんじゃないか』
「すごく脳筋。でも良いと思う」
ニヤリと笑ったブランに、アルは反射的に同じような笑みを浮かべた。クインが呆れたような目を向けてきたが、気づかなかったふりをする。
ぶち破るのが手っ取り早いと思うのだ。塔を壊さない程度に力加減する必要があるが。
一応、鑑定眼を使って、手段が他にないことは確認している。
「――じゃあ、掘削系の魔法でも……」
すっと手を伸ばして、久しぶりに呪文を唱え始めた。
次第に集う魔力。後はこれを放つだけ――。
『っ!? 待って、待って、待ってぇえええっ!』
不意に聞こえた叫び声に、アルは目を見開く。反射的に魔法をキャンセルしようとしたが、もう遅かった。
――ドンッ!
「……あ、ごめんなさい」
『謝って許されることとそうでないことがあるぅううっ!』
中途半端に放たれた魔法は、魔法の形をなさずに魔力の奔流となって壁に向かう。瞬時に生じた土埃が、アルたちの視界を白く染め上げた。
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