第400話 隠蔽解除
スイッチと示されたものに手を伸ばす。
『罠じゃないだろうな』
ピタッと手が止まった。視界の端で白い尻尾が揺れる。
罠という可能性はなきにしもあらず。否定できない事実に、『さてどうしよう』と少し考え込んだ。
『――アルは時々無謀だ。頭が良いくせに、楽観的で、何か起きてもどうとでもなるかと物事を片付け突き進むことがある』
じろり、と音がしそうな様子で睨むブランから目を逸らす。
「……ブランが、いるからこそだよ?」
『我を持ち上げれば誤魔化せると思っているのか。我はそこまで単純ではないぞ』
「いや、単に信頼を示しただけで――」
言葉が途中で止まる。
アルに先んじるように、白い手がスイッチに近づいていた。
『っ、おい、我がアルを説教している隙に、何をしようとしているんだ!?』
「これを押せばいいのだろう? なに。お前たちは離れているがいい。念の為、部屋から出ていた方がいいかもしれぬな」
にこりと笑うのはクインだった。その手は既にスイッチに触れていて、今にも押しそうな様子だ。きゃんきゃんと怒るブランを意に介せず、肩をすくめて聞き流している。
アルの胸の内に、もやもやとしたものが湧き上がる。
クインは自己犠牲がすぎる。アルを守るために、たいていの行動は先んじようとするのだから。
たとえ強大な力を持つ魔物といえども、傷つくこともあれば、命を落とすことだってあるのに。
「クイン。そのお気遣いはありがたいのですが、あなたにそこまでしてもらうつもりは――」
『そうだぞ! するならば、我がやる! どうせ我は死ぬことはないからな』
再び言葉が遮られたばかりか、聞き流せない発言があった気がする。
アルは表情を無にして、ブランの脇に手を入れて抱え上げた。ぷらーんと揺れる手足ときょとんとした顔が、可愛らしくも憎らしい。
「クインもブランも、そういう考え方は駄目! 自己犠牲は頼んでないからね」
「……吾もか?」
『我の場合、犠牲にはならんが……』
口元に笑みを作り睨むと、ブランが気まずそうに目を逸らした。多少なりとも、その発言がアルを不快にさせている自覚があってなによりだ。
「僕がスイッチを押すよ」
『だがっ』
「鑑定結果に、罠とかは示されてない。これは経験上信用していいと思う。ブランたちは、隠蔽が解かれた後に危険がないか警戒しておいてくれないかな」
単に拒否するだけではなく役目を与えておけば、クインとブランが不承不承でも認めてくれると分かっていた。
想定通り、顰めっ面で黙り込んだブランを床に下ろし、クインに視線を向ける。
「……守るというのは難しいものだ」
「お気になさらず。これでも、僕はそれなりに強い自信があるので」
やれやれ、とため息混じりに呟き、クインがスイッチから手を離す。アルが折れることはないと、早々に悟ってもらえて良かった。
「――じゃあ、いちにのさん、で押すからね」
『……うむ。警戒は任せろ』
「何かあれば、いち早くアルを脱出させよう」
ブランはともかく、クインにはいまいちアルの危惧を理解してもらえていない気がする。だが、これは地道に改善させるしかなさそうだ。
ため息をつきながら、スイッチに手を伸ばす。
「いちにのさん」
――ポチ。
丸いボタンのような白い石を押し込むと、周囲に魔力が渦巻いた気配があった。
「っ、ぐ、ぅ……!」
『な……だっ……こ、……は!?』
ブランの声が聞こえにくい。おそらく膨大な魔力の渦に、思念をのせた魔力がかき消されそうになっているのだ。
嵐に突っ込んだように、魔力の流れに翻弄される。視界は真っ白だ。前後左右はおろか、自分が今立っているかすら分からない。
唯一、ブランが触れている温もりだけは感じていた。それがどれほど心強いか。
「――……大丈夫か?」
ふ、と耳に飛び込んできた声。肩に回った腕がアルを支え、それと同時に魔力の奔流が鎮まっていく。
溢れた魔力は上へ吸い込まれるように消えていき、視界に現れたのは壁際に並ぶたくさんの金属の塊だった。
「……は?」
「ふむ。これはなんだろうな」
顔のすぐそばで声がした。クインだ。
いつの間にか座り込んでいたアルは、瞬きをしながらなんとか状況を理解しようと努める。
「えぇっと……クインが支えてくれたんですね? ありがとうございます」
「礼には及ばぬ。当然のことをしただけだ」
にこりと笑い、クインが離れていく。支えがなくなっても、アルの平衡感覚が狂うことはなかった。
よいしょ、と立ち上がると肩にブランが跳び乗ってくる。
『あれは何だったのだ。やはり罠か?』
「うーん……罠というか、単に隠蔽に使われていた魔力が解けただけじゃないかな。僕らを傷つける意図はなかったと思うよ」
『狙ってされたことではなくとも、攻撃されたようなものだったと思うがな』
ブランが不機嫌そうに尻尾を揺らす。異常事態で一切役に立てなかったと思っているのか、態度に悔しさが滲んでいた。
そんなに気にしなくてもいいのに。アルはそう思いながらも、気持ちは嬉しくて、ブランの頭をぽんぽんと撫でて宥める。
「精神攻撃に近かったけど、ブランが傍にいてくれて、ほとんど不安はなかったよ」
『……そうか』
何か言いたげにしながらも、プイッとそっぽを向いたブランの尻尾が、ゆらりゆらりと揺れている。機嫌は多少回復したようだ。
恥ずかしがっている様子の素直じゃない相棒に、アルはこみ上げる笑いを噛み殺した。笑ってしまったら、絶対にブランの機嫌が悪くなる。
「――それより、クイン。そう軽々しく、正体不明のものに近づかないでくださいよ」
呆れてそう言ったのは、アルから離れたクインが不用意に金属の塊に近づき、じっと観察しているからだ。
もう少し危機感を持ってほしい。アルの安全には過剰なくらい気を遣うのに極端だ。
「あぁ、すまぬ。どうにも惹かれる気がしてな」
「惹かれる?」
『我は何も感じないぞ』
魔物独特の誘引力ではないらしい。心当たりのなさそうなブランが、不思議そうに首を傾げていた。
「あ、まずは鑑定しよう」
クインに近づこうとした足を止め、鑑定眼を発動する。隠蔽の解除法さえ示してくれたのだから、何かしらの発見はあるはずだと、なんとなく確信していた。
「――えっと……【転送陣管理機Ⅰ:本体材質は魔軽銀。上部魔法陣を展開することで、ドノヴァの転送陣を遠隔で操作できる。操作内容は転送陣の修復、複製、消去】だって」
『よく分からん』
あっさりと理解を諦めたブランに、アルは思わず呆れた。
そう難しい内容ではないはずなので、そもそもきちんと聞いていなかった可能性が高い。
「……ブラン」
『だが、危険はないということは分かったぞ』
説教を遮るように言われて、アルは口を噤んだ。
ブランの理解は間違ってはいない。細かいところを気にしないのはブランらしいのだろう。
「つまり、シモリに聞いていた各地の転送陣を管理するものがこれなわけだな」
「そうですね。ブランが言う通り、危険はないでしょう。この壁沿いにある全てが同種で、転送陣がある場所ごとに管理しているようですね」
近くにある別の転送陣管理機を鑑定してみても、ドノヴァのところがロージンに変わるだけだった。
塔の内部側に並ぶそれがいくつあるかは一周しないと分からないが、思っていた以上に世界にはたくさんの転送陣があることが理解できる。
「これが管理用の魔法陣……」
クインの傍に立ち、転送陣管理機を観察した。
長方形の円柱の上に、魔法陣が刻まれている。おそらく空間魔法を組み込んでいるだろう。それくらいしか理解できないくらい複雑な紋様をなしていた。
「――読み取れないのが悔しい」
ぽつりと呟き、口を噤む。ブランから呆れた目を向けられたが無視した。
魔法の探求をしているのだから、力不足を嘆くのは当然だと思うのだ。呆れられる筋合いはない。魔法の探求のために余所事を放っているわけでもないのだし。
「とりあえずメモしておこう。ヒロフミさんとかマルクトさんに見せたら、何か意見をもらえるかも」
『ここで研究を始めないだけ、成長した気がするな』
「僕だって、いくらなんでもそんなことしないよ」
不満を告げてもブランは聞き流すだけだった。大変不本意である。
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